ルナはおもいだした。灰色ウサギの言葉を。

 

 ――幸せに、生きておくれ。

 

 『君には信じがたい話かもしれないが、わたしは実に幸せだった』

 ZOO・コンペのときだ。ユキトおじいちゃんの盟友だったエリックが、灰色うさぎの姿になって現れて、ルナを励ましてくれた。

そのときのことを、ルナは思い出したのだ。

 『ユキトと出会えたことも、地球に行けたことも、あのバブロスカ革命のことでさえも、わたしには僥倖だった。あの牢獄生活が苦しくなかったとは言わない。だが、いまのわたしは、実に歓喜に満ちている。わたしは己の役割を果たした、精いっぱい生き切ったと思っている。ユキトも、ほかの皆もそうだ』

 灰色うさぎは、微笑んだ。

 『うさぎは本来ならば、どの動物よりも幸福に満ち溢れるカード。それをわれわれうさぎに教えてほしいのだ』

 『あ、あたし、そんなことできないし、分からないよ……!』

 ルナは言ったが、灰色うさぎは首を振る。

 『言葉で教えるのではない。あなたが、あなたらしく生きてくれればそれでいいのだ』

 

  ――あなたが、幸せだと思う生き方をすれば、それでいい。

 

 エリックもそう言ったのだ。ルナがしあわせに生きたら、それでいいのだと。

 

 「……あ、あたしが、しあわせに生きたら、みんなのしあわせになる?」

 ルナの問いに、ペリドットは深くうなずいた。

 「ああ。おまえが探すんだ。“ハッピーエンド”になる道を」

 

 周りに、命を懸けさせたくないと願うのなら、命を懸けさせるな。

そのためになら、俺もアズラエルたちも、皆が協力する。おまえを守るために命を捨てるんじゃない。おまえが考えた、ハッピーエンドになる道をつくるために、俺たちは力を尽くすんだ。

 

――おまえが、自分も、だれをも犠牲にしない道を考えるというのなら。

 

 「精一杯考えるんだ。――これは案外、むずかしい道だぞ」

 ルナは、気難しい顔で膝頭を見つめていたが、やがて、頬っぺたを膨らませて、しぼませた。そして力強くうなずいた。

 「――うん!」

 「よし。よく決意した」

 ペリドットに頭をガシガシと撫でられて、ルナはまたぼんやりと涙を滲ませながら、思った。今度はペリドットのことを。

 

 ――このひとは、パパみたいだ。

 

 「立派な決意をした褒美に、いいものをやろう」

 ペリドットが、部屋の隅においてあった、銀色の布でつつまれた箱を持ってきた。布を取り払うと、銀色の取っ手が付いた箱。おおきさは、化粧道具や、裁縫道具を入れておく箱ほどで、三日月を彫刻した、金色の錠がついていた。

 「神話のことも話したかったが、おまえにこれを渡したかったんだ」

 ルナは、ペリドットが、これがなにかをいうまえに、口にしていた。ルナはその化粧箱に見覚えがあったのだ。

 

 「これって――もしかしてZOOカード――?」

 「ご名答」

 サルディオネ――アンジェリカの物は紫色の化粧箱サイズだったが、ルナに渡された物は白銀色。箱を彩る彫刻にも、月の女神とうさぎが描かれている。

 まるでルナのために作られたもののようだ。

 ペリドットが指を鳴らすと、錠が勝手に外れた。蓋が開き、なかには藤色のトランプケースサイズの箱がいくつも納まっている。もう一度彼が指を鳴らした。すると、中から白金色の輝きをまとうカードが飛び出した。

 

 “月を眺める子ウサギ”だ。

 

 「月を眺める子ウサギよ――おまえを、期限付きで、“ZOOの支配者”に任ずる」

 ペリドットが宣言し、ちょい、とカードに指先を触れさせると、キラキラとカードが輝きを増し、カードの中のうさぎの頭に、王冠が浮かび上がった。

 「これでよし」

 

 「はわあ……!」

 ルナはいつもどおりぽっかりと口をあけ、一部始終、見惚れていたわけだが――はっと我に返った。

 「えっ!? うさこがZOOの支配者? えっ、これ、あの……!!」

 「おまえにやるよ」

 ペリドットがあっさりと言い、ルナの膝の上に箱を乗せた。

 「ええっ!? で、でもあの、あたし無理! サルディオネじゃないし、つかいかた分からな、」

 「適当につかえ。俺もてきとうだ」

 「ええ!?」

 さっきまで、ルナを優しく導いてくれていたパパ・ペリドットはどこかへ行った。立派な顔には時間制限でもあるのか、すっかり面倒くさがりの根無し草にもどっている。

 

 「さっきもいったが期限付きだ。期限は、メルヴァのことが片付くまで。好きにつかえ。サルディオネに聞くより、自分で調べた方が、早いときもあるだろ?」

 「……でも、あの、」

 「ZOOの支配者になった記念に、さっそく頼みたいことがあるんだがな」

ペリドットは、ノンキにそう言った。ショットグラスに酒を注いで、一気に飲み干してから。

「アンジェリカを、助けてやってほしいんだ」

「ア、アンジェを!?」

ルナの叫びの裏には、アンジェリカがどうかしたのかという思いと、どうやってZOOカードをつかえばいいか分からないという思いと、錯綜していたのだが――。

 

「不肖の弟子を、助けてやってくれ。頼む」

「アンジェがどうかしたの!?」

「たぶんアイツ今、ZOOカードつかえなくなってるはずなんだ」

「ハイ!?」

アンジェリカが――ZOOカードをつかえなくなっている?

「たぶん、グダグダ悩んでるか落ち込んでる。というわけで、なんとかしてやってくれ、よろしく」

「――」

ルナは口をぽっかりあけたまま絶句していた。このペリドットという人のいい加減さは相当なものだ。

「ぺ、ペリドットさんは――?」

「俺か? 俺は面倒くさいから、何もしない」

ペリドットは笑顔で言い、瓶ごと呷りだした。

(だめだ! だめなひとだこのひと!!)

ルナは心の中で叫んだが、ペリドットは、「そう言うなよ。まあベンキョーだと思ってガンバッテ」と取り合わなかった。

 

「まあ、今日は、この部屋で休め。もうすこししたらアズラエルたちが戻ってくるだろ」

ルナは箱を抱きしめ、気になっていたもう一つのことを聞いた。

「カレンは――だいじょうぶかな」

「カレンはだいじょうぶだ。――ほんとうだ。俺を信じろ。明日は、ここで朝飯を食って、中央区の病院に見舞いに行ったらいい」

「うん――」

「じゃあ、おやすみ」

ペリドットがルナを元気づけるように頭を撫で、酒を持って部屋を出ていく。ペリドットと入れ替わりに、アズラエルとグレンが部屋に入ってきた。

 

 「よう。いい部屋じゃねえか」

 ルナは目を見張った。ふたりの変わり果てた服装にだ。膝上の半袖貫頭衣に、きれいな刺繍ベルトで腰を締め、膝までの編上げサンダルに、腕にも細工がついた皮の手甲。青い布を肩から下げて――。

 「ふたりともかっこいいよ! かみさまみたいだ!」

 ルナは褒めたつもりだったが、男二人は苦笑いどころか、どろどろのコーヒーを飲んだみたいな顔をした。

 「ルゥ、それは褒め言葉じゃねえんだ」

 「おまえからもらって嬉しくない褒め言葉、第一位にランクインしたぜ」

 

 ふたりは備え付けの冷蔵庫から、ミネラルウォーターを取り出してきて、キャップをひねりながらベッドに腰掛けた。

 「あのTシャツはもう捨てるしかねえな。気に入ってたのに」

 「俺は、ジーンズとスニーカーもだ――ルナ、その箱はなんだ」