「うおっ!?」

 「うがっ!?」

 

 ルナはまた盛大にコケ、アズラエルたちは放り出された。

ふたたび襲い来る重量感。

またゆらりとルナの身体が立ちあがり、今度はペリドットの様な格好の男が現れた。貫頭衣にぼろぼろの布を巻き、手と足に鎧をつけている。薄汚れた服装は、いかにも各地を放浪している旅人といった様相だ。

さっきの縦にも横にもでかい大男ほどではないが、アズラエルとグレンくらいの体格はある。ルナだと分かるのは、その、つぶらな瞳と優しげな口元。だが、無精ひげのあるルナなどふたりは見たくなかったというのがほんとうだ。

 彼はアズラエルとグレンの胸ぐらをつかむと、強引に引きずりあげる。

 声は聞こえなかったが、「しっかりしろ!」と言われているような気がする。

 アントニオにも、彼の正体はわからないが、ルナの前世が次々と姿を現していることは違いなかった。それも、力のありそうな男を選んで。

 

 旅人の恰好をした男は三段引き上げて、ふっと消えた。

 

――あと、五段。

 

二人はまた投げ出され、顔面を石畳に打つところだった。次に現れた軍服の男に、アズラエルはおもわず呻いた。

 

 「――ロメリア」

 

 グレンが思わずアズラエルを見た。

ロメリア。聞いたことがある。だがどこで? 

L18の陸軍の軍服を着た優男は、ルナのように小柄で華奢だった。

 

 ――だいじょうぶ。アシュエル、グレン。ひとりずつだけど、俺、がんばるから――

 

 今度ははっきりと、ルナとロメリアの姿が重なった。ロメリアはグレンを起こし、肩を貸すと、一歩ずつゆっくりと階段を上がった。三段上がったところでグレンを丁寧に階段に座らせ、今度はアズラエルのところまで戻った。アズラエルのことも同じように手助けして上がらせ、ロメリアは消えようとした。

 

 「――おい、待て、――ロメリア!!」

 アズラエルが思わず叫んだが、ロメリアはグレンとアズラエルににっこりと微笑むと、すうっと消えた。

今度こそ、ルナは倒れた。

とたんに、今まで三分の二ほどになっていた重さが一気にアズラエルとグレンを押し潰し、ふたりは階段に叩きつけられた。

 「ぐっあ……」

 「くっそ……重てえ……!」

 

 あと、二段。

 

 ――もう、いいわね。

 

 真砂名神社の階段の、上と下で見守る者も、階下の商店街の者も、神の姿も石像の姿もその目に映せなかったものでさえ、その透き通るような声と、けぶるような桃の香を嗅いだ。

 

 ――さあ、アズラエルとグレンを助けて。

 

 目がくらむような銀白色の光が、ララでさえ口を開けて見とれるくらいの美しさの女神を、隠している。

 

 ここまでくれば、指を咥えて見ている必要はない。ララとクラウド、シグルスも含め、神官大勢、上に上がってきていたニックもけがをしていない方の腕をつかい、素のアントニオとセルゲイも協力して、ミシェルも下から押し上げて、なんとかふたりを頂上まで引き上げた――。

 

 「はあっ、はあっ、」

 「やった……!」

 

 ふたりを上に引き上げた刹那――またゴゴゴゴゴと音がするので、夜の神の降臨かとあわてた皆は、それが上からの音でなく、下からすることに気付いた。

 地鳴り――いや、階段上に向かって、風が吹き上げている。

 

 「うわ、……!」

 紅葉庵に避難した者たちも、柱につかまって吸い込まれるのを防いだ。棚や壁はくずれ、テーブルも椅子も階段のほうへ吹き上げられていく。

 

 

 空が割れ――青空を表示している宇宙船の映像システムが、急に切れた。漆黒の宇宙が、あらわれる。

 百メートル級の石像が、吸い込まれるようにアズラエルとグレンの中に消えていく。

 

 「おお……!」

 神官の数人が、その光景を伏し拝んだ。

石像が、完全に吸いこまれたのち――風は止まった。

 空のシステムはもとに戻り――何ごともなかったかのような、青空が広がっていた。

 

 セルゲイは階段途上で倒れたルナを抱きしめて、座り込んでいた。

 階段下の商店街の惨状が目に入り、愕然とする。

 階下には――救急車の燃えカスから黒い煙がいまだ立ちのぼっており――全焼していた建物もあった。石像が消えるときの豪風で、とどめをさされた家屋もあった。けが人はいないようだが。

 すすの匂いが鼻を衝く。

 

 (いったい、なんだったんだ)

 

 セルゲイの言葉は、喉奥で消えた。

 女神はもういなかった。月の女神の塔の火は、消えている。

 クラウドも、立ち尽くしていた。


 (俺は――なにをやっていたんだ)

 数分、呆けた顔で立ち尽くしていた彼を次に襲ったのは、自身に対する猛烈な怒りと後悔だ。

 (俺は、なにをしていた? 何ができた? 俺にできることは、もっとほかにあったんじゃないのか?)

 この“儀式”は、予定されていたものなのか。足元で気絶しているアズラエルとグレンは、何も知らずに階段を上がったのか。

 知っていたのはだれだ。――イシュマールか? アントニオか。ミヒャエルか――。

 (俺は、なにも、知らなかった)

 起こった現状に振り回され、手立てもなく膠着していただけだ。

 (アズラエルもグレンも、甘ちゃんになっただって?)

 

 ――宇宙船に乗って、なまくらになっていたのは、俺か。

 

 「ちょ……! クラウド、どこにいくの!?」

 ミシェルは、救急隊に運ばれていくふたりを見もせずに、踵をかえして奥殿のほうへ向かっていく恋人に声をかけたが、めずらしくクラウドは、振り返りすら、しなかった。

 

 

 「終わったあ……」

 アントニオが、ヘトヘトだという顔で、大の字に寝転がった。

 

 「儀式終了――くたびれたあ――」

 

 

 

 

 そのころ、真砂名神社の奥殿の、四神の間では、ペリドットがアントニオと同じ格好でひっくり返っていた。

 

 「やっぱり、俺には、“千転回帰”は無理だ……」

 

 ペリドットは神力を使いすぎて、アズラエルたち同様の状態になっていた。もう、指一本、うごかせない。

 

 「早く何とかしてくれ、ルナー……」

 

 宙に浮いた四枚のZOOカード――「夜の神」が「パンダのお医者さん」に戻る。

呼応するように、「月の神」が「月を眺める子ウサギ」に。

「太陽の神」が「高僧のトラ」に。

「真昼の神」が、「母なる金色の鹿」に。

 

カードを虚ろな目で眺めながら、ペリドットはぼやいた。

 

――はやく、アンジェリカを助けてくれ、ルナ。