「ライオン?」

 ミシェルがヘンな顔をした。

 「え? これ、ライオン?」

 ララが、絵の中の三頭の動物はライオンだと言ったので、ミシェルは首を傾げた。

 「ぜんぶライオン?」

 「え? ライオンだろう? これは」

 長い年月が経って色あせてぼやけているので、はっきりとは分からないが、右端の下の動物はライオンかもしれない。ミシェルもそれは認めた。茶色い動物で、たてがみがある。

 でも――。

 

 「たぶん、上のやつと、この白いやつ、ライオンじゃないよ」

 「え?」

 「え?」

 ララだけではない、クラウドもおもわず聞いた。おじいさんは相変わらず黙っている。

 ミシェルは鼻が絵にくっつくほど顔を近づけて、言った。

 「この上の動物、下のライオンと同じに見えるけど、違うよ。違う気がする。そいでさ、」

 ミシェルは白いライオンを指さして、言った。

 「これ、ネズミだよ」

 

 「はあ!?」

 ララとクラウドの絶叫は大きかった。

「うるさいわい」やっとおじいさんが口をきいた。

 

 「ミシェル、落ち着いてごらんよ。ライオンと同じくらいでかいネズミなんて、いてたまるもんかい」

 ララが、ミシェルを宥めるように言ったが、

 「いや、だって、これはネズミなの。よく見て! 耳が丸いでしょほら!」

 言われてクラウドもララも、絵に鼻がくっつきそうなほど顔を近づけたが、あまりに絵がぼやけているので、耳があるかなんて分からない。ただ、このぼやけ加減が、白い動物もたてがみを持っているように見せているのかもしれないと、クラウドだけは思った。

 

「これネズミなの! ライオンに化けたネズミ!!」

 「ラ、ライオンに化けたネズミ?」

 ララは目を白黒させた。

 「ていうか、正確にはライオンがネズミに化けて、ずっとネズミのふりをしてたんだけど、今やっと、もとのライオンに戻ったの。でもね、この絵を描いたとき、この絵を描いた張本人はそこまで謎が解けなかったの。だからネズミの姿でかいちゃったの。でもね、元のネズミは、この白いライオンに殺されたネズミは――たぶん、かくとしたらこの辺」

 ミシェルは、夜の神と昼の神の後ろを指さした。そんなところに描いたら、絵のバランスが取れなくなる。

 ララの愛するルーシーの生まれ変わりのルナは、けっこうトボけたことをいう子だった。まさか、ミシェルもだろうか。だとしても、可愛らしいことに違いはないが、この絵は、ララにとってはご神体同然の絵で、あまりこの絵に対してすっとぼけたことを言われるのは遠慮願いたい――。

 「ミシェル――それは――どうだろう?」

 ララはなんとか笑顔を作ることに成功したが、ミシェルはもう、ララのほうを見てはいなかった。

 

 「この絵、マーサ・ジャ・ハーナの神話だよ」

 「な――なんだって?」

 ララは、ついに動揺を隠せず、思い切り口と態度に出した。

 「マーサ・ジャ・ハーナの神話! 神話でもあるけれど、予言の絵なの」

 置いていかれたのはララだけで、クラウドは「どういうこと?」とミシェルに尋ねた。

 

 「どういうこともこういうこともないよ。うまく説明できないけど、これはマーサ・ジャ・ハーナの神話の絵で、」

 ミシェルは、目玉が零れ落ちそうなほどカッと目を見開いたまま絵を見ていた。クラウドは、「あ」と思った。

 「――予言の、絵。これとおなじことが、この先、起きるんだ――」

 

 そう言いながらミシェルは崩れた。やっぱり。クラウドがあわてて手を出したが、そばにいたララのほうが早かった。

 「だいじょうぶかい、ミシェル!?」

 「大丈夫だよ。今回は長かったな。前回はこれを見て数秒で倒れたから」

 「いったい、なんで、」

 「ミシェルが百五十六代目サルーディーバの生まれ変わりってことは、君も知ってるんだろう?」

 「……」

 「くわしいことは分からないが、百五十六代目サルーディーバが、この絵に謎を残したことは確かだ。そのせいなのかな? ミシェルがさっき言ったことも――」

 「ミシェルのオトボケじゃなく、この絵の謎の一つだっていうのかい」

 ララが、真剣な顔をした。

 「おそらくはね」

 クラウドは、ミシェルを抱き上げてつぶやいた。

 「これからは、卒倒覚悟で連れてこなきゃダメだな」

 ミシェルは、またギャラリーの絵を見る前に卒倒した。目が覚めたら「また見れなかった!」と地団太踏んで悔しがる様が容易に想像できた。

クラウドは苦笑し、

 「それにしても、これがマーサ・ジャ・ハーナの神話か……」

 と絵を眺めた。

 

 ライオンが三頭にお姫様――たとえ、ライオン一頭と謎の茶色い動物と、ライオンに匹敵するでかい白ネズミだとしても、それらが出てくる話など、ララもクラウドも聞いたことがない。

 

 「マーサ・ジャ・ハーナの神話に、こんな話は――」

 「アストロスの、マーサ・ジャ・ハーナの神話じゃよ」

 ララのつぶやきに、今まで黙っていたおじいさんが、やっと長文を喋った。

 「アストロス?」

 クラウドの問いに、おじいさんは、

 「うん、わしはアストロス出身だからのう。知っとる。聞きたいか? もう口伝でしか残っとらんでの」

 「君は、アストロスの出なの!?」

 クラウドが驚いて叫んだので、おじいさんは鷹揚にうなずいた。

 「ああ、アストロスの王族の末裔じゃ。イシュメルを守ってアストロスからラグ・ヴァーダにきた一族のな――だからわしの名前はイシュマールって言うてな。イシュメルが共通語になるとイシュマール言うて、」

 クラウドとララが顔色を変えた。

 「ちょ――え!? なにその話!?」

 「じいさんあんた、そんな話隠し持ってたのかい!?」

 「隠した気はないわい。おまえたちが聞かんから」

 「「聞きようもないだろ! そんな話!!」」

 ララとクラウドはそろって絶叫した。アストロスにマーサ・ジャ・ハーナの神話があるなんて、知るわけがない。したがって、聞きようもない。

 

 「教えてやってもええけど」

 おじいさんは、クイクイと指を、神社ふもとの商店街へ向けた。

 「紅葉庵の茶店がいいのう。玉露と白玉あんみつ」

 「「なんでもします!!」」

 

 

 

 

 「俺が今話したことの前半は、アストロスのマーサ・ジャ・ハーナの神話にうたわれている。後半がおもに、ラグ・ヴァーダの神話だな」

 

 K33区の宴会は、佳境にはいっていた。音楽と人々の笑い声と熱狂は増していたが、ペリドットとルナたちの火の周囲だけが、静かだった。

 

 「では――アストロスの平和の女神がメルーヴァってことは、」

セルゲイの質問は、アズラエルたちも聞きたかったことだ。

「今L系惑星群を騒がせているメルーヴァっていうのは、なんなんです?」

 

 メルーヴァが平和の象徴というならば、いまL系惑星群で戦禍をひろげている革命家メルーヴァの存在とは、まるでかけ離れたものだ。

 

 「――違うものだとは、言える」

 ペリドットは言った。

 「ラグ・ヴァーダ――つまりL03にきた地球人は、地球の環境汚染を憂えて、文明を放棄したい奴らが集まったって学校で習っただろ」

 「ええ」

 「地球人は、マーサ・ジャ・ハーナの神話に出てくる、永遠に年を取らない船大工、サルーディーバの存在を掲げることに決めた。“永遠に変わらない存在”として。なぜなら、なんの偶然か、原住民たちもマーサ・ジャ・ハーナの神を崇めていて、星を治める女王の名は“サルーディーバ”だったからだ」

 「本当に不思議ですよね――三つの惑星は、おなじ神を知っていた」

 「ラグ・ヴァーダのマーサ・ジャ・ハーナの神話は、もうラグバダ族と、ラグバダ族から出た一部の民族にしか残っていない。ラグバダ族が、女王サルーディーバの直系の子孫だ。地球人がL03をおさめたあとは、歴史や神話がこねくり回されて、いいように作り変えられた。――メルーヴァは千年に一度あらわれると言われたが、実際、メルーヴァ姫がいたのは三千年前の話だ。分かるだろう?」

 

 「メルーヴァ姫があらわれた時代は、ラグ・ヴァーダにとってもアストロスにとってもおおきな変革期だった。だから、そのことが捻じ曲げられて伝わって、メルーヴァは大きな変革を――革命をもたらす存在となってしまった。そして、かわりにメルーヴァ姫の子イシュメルが、三ツ星をつなぐ存在として、平和の象徴とされたんだ。イシュメルがあらわれると戦争が終わるってな」

 「なるほど――イシュメルの末裔というのは、今も生きているんですか」

 「いるよ」

 ペリドットは苦笑した。