ルナの膝の上に乗っていた、高級そうな化粧箱を見てグレンが言った。 ルナは得意げに叫んだ。 「ペリドットさんがくれたの。ZOOカードなの。あたし、ZOOの支配者になったの!」 アズラエルが遠慮なく水を噴いた。 「なんだ? ZOOの支配者って」 グレンが説明を求めたが、ルナが何か言うより先に、アズラエルが的確な言葉で、シンプルに、要点をまとめて説明した。グレンは苦くないはずの水を飲んで苦い顔をし、 「おまえらといると、無駄にL03の知識が増えていくんだ」 「おまえら、じゃねえ。このチビウサギと俺をいっしょくたにするな」 「今日はもう、てめえとケンカする気はねえ。ところで、この部屋しかねえのか」 「え?」 ルナはZOOカードボックスを抱えたまま、ぽへっとした顔をした。 「俺もここに泊まるんだよな? ――ルナと一緒に」 グレンの台詞に、三人の目は、この部屋にひとつしかないキングサイズベッドに向かった。ルナの顔がみるみる、青ざめた。 「あたし外で寝る! アズとグレンが兄弟仲良く、このベッドで寝たらいいの!」 椿の宿でのことを、ルナは忘れたわけではない。 「俺たちは兄弟じゃねえ!」 兄弟神は怒ったが、やがて怒鳴ることもくたびれたように、ふたりは肩を落とした。 「冗談だ、冗談。ルナ、今日に限っては俺、おまえになにもしねえ。この貴重なチャンスを逃すことにするぜ――俺が外で寝ると言いたいところだが――今日はベッドで寝たい」 グレンは疲れ切った声で言った。 「とんでもねえ話を聞いたうえに、カレンがアバド病だと? 冗談じゃねえ。冗談にもできねえよ。俺は、とりあえず寝る」 ルナが「あ」と口を開けているうちに、グレンはベッドに身を放り投げるようにして寝てしまった。それに対して、アズラエルが何も言わないのも、アズラエルも相当疲れている証拠だった。 「ルゥ、ペリドットは何か言ってたか」 「う、うん――あした、ここであさごはん食べて、カレンのお見舞いに行ったらどうだって。今日は寝なさいってゆってた」 「そのとおりだな――俺も一服して寝る。風呂場に浴槽があるぞ。タオルも寝間着も――湯、はってやろうか?」 「あ、ううん。あたしやる」 ルナはぺぺぺっと浴室に行って、コックをひねって浴槽に湯を張りはじめた。 部屋に戻ると、灯りは薄暗がりになっていて、ベランダで宴の喧騒をながめながら、アズラエルがタバコを吸っていた。 宴はまだ賑やかに続いている。とっくに深夜を過ぎているのに。 「明け方まで続くさ、あれは」 アズラエルはタバコを揉み消した。グレンはベッドの端に丸まったまま、ピクリとも動かない。 「アズ」 「ん?」 「カレンが病気だってこと、グレン、知らなかったんだね……」 グレンも、カレンがアバド病だという事実に衝撃を受けていた。グレンも知らなかったのだ。 「たぶん、セルゲイ以外は、知らなかったんだ」 アズラエルの顔色は、ルナの位置からは暗くて伺えない。 「グレンが知らねえとなれば、エレナもルーイも、ジュリも知らなかっただろ。――だけど、ここまでバレたら、もう黙ってるわけにゃァいかねえな」 毎日顔を合わせる皆には、告げなければならないだろう。今日ここにいない、クラウドとミシェルにも。 「セルゲイが言うか、カレンが言うか。まあ、あのふたりのどちらかが言うまでは黙ってろ。ミシェルはけっこう、あっさりしてる方だが、クラウドはああ見えて仲間意識が強いからな。俺たちが知ってて自分が知らなかったとなれば、信用されてないとか何とか――落ち込むに決まってる――メンドくせえな」 アズラエルは顎ヒゲをぽりぽりとやった。 「マジでめんどくせえ――疲れたな」 疲弊しきった顔でアズラエルが言ったので、ルナはアズラエルの手を握ってあげた。 「アズも寝た方がいいね。さきにお風呂入る?」 「いや、朝シャワー浴びる」 ルナは浴槽でうとうとしながら考えごとをし、お風呂から上がって部屋にもどると、妙にしずかだった。ベランダから外を見ると、宴は終わっていた。井桁の火はまだ赤々と燃えていて、火の番をする何人かはいたが。 ルナは扉を閉めた。虫よけの香の、いいにおいが部屋に漂っていた。 アズラエルもグレンも、ベッドの両端に背を向けあって寝ていて、まんなかはルナが二匹おさまりそうな広さになっている。ルナは感嘆した。人の気配があればすぐ起きる筈のアズラエルから、寝息しか聞こえない。 ルナはいちばん広いまんなかを占拠し、薄い毛布をかぶり、両側の広い背中という名の壁を交互に見た。おやすみなさい、と小声でつぶやいた。 「――クラウド、クラウド起きなよ。こんなとこで寝ないでよ」 ミシェルの声に、クラウドは揺り起こされた。はっと起きて、差し込んだ日の光に目を細めた。すっかり、朝だった。咄嗟に腕時計を見ると、七時。クラウドは、予言の絵のまえで座り込んだまま、いつのまにか寝ていたのだった。 「座ったまま寝るなんて、器用なコトするよね」 ミシェルは呆れ返った声で言ったが、クラウドは自分の器用な寝姿より、ミシェルのほうが心配だった。 「ミシェルこそ平気? どこも、痛いところはない?」 ルナちゃんみたいに一週間眠りこけたらどうしようかと思った、とクラウドが言うと、ミシェルは嘆息した。 「やっぱあたし、また気絶したんだね。この絵のまえで」 そういってミシェルは、予言の絵を見上げる。クラウドがあわててミシェルの目を両手で覆った。 「待って。見ないで。また気絶したらどうするの」 「だいじょうぶよぅ。長いこと見てなきゃいいの――たぶん」 ミシェルは鬱陶しげにクラウドの手を払った。 「朝起きたら、あたしだけ椿の宿で寝てて、クラウドはいないし、フロントで聞いたら、クラウドはいっしょに来てないって言われて――もしかしたら神社に泊まったのかなって、来てみたんだ」 「そう……」 ララさんがあたしを連れてきてくれたんだってね、あとでお礼言わなきゃ、とミシェルは言った。 「あたしおなかすいたよ! 椿の宿で朝ごはん食べよ」 「ミシェル、まだ食べてなかったの」 「うん。ここ来ていなかったらおじいちゃんのところに行って、いなかったらうちに電話して、それからごはん食べようかと思ってた」 「そう。迎えに来てくれてありがとう」 クラウドが言うと、ミシェルは小さく言った。 「邪魔者あつかいして、ごめんね」 絵のまえで倒れたときに、クラウドたちがいなかったら、自分が朝までここで倒れていたかもしれないのだ。ミシェルがそっぽを向きながら感謝すると、 「……ミシェル!」 感激したクラウドが抱きしめようとしたが、背を向けて伸びをしたミシェルの拳が、きれいにクラウドの顎に決まった。 「で……っ!!」 「うわごめん! 今のわざとじゃないの! 今回のはわざとじゃない!!」 ミシェルはあわてて謝ったが、(今回のは?)とクラウドは顎を押さえながら涙目になった。 |