百二話 ラグ・ヴァーダの神話 U



 

 「メルーヴァ……?」

 ペリドットの台詞を復唱したのは、ルナだけではなかった。アズラエルたちもおもわず口にしていたし、ベッタラですら驚きをあらわに、ペリドットに聞きかえしていた。

 「ルーナさんが、メルーヴァなのですか?」

 「そうじゃよ」

 ペリドットではなく、老人のひとりがうなずいた。三人の老人たちも、原住民の部族なのだろうが、口から出る言葉は流暢な共通語だ。

 「今宵、我らはメルーヴァを迎える予言を受けておった。……さあ座りなされメルーヴァよ、アストロイの姫よ」

 

 メルーヴァと呼ばれたルナ本人は呆然と突っ立ったままで、やがて、そのピンクの頬っぺたがだんだんと膨らんでくるのがアズラエルにも見えた。

 アズラエルは驚いた――そう、ルナは、怒ったのだ。

 

 「るなです!」

 うさぎは頬っぺたを盛大に膨らませて叫んだ。

 「このあいだからルーシーとかメルヴァとか、いろいろ違うなまえで呼ばれるけど、あたしはるなです! ルナ・D・バーントシェント!」

 

 ルナの方に手を伸ばしていた、金の蓬髪の男は――周りの老人たちも――呆気にとられた顔をした。ベッタラも、ルナが怒るとは思ってもみなかったのだろう。びっくりしてルナを見ている。

ルナを“メルーヴァ”と呼んだ肝心の男は、手を引っ込めて、豪快な笑い声を響かせた。

 「はっはっは! そりゃァそうだな! こいつァ俺が悪かった」

 男は素直に詫び、

 「俺の名は、ペリドット・ラグ・ヴァーダ・マーサ・ジャ・ハーナ・サルーディーバだ。座ってくれルナ、俺はあんたを待っていたんだ」

 そういって、今度こそルナに握手をもとめて手を差し出した。

 

 「あんたが、ペリドットか」

 アズラエルが以前、この地でベッタラたちと酒を呑んだとき、よく聞いた名だ。

 「サルーディーバ……?」

 そして、グレンのつぶやき。

「あんたは、L03のサルーディーバとなにか関わりがあるのか」

 

セルゲイもカレンも、アズラエルもグレンもまた、その名が意味するところを知らぬわけではない。名の中に、マーサ・ジャ・ハーナの言葉が入ることも彼らを戸惑わせた。

 

「関わりがあるかと問われれば、あると言える。ないと言えばない。今おまえたちがサルーディーバと呼んでいる生き神の存在は、地球人がL03の原住民をしたがわせるためにつくった傀儡で、俺は太古からL03に存在する、ラグ・ヴァーダ王族の末裔だ」

「王族だと……?」

 

 この男は、何者なのだ?

 

 ルナはぷっくり頬っぺたをやっとしぼませて、ペリドットの手を取った。乾いてゴツゴツした、大きな手だった。

 「……もしかして、真砂名神社のおじいちゃんと親戚ですか」

 ルナは握手ついでに、おずおずと聞いた。彼の名は、名前と惑星の名以外は、すべて、あの真砂名神社の神主おじいさんと同じだ。ペリドットは首を振った。

 「イシュマールは友人だ。だが似たようなものか」

 

 「ル、ルナ、ちがうよ、その人は――王様だよ!」

 ルナの耳に飛び込んできたのは、ピエトの遠慮がちな叫びだった。

 「ラグバダ族の、王様だ……!」

 

 ピエトは、アズラエルとグレンの隙間に引っ込んで、恐る恐るペリドットのほうを伺っているのだった。

 「王様……?」

 「坊主、おまえはラグバダ族だな?」

 ペリドットが笑みを向けると、ピエトは何度もうなずいた。

 「そう畏まるな。たしかに俺はラグ・ヴァーダ王族の末裔だが、今はただの根無し草だ。仲良くやろうぜ」

 ピエトはきょろきょろと、落ち着かなげに皆の顔を見回し、それから、アズラエルとグレンの狭間から出てきた。ペリドットは出てきたピエトを、ひょいと抱え上げて膝の上に乗せた。ピエトは慌てたが、このきかん気の子どもにしてはずいぶん素直に、ペリドットの膝に落ち着いた。

 

 「(おまえはどこのラグバダだ?)」

 「(エ、エルト……)」

 「(ああ、アバドの民か)」

 「(ペリドット様は――アバドに行ったことがある?)」

 「(ああ、あるよ)」

 

 ペリドットとピエトの間で交わされる会話はラグバダの言葉だ。しっかりと聞き取れたのはアズラエルだけで、カレンとグレンは単語をひろってだいたい理解した。セルゲイとルナはまったく分からないので、アズラエルに通訳を頼まねばならなかった。

 

 たき火を囲んで、ピエトとペリドットだけのおだやかな会話がつむがれているあいだに、軽快な音楽が鳴りだしたのでルナはうしろを振り返った。広場中央の大きな井桁の火のちかくに、音楽隊がいる。それにあわせて踊るひとたちも。

 陽気な曲だった。こちらまで楽しくなってくるような。

 

 「おい、ピエト。おまえ、さっきの歌知ってたのか」

 あの不思議な歌を、ピエトもいっしょに歌っていた。ベッタラも。

アズラエルが聞くと、ピエトは胸を張って言った。

 「アズラエルも知らねえのか。あれはマーサ・ジャ・ハーナの神話だぜ! ラグバダ族ならみんな知ってる!」

 「マーサ・ジャ・ハーナの神話ァ?」

 

 ピエトは、それをルナとミシェルとクラウドに教えると約束したことは、すっかり忘れているようだった。ルナだけが思い出した。さっきの歌詞には何度もマーサ・ジャ・ハーナの語句が出てきたが、まさかマーサ・ジャ・ハーナの神話だったとは。

 

 「ベッタラも?」

 「ハイ、知っています」

 ベッタラは、運ばれてきた、湯気の立つ料理を仲間から受け取りながら、そう答えた。

 「どうして。おまえラグバダ族じゃねえだろ」

 「ラグ・ヴァーダではないアノールですが、細かく言わないと分からない。アノールはラグ・ヴァーダと同じく違ういっしょの勇敢なたのしい民族で……」

 「(しょうがねえ。アノールの言語で話すか)」

 「(アノール族とラグ・ヴァーダ族はもともと同じ民族だ。アノール族は、ラグ・ヴァーダを守る武神の血を引いている。ラグ・ヴァーダの武神はアストロスで没したが、ラグ・ヴァーダに妻を残していた。アノールはその末裔だ。だからこの歌を知っている)」

 「(武神の末裔か。なるほど。アノールが戦の民族と言われている意味が分かった気がするな)」

 「(アズラエル。正確には武を重んじる民族だ。アノールは戦を好まない。武の民族であるゆえんだ。私は許すが、ほかのアノールのまえで“戦の”民族などと言ってみろ。決闘を申し込まれるぞ。どちらかが死ぬまでのな)」

 「(すまん。気を付ける)」

 

 「ふたりはいったい、なにをしゃべってるの」

 ぜんぜん分からないルナが、口をとがらせてベッタラの袖を引っ張ると、ベッタラはとろけるような笑みを見せた。

 「ルーナさんは、イワシのようにちいさく可愛らしいです……! ベッタラはアーズラエルを羨ましがることを希望します……!」

 「おまえは共通語になると、急に残念な男になるな」

 

「まあ、込み入った話はあとにしよう。まずは同じ飯を食おう」

ペリドットはピエトを膝に乗せたまま、カップを掲げた。

「乾杯!」

ベッタラと老人たちがカップを掲げた。

「乾杯!」

ルナもアズラエルも――ピエトもカップを掲げた。遅れて、カレンとグレン、セルゲイも。

聞きたいことは山ほどあったが、なるほど、たしかに全員腹の虫が鳴った。

原住民の集落のド真ん中で宴会をするなんて――しかも彼らと同じものを食しながら――というのは、グレンとカレン、セルゲイにとっては、この宇宙船にでも乗らなければ、半永久的に実現しないできごとであっただろう。

完全に緊張が解けたわけではないが、グレンたちもここまで来て、周りの原住民たちが自分たちを害するわけではないことは、よく分かった。そう悟れば、肝の座りも早い彼らである。すっかり腰を落ち着けて、酒を呷った。

ここが地球行き宇宙船の中だということも、彼らの警戒をほぐした一要因だったろう。何分、この宇宙船は治安が良すぎる。

「これに慣れちまったら怖いな……」

グレンの独り言は、カレンとセルゲイの気持ちも代弁していた。