「ふたりきりじゃなく、カレンが寝ていますお部屋ですよ」

 「キスくらいなら許されるでしょ?」

 「それは、ゆるされられ……」

 「キスくらいならって、許してもらって、ちょっとだけボタン外してもいいって外させてもらって、それから……キリがなくなりそうだな」

 「たいへんだ! セルゲイの、セルゲイが、」

 「そう。俺の理性は、いま、このくらいしかないんだ」

 くすくすと笑いながら、セルゲイは、「このくらい」と角砂糖をひとつ摘まみあげて、コーヒーにトポン、と落とした。

 「だから、俺が今なにを言っても、眠すぎて理性が崩壊した男の、ひとりごと」

 「……セルゲイ?」

 

 「――カレンの命はあと三年しかない。ちょうど、地球につくころが、カレンの命が終わるとき。だから、カレンを愛するママたちは、カレンを地球行き宇宙船に乗せた。奇跡の起きる宇宙船だ。カレンにも奇跡が起きないかなって、一パーセントも望みをかけたかな。でも、カレンの病は治らない。なぜかな。本来なら治る病だ。――でも、カレンのそれは、治らない。悪化していく一方だ。原因不明。いままで十指を超える医者に見せたけど、みんなダメだと言ったって。どうして治らないのかわからない。ほかの病かも知れないと何度も検査をしたけど、アバド病以外ではありえない」

 「……」

「なんとか助けたいと願っている、そばで見守る男はある日、気づいた。もしかしたらカレンの病は、アバド病ではなく、――恐ろしいほどの孤独なんじゃないかって」

 「――孤独?」

 「そう。彼女の中の、孤独と絶望が、病を膠着させている――もう生きていても仕方がないと思う、その、絶望が」

 

 まるで永久凍土のような孤独が、カレンの胸に貼りついている。薬で消えないアバドの細菌は、消えないカレンの孤独のありさま。

 

 「カレンに生きる意味を与えたいと思った。でも、彼女がもとめる、生きる意味は、この宇宙船で地球にたどり着き、あたたかい仲間に見守られながら亡くなることじゃない。たとえ孤高に進んでも、L20の長として立つことなんだ。革命家メルヴァを捕らえ、L系惑星群に平和をもたらすこと――」

 「……」

 「カレンの立場は厳しい。カレンの本当のママがしたことで、カレンもまた、一族の中では悪く見られているんだ。ほんとうは、カレンが正式なマッケラン当主の跡継ぎだけれど、一族には認められていない。カレンを育てたミラ首相――カレンのママの妹だけれども、彼女の実の娘のアミザを次期当主にとのぞむ声の方が大きいんだ」

 

 ルナは、「カレンの本当の母親がしたこと」というのをセルゲイに聞けなかった。口を挟めるような雰囲気ではなかったからだ。

 

 「カレンは孤独だ――L20では」

 セルゲイは、コーヒーをスプーンで掻きまわす動作をピタリと止めた。

 「俺もカレンのママも、彼女には宇宙船にいて欲しい。孤独じゃない、仲間に守られた環境で、幸福の中で終息を迎えて欲しい――助からないのなら。でも彼女は、どうせ自分の命が三年しかないのなら、その命をL20のために捧げたいと願っている。困難すぎる道だ。苦悩が、カレンの寿命を短くする可能性だってある――俺は、彼女の願いをかなえてあげたいけれど――俺は、最期までそばにいるつもりだけど――辛い道は、選ばせたくないんだ」

 セルゲイは、力なく笑った。

 「俺は――彼女の願いをかなえてあげたいけれど、辛い道は、選ばせたくない」

ルナはおもわず、セルゲイが組んだ両手を、そっと、握った。

 

 

 セルゲイはカフェのソファで三十分ほど眠った。ルナは膝でなく、隣で肩を貸した。セルゲイがそれでいいといったからだ。ルナはずっとセルゲイの手を握っていた。セルゲイは予告した通りほんとうに三十分で起きて、ふたたびルナと一緒に病室へ戻った。

 カレンはすやすやと、気持ちよさそうに寝ている。

 

 ルナは、セルゲイが寝ていた間も考えていたが、やはりカレンの寝顔を見守りながら、考えた。

 カレンがたすかる道をだ。

 カレンだけではない、セルゲイもみんなも、“ハッピーエンド”になる道を。

 

 うさぎの口をしてかんがえたが、いい考えはさっぱり浮かばない。

 (ペリドットさんは、だからあたしに、ZOOカードをくれたのかな)

 

 ――カレンを、助けるために?

 

 時計が二時をさしたころ、セルゲイとルナを迎えに来たのは、クラウドでもアズラエルでもなく、ミシェルだった。

 

 「カレンさん、どう?」

 「今はよく眠ってるよ。私も一度帰って、カレンの着替えを用意して、また病院に来ることにした」

 この一週間は、病院と家との往復になると思う。セルゲイが言い、

 「ミシェルちゃんかルナちゃん、悪いけど、この一週間だけでいいから、シャインをつかえるカード、貸してもらえないかな?」

 「そのことなんだけどね……」

 病院内のシャイン・システムのまえ、ミシェルは言った。

 「まあいいや、あたしがいま説明するより、行った方が早いや。リズン前の公園に出るからね。リズンに寄って帰るから」

 「え?」

 「アントニオが、セルゲイさんに渡したいものがあるんだって」

 

 ミシェルもきのう、真砂名神社でいろいろあったらしい。そのうえ、カレンの病のことを知り、頭が煮詰まったので、ミシェル曰く最大の癒しである、リズンのカフェ・モカを飲まずにいられなかった。そこで、ひさしぶりにアントニオと対面した。それで伝言を受け取ったのである。セルゲイに渡したいものがあるから、何かのついででもいい、リズンに寄ったら、声をかけるように言ってくれと。

 

 「私に? なんだろう――」

 「たぶんね、シャインのカードじゃないかと思うの。アントニオが持ってたから」

 三人がリズンに着くと、アントニオが、店長自らカフェテラスのテーブルを拭いている、店は閑古鳥だった。

 「あっ! ひさしぶり! 元気にしてた?」

 アントニオと会うのも、久しぶりだったかもしれない。気が沈んでいたルナとセルゲイは、アントニオのぱっと咲くような笑顔にずいぶんと癒された。

 「さっそく連れてきてくれたの? ミシェルちゃん、ありがと」

 アントニオは、エプロンのポケットから、シルバーの電子カードを取り出して、セルゲイに渡した。