「はい、ルーナさんの分」

 ベッタラがルナに差し出したのは、熱々のシチューがはいっている丸い木の器だった。銅製のカップに、琥珀色の飲み物も継ぎ足してくれる。

 「ベッタラさん、すごく身体が暖まったんだけど、これってお酒?」

 「お酒です。ワタシたちがよく飲むものはお酒がきついでありますけれども、ルーナさんのものは、お酒が薄くて薄いものに、はちみつをたっぷりかけてあります」

 なるほど。飲んだとき身体がほかほかしたが、酔っぱらうほどでもない。

 「すごくおいしいよ」

 ルナが笑顔を向けると、ベッタラも頬を赤くして「おいしいは、非常によろしいです」と笑顔になった。

 

 「(おい、ベッタラ。ルナに惚れるなよ)」

 今度はグレンがアノールの言葉でベッタラを制したので、ベッタラは目を丸くした。

グレンは、これでも勤勉で知られた優等生だったのである。学生時代、授業にまともに出ず、メフラー商社に入ってから原住民の言語を覚えたどこかの傭兵野郎と違って。

軍事惑星の学校には必須科目としてかならず、原住民の言語がある。原住民の種類は星の数ほどあり、学ぶ言語は選択制だ。グレンが学んだのはアノール族の言語。L4系にはラグバダとアノール、ケトゥインが多いので、学生が選ぶのはたいていそのどれかだ。

 

 「(私はひとの妻を奪いはしない。おまえと違って)」

 「(はァ!? 俺と違うってどういうことだ)」

 「(アズラエルの妻に恋慕しているのはおまえだろう)」

 グレンはたまりかねて怒鳴った。

 「(このクソ傭兵野郎とルナは、結婚なんぞしてねえ!)」

 「(なんだと!? 妻ではないのか!?)」

 「おい、余計なこと言うな銀色ハゲ!!」

 アズラエルの制止で、グレンはやっと、自分がまずいことを言ったのだと悟った。ベッタラが、じーっとルナを見つめ始めたからだ。人の妻をジロジロと眺めるのは失礼にあたるアノール族の男が、遠慮解釈なく見つめ始めたと言うのは――。

 「イルカ、じゃ……なくても……イワシでも……」

ブツブツいいながらベッタラはルナを見つめ、ルナが「いわし?」とベッタラを見返すと、彼はにっこりと笑った。

 

 「いいか良く聞け少佐どの。アノールじゃ、結婚した女に横恋慕するのは罪だが、結婚してなきゃ奪っていい決まりなんだ」

 「……」

 アズラエルのまえで反省する気はなかったが、グレンは猛烈に後悔した。右手で顔を覆う羽目になった。

 「強い男が自分の欲しい女を勝ち取るのには、だれも文句言わねえ。人妻でさえなきゃな!」

 だからわざと女房だってことにしといたのに、とこめかみに青筋を波打たせるアズラエルに、反論する言葉はひとこともなかった。

 

 蜂蜜酒をひとくち飲み、シチューに手を付けようとしたルナを、ベッタラが制した。

 「ちょっと待って」

 彼は、たき火の中で焼いていた肉の串を取り、ルナのシチューに入れてくれた。別の器に入っていた葉っぱと木の実を散らして、ルナに渡してくれる。

 「アノールではこうやって食します」

 「おいしい!」

 「セルゲイ、なんとかしろよ」

 ルナがベッタラに狙われてる……! とカレンがセルゲイを突いたが、アノールの言葉もよくわからないセルゲイには、無難な牽制のすべが見当たらない。

 「ベ、ベッタラ、これ、アノール族の食事かな? おいしいね」

 セルゲイがなんとか、ルナとベッタラの会話の間に入ると、「そうです! セールゲイはアノールの味を楽しみます!」と返ってきたので、「う、うん……楽しみます」と言って会話が終わってしまった。

 「これほど……力不足を痛感したことってないよ……」

 セルゲイはつぶやき、「うん……なんかごめん」とカレンが哀しげに言った。

 

 難解なベッタラの共通語による説明によると、今日のもてなし――食事はアノール族、音楽隊はフィフィ族とのこと。

 トマトときのこが入ったシチューに、歯が欠けそうな固いパン、鳥肉(推定)を焼いたものに野菜や木の実。かたい葉につつまれた、ピエトほどもある大きな魚が蒸された料理は、すこしずつ皆に分けられた。

 ルナは魚料理がとても気に入って、おかわりをした。

 

 「ルーナさんは、魚をよく食べたり食べなかったりするのですか」

 「食べたり食べなかったりします」

 ベッタラの調子に合わせてルナは喋るので、微妙なカオス空間が出来上がっていた。

 「お魚は大好きなのです! いわしも好きです!」

 「ルーナさんはまるでキラキラ輝く小さないわしです。ちいさくてちいさくて、可憐な花の様です」

 「あたしはお花じゃなくてうさぎなので、今日から月を眺めるいわしにするよ」

 「ルーナさんの星では、いわしは月を見ますか? ワタシもいわしと月を見たいです」

 「シャチと一緒にいわしは月を見るよ!」

「ルーナさんにパコを見せたい。きっとパコは祝福を潔しとします。そしてワタシは、パコと語り合います。イルカも、サバも、イワシも、……ワタシのライバルだったシャチのパコ、元気かなあ……」

 「しゃちのぱこ! ライバルだったの!?」

 「そうです。それは間違いがない。パコはワタシのライバルで、永遠の友で、強敵で、トモダチです。おおきなシャチです。海のヌシです。まだ決着がついていないのです。別れはつらかった……」

 

 肩を落とすベッタラの背を撫でてあげるルナを見ながら、セルゲイは呟いた。

 「ダメだ……会話に入っていけない」

 「だいじょうぶ。アレに入っていける奴はむしろヤバい」

 カレンはセルゲイを慰めた。

 

 ベッタラはルナを口説こうとしているのだが、共通語になると微妙な言語になるため、ベッタラの秋波はまるでルナに伝わっていない。結局ふたりの会話はカオスに満ち、どうあっても色気のある会話に聞こえなかったので、グレンとアズラエルもようやく警戒をゆるめた。

 

 どこの何族さんか、何を言っているのかもわからないが、綺麗な半裸の娘さんがルナに赤い木の実のお酒を持ってきてくれたので、ルナはそれもありがたくいただいた。

彼女だけではない。老若男女がそろって満面の笑顔でさまざまな料理を、次から次へと運んでくる。言葉が通じないのに皆、すすめ上手だ。ルナは自分でもおどろくほど、たくさん食べてしまっていた。

 「なんだか、おいしいものばかりだなあ」

 「美味いか? そりゃァ良かった」

 皆が食事に没頭して、それぞれ腹がくちくなってきたころ、ようやくペリドットがルナに話しかけてきた。

 「あ、あれ? ピエトは?」

 ペリドットの膝にいたピエトがいない。

 「ピエトなら、とっくにガキどもに連れられて遊びに行ったぜ」

 アズラエルが親指で差した方向にピエトの姿はなかったが、同い年くらいの子どもの集団に連れて行かれたようだ。

 

 「だ、だいじょうぶかな? 十一時には寝かせたいけど、」

 ピエトは母星で、夜中にうろついてスリをしていたので、もともと夜型だ。放っておけばいつまでも起きている。ピエトが健康な子どもなら、今日くらいと大目に見たいものだが、アバド病のこともある。くたびれて寝込まないように気を付けなければ――。

 「心配いらねえ。ガキどもの母親はやまほどいる。時間になればまとめてベッドに連れてくだろうさ」

 ペリドットは、ルナを安心させるように言った。

 

 「ペリドット、さん」

 ルナはやっと、聞く気になった。

 「あたしがメルーヴァって、どういうことですか? そ、それに――さっきの歌は、」

 

 「歌か。ピエトも言ったが、あれは、ラグ・ヴァーダの民に伝わる、マーサ・ジャ・ハーナの神話だ」

 ペリドットは、メルーヴァのことについては触れなかった。

 「マーサ・ジャ・ハーナの神話……」

 セルゲイが首を傾げた。

 「でも、マーサ・ジャ・ハーナの神話は、ずっとずっと昔のものでしょう? どうして、アストロイとか、ラグ・ヴァーダなんて、惑星の名が――アストロイって、もしかして、惑星アストロスのことですか」

 

 ――あの、地球行き宇宙船が最後に立ち寄る、観光惑星。

 

 セルゲイの質問に対するペリドットの答えは肯定だった。

 「ああ、そうだ。アストロイってのは、“アストロスの民”って意味だ」

 「じゃあ――真砂名神社のおじいちゃんは、アストロスのひとなの」

 「なんだって?」

 ルナの問いに、アズラエルが聞きかえした。

 「アズもグレンも会ったでしょ? いっしょに真砂名神社の階段のぼったとき、麦茶を持ってきてくれた神主おじいちゃん」

 「あいつか」

 グレンも思い出したようだ。

 「そうだよ。アイツの名はイシュマール・アストロイ・マーサ・ジャ・ハーナ・サルーディーバ。アストロス出身だ」

 ペリドットが言った。