――アントニオが、燃えている。

 

 ルナとミシェルは、思わず、「消火器!」と叫ぶところだった。真砂名神社の拝殿から出てきたアントニオは、猛火につつまれていた。高僧の姿の彼は、錫杖をついた状態で、真っ赤な火の塊と化していた。

 何メートルも離れているルナたちでさえ、炙られる熱気に目を開けているのもつらいのに――。

 だが、火の中心にいる彼は燃えてはいない。

一歩ずつ進むたびに草を燃やし、火の道を作っていくアントニオは、まさに太陽が地上に降りてきたようだ。

 アントニオを覆う火が真砂名神社に燃え移り、大慌てで神官たちが、燃えるそばから水をかぶせて、消している。

 

 アントニオは、階段の手まえで、止まった。そして、左手で持ち上げるようなしぐさをしたかと思うと、アズラエルとグレンの身体が宙に浮きあがった。

 

 「うおっ!?」

 アズラエルたちの唸り声が、ルナのところまで届いた。

 石像も、みるみる火炎に包まれて炎上した。

アントニオが、二人の身体を、手繰るように引き寄せる。

 

「――おお!」

群衆から、歓声があがった。

 

アズラエルたちも火に包まれたので、ルナは一瞬焦ったが、彼らもアントニオ同様、燃えてはいないようだ。石像は業火の中で、超然とふたりを見下ろしている。

宙に浮いた状態で浮遊していたアズラエルたちは――十段目に当たる位置で、見えない壁に阻まれた。

アントニオが手を下ろすと、二人の身体は階段に着地する。

ふたりは、久方ぶりに、自分の足で立った。

「見て! ルナ、立ってる!」

「う、うん……!」

ミシェルと互いにしがみつきあって、ルナはその光景を見ていた。

 

 まるで熱くないのが不思議で――アズラエルとグレンは、火に包まれた自身の両手を眺めたが――、

 「イデッ!」

 「くっそ……!!」

ふうっと火が消えた途端に、ふたたび重みがのしかかってきて、膝をついて倒れ伏した。

 

 グラリとアントニオの身体が揺れ――すべての火が、彼の身体に吸い込まれるようにして消える。

 

 「きゃああ!」

 ルナとミシェルは、火が吸い込まれるのと同時に起きた風圧で飛ばされそうになり、木の幹につかまった。シグルスが、彼女らとおじいさんを庇うように上から腕で覆ってくれた。

 ルナたちが恐る恐る顔を上げると、あたりを燃やし尽くしていた火はすっかり消え、焦げ臭いにおいと煙が立ち上っている。尻もちをついていたアントニオが、「イテテ……」とうめきながら立ちあがった。

 「あいてて……くそ、少し動かすだけでこの被害かあ……」

 アントニオは周囲を見わたし、困ったように頭を掻く。

 

 アズラエルとグレンは、七十三段目に到達した。 

 アントニオが立ちあがったのを合図に、灼熱の太陽は空から消え――みるみる、商店街の雨雲が、階段と真砂名神社上空も覆い出した。

 残り火を消すように、雨がしとしとと降りだした。

 

あとすこし――。

ルナもミシェルも、駆け出した。

 ルナたちに引きずられるようにして、やじ馬も階段前に殺到する。――殺到したはずだったが、ルナたち以外は、階段をのぞき込んだ後、皆逃げるように拝殿の近くまであとずさった。

 

 

 (――死んだ)

 (これは俺、死んだな)

 

 かろうじて意識が残っているアズラエルとグレンは、自分を見下ろす魔王の様な男を見て、そう感じた。

 金色に、らんらんと輝く双眸――身体じゅうから、漆黒のオーラが立ち上っている。

 ポロシャツに、スラックスと革靴という姿に、これほど恐怖を感じたのははじめてだ。

 

 どの神かはわかった。一発で分かった。

 

 眉は鋭く跳ね上がり、炎のような金色が目尻から揺らめき、口から青黒い瘴気が漂っている――のぞく牙が。

 肉食獣も真っ青なほど、鋭く大きい。

 セルゲイにいろいろオプションを加えると、こんなに怖い見かけになるのか。

 すくなくとも、助けてくれそうな容姿はしていなかった。

 

 「……ラスボスだ」

 かなりヤバい系の。ミシェルが呟き、

 「わたしが敵にしたくないのはあっちだね」

 ララも同意した。

 

だが、夜の神は、見かけに反して実に親切だった――アズラエルとグレンを、手を使わずに浮き上がらせると、そのまま、両肩にかついだ。そして、ずしん、ずしん、と重さを響かせるような足音で、十段、上がる。

十段目でやはり彼も立ちどまり、それ以上上に行けないことを不思議がるように、見えない壁を押していたが――やがて無駄だとわかるとふたりを下ろすために片膝をついた。

 八十三段目で、ふたりを階段に降ろすしぐさも、セルゲイの名残が残っていた。彼は少なくとも、重さにかこつけて乱暴に落としはしなかった。ふたりを階段に座らせ、ゆらりと離れる。

 (おいおいおい――足が、地面から離れてるぜセルゲイ)

突っ込む勇気は、グレンにはなかった。

黒雲のなかに漆黒の煙が立ち消えるように、夜の神がセルゲイの身体から抜けて行った。夜の神の黒い煙は、一度ルナの周囲を取り巻き――キラリと光って真砂名神社の拝殿へ吸い込まれていく。

同時に、夜の神の塔の火も消える。

 

「……」

助かったけど、怖かった。

アズラエルもグレンも――ついでにクラウドとニックとベッタラも、セルゲイには逆らわないことにしようと、固く心に誓ったのだった。

 

 セルゲイが、グレンとアズラエルに被さるように倒れる。

 「ぐおっ!?」

 「重い!!」

 「あっ、ご、ごめん……!」

 

 意識が飛んでいるわけではなかったらしい。セルゲイはあわてて立ちあがった。

 「ああ――なんかすごかった――」

 セルゲイはぐったりくたびれたように嘆息し、

 「ふたりとも、いったいどうし……、」

二人に理由を聞くまえに、セルゲイはララとクラウドに促されて、階段を上がらせられた。次の手助けが待っている。

 

 ――あと、二十五段。