「マーサ・ジャ・ハーナ……」

 ルナが呟く。

 「その名前にも意味があるの? もしかして、おじいちゃんもアストロスの王族の人だとか――」

 

 「その辺を、順番にだな」

 混乱し始めたルナを落ち着かせるように、アズラエルがさえぎった。

 「説明を頼めるか? ――ペリドット――様?」

 「様だけはよしてくれ」

 嫌そうに顔をしかめたペリドットの表情に、王族の近づきがたさはなかった。

 

 「さて――時間はたっぷりある。何から行こうか。――マーサ・ジャ・ハーナの神話?」

 

 「そうですね――ラグ・ヴァーダにも、つまり、ラグバダ族にもマーサ・ジャ・ハーナの神話があるとは知らなかった。しかも内容は違うが、マーサ・ジャ・ハーナの神、という存在は、ラグ・ヴァーダにもあるわけですね?」

セルゲイが、先を促すように質問を足した。

 

 「そうだな。アストロスに伝わるマーサ・ジャ・ハーナの神話もある。そっちも、ラグ・ヴァーダの神話を補完するものであって、地球のマーサ・ジャ・ハーナの神話とは違う」

 「アストロスにもあるんですか?」

 「ある。地球の神話と、アストロスとラグ・ヴァーダの神話はまるで違うが、三つの神話に共通するのは、“マーサ・ジャ・ハーナの神”と、“サルーディーバ”」

 「……」

 「アストロスとラグ・ヴァーダの神話は、同じ出来事を歌っているが、地球の神話はまったく別のものだ。同じ神の名が出てくるから、いっしょにされちまっただけで。違うものだっていうのは当たり前なんだ。地球の神話は、おまえたち地球人にとっては神話だろう。だが、アストロスとラグ・ヴァーダの神話は、おまえたちにとっては、ただの“歴史”にすぎない。“神話”ではない」

 「――どういうことです?」

 「言葉どおりだ。地球の神話と、アストロスとラグ・ヴァーダの神話は、時期が違う。地球の神話は、おまえたちが地球の外に出なかったころの、何万年も前の歴史――神代の時代の出来事だから、神話とされる。だが、文明が爛熟し、地球の外に出るほどの科学の時代をむかえて、そのころの歴史を“神話”とは呼ばんだろ? つまり、おまえら地球人にとっては、その文明と科学の力を持って地球外に出たころの時代の話が、アストロスとラグ・ヴァーダの神話なんだよ」

 

 途方もない話に、たき火を囲んでいた皆揃って、絶句した。

 

 「え、ええと――そういう話となると、もしかして、さっきの歌の、まがつ神というのは、」

 「そうだ。“まがつ神”っていうのは、アストロスとラグ・ヴァーダを侵略しに来た地球人の軍隊のことを言ってるんだ」

 ペリドットは、酒で喉を湿らせてから話を続けた。

 「おまえら地球人が、ラグ・ヴァーダ――L03を支配してから、L系惑星群としてラグ・ヴァーダ太陽系を束ねるまで、千五百年あまりの年月を経ている。いまはL歴1415年だが、そのL歴を始められるほど統治するまで、千五百年。はじめて地球人がラグ・ヴァーダを訪れてから、いまは三千年経っているんだ」

 「三千年……」

 つぶやいたのはカレンだった。

 

 「さっきの歌を、わかりやすく物語調にしてやろう」

 ペリドットが目配せすると、ベッタラが歌いだした。ベッタラはいい声をしているし、歌もうまいと、ルナはおもった。

 

 “はるかな昔 神々が地にあった

  ラグ・ヴァーダの神よ サルーディーバよ“

 

 「ラグ・ヴァーダの星は、三千年前、神代の時代だった。アストロスもだ」

 「神代だって?」

 グレンが復唱し、ペリドットはうなずいた。

 「そう。サルーディーバという、女神にして、女王がラグ・ヴァーダを治めていた」

 ラグ・ヴァーダ星の女王――地球の神話に出てくる、何百年も年を取らない、不死の象徴とされる船大工、サルーディーバとはまったく別の存在だ。

 アストロスの女王もまた、サルーディーバという名だった。

 「地球はそのころ、人口過密状態になっていて、太陽系外に地球と同じ惑星を求めていた。地球人が居住できる惑星をな。そして、それは見つかった。見つけた場所に行けるだけの科学技術も発展していた。地球から遠く離れた太陽系――アストロス太陽系に向かって、五基の宇宙船が旅立った。乗組員は皆、調査団だ」

 

 「五基の宇宙船は、予定では一ヶ月後にはアストロスに到着しているはずだった。だが、どの宇宙船からも、着いたという報告はなかった、三ヶ月、半年、一年経っても――。

 地球のメディアは、調査団の派遣は失敗だったと語った。だが、宇宙船は、一基だけ、アストロスに到着していた――それがわかったのはなんと三十年後だ」

 「三十年後……」

 「調査団は、無事アストロスに迎えられていた。それどころか、調査団の団員の一人が、アストロスの女王との間に、子までもうけていた。その娘が、メルーヴァ王女だ」

 

 「――メルーヴァ王女は、地球人と、アストロスの女王サルーディーバとの間の子ってわけだね」

 カレンが、確認するように言った。ペリドットは頷き、

 「おまえは、この話を知っていそうだな」

 と言った。カレンがためらいがちに肯定すると、セルゲイたちは驚きの顔でカレンを見た。

 

 「先々代のマッケラン当主――あたしのひいばあ様は、マッケラン家にたいそう誇りを持っていてね」

 現実主義のカレンにとってその話は、現実からは遠い冒険譚と、真実の歴史のあいの子だ。言い難いことのように、唸りながらカレンは説明した。

 「戦争と政治活動で忙しくって、当主ってのは本を読むヒマもないくらいなんだが、このひいばあ様はかなりのインテリだった。というか、ドーソンにも多分あるだろうけど、あたしらの家には大概書斎ってもんがある。うんざりするほどの量の本を抱え込んだ――ひいばあ様はなにがすごいって、若いうちにその書斎の本をぜんぶ読んじまって、九十歳になってもほとんど内容を覚えてたってこと」

 「それは――傑物だね」

 セルゲイが誉めると、カレンは苦笑した。

 「あたしは、そのばあ様が好きでね。小さなころ、よくそのばあ様に語り聞かせをしてもらっていた。そのなかに、メルーヴァ王女の話があった」

 びっくりしたよ、今、その話をここで聞くなんて、とカレンは驚きあきれて、肩を竦めた。

 

 「おまえのばあさんは、今の歌を知っていたのか」

 アズラエルが聞いたが、カレンは首を振った。

 「歌を知っていたんじゃないと思う。だけど、あの書斎の膨大な本の中には、マッケラン家始祖が書き残した本があったわけで。――おそらく、アストロスかラグ・ヴァーダを侵攻した軍隊のなかに、マッケランの始祖がいたんじゃないかな」

 あたしはきっと、その話を聞いたんだ。うろ覚えだけど、とカレンは言い置いた。

 「それはいたと思うぜ」

 グレンが肯定した。

 「それくらいなら俺にもわかる。俺もドーソンの始祖が残した記録なんぞ読んではいねえが、軍事惑星をつくったのがドーソンとマッケランと、ロナウドとアーズガルドなら、確実にその四家は、侵攻軍のなかにいた」

 

 どことなく、奇妙な緊張の空気が、たき火の火を揺らした。

 「……話をつづけるぞ」

 ペリドットが、穏やかに言った。

 

 「行方不明になったはずの五基のうち、一基はアストロスに着いて、アストロスの民と交流を持った。そして、もう一基も、ラグ・ヴァーダに着いていたんだ。時期はだいたいアストロスと同じころ。ラグ・ヴァーダに着いた調査団も、ラグ・ヴァーダの民と友好な関係を築くことができた。アストロスもラグ・ヴァーダも神代の時代で、もともと、遠き青の星から神がやってくる、文明をもたらす神がやってくると予言されていた。だから友好的だったんだ。だが、彼らは同時にこういった予言も受け取っていた。“青き星の神は、まがつ神も連れてくる”と」