百七話 ZOO・コンペティション U



 

 ルナは、森の中に佇んでいた。

 あわてて後ろを振り返るが、うっそうと茂った木々や草むらが来た道を覆い隠し、ルナは戻れないことを悟った。

 アズラエルとグレンが心配なのに。

 ふたりはどうしただろう。階段は頂上まであとすこしだったけれども、ルナは最後まで引き上げられずに倒れてしまった。

 アズラエルは。グレンは。

 夢を見ている場合ではないのに。

 だがルナに、戻るべき道はない。

 

 ルナはほっぺたをぷっくりとさせ、険しい顔で前を向いた。そうして、前に続く道を、座った目をしてズンズン歩いて行った。ルナは以前もここを通ったことがある。夢の中で、ペガサスといっしょに月を眺める子ウサギの後をついていき、フクロウに会いに行った。

 あのときは、真っ暗で、道しるべも明かりもないこの森が怖くて、ペガサスと寄り添いながら、必死でまえを歩くピンクのうさぎにくっついていったのだ。

 今のルナは怖くなかった。怖いと思う気持ちすらなかった。

ルナはいつしか走っていた。

 助けなければ。

 アズラエルとグレンは、自分が助けなければ。

 そう思う気持ちしかなかった。

 ちっぽけな自分がどうとか、そんなことは微塵も浮かばなかった。

 ルナはうさぎのように軽やかに走った。真っ暗な道を、ただまっすぐに。

 そうしたら、急に明るい場所が見えてきた。ルナはめずらしく――というより生まれてこの方はじめて――うさぎらしく、すばしっこく走っていたがために、急に止まることができなかった。明るい場所に飛び込み、急ブレーキをかけたおかげでつんのめり、顔面から地面に着地した。

 夢の中なのに鼻っ柱は非常に痛かった。ルナは涙目で起き上がり、めのまえの光景を見つめて「あっ!」と声をあげたのだが、誰もルナには気づいていない。

 

ルナが飛び込んだ場所は、いつかフクロウたちとお茶会をした場所だった。だが今日、フクロウは一羽もいない。かわりに、大きな長テーブルを囲むのは、さまざまな動物たちだ。

見知った顔ばかりだったので、ルナは「こんにちは!」と大声で挨拶をして仲間入りを果たそうとおもったが、だれも応えてくれなかった。

おそらくルナ本人であろう“月を眺める子ウサギ”――つまりピンクのうさぎも出席しているというのに、彼女もこちらを振り返ることすらなく、隣の青い猫――“偉大なる青い猫”と話している。

ルナは以前もこういった夢を見たことがある。ルナは夢の中の登場人物ではなくて、夢の中で起こった出来事を他人事のようにみている。今回もそういう夢なのだと悟ったルナは、とにかく、登場人物を確認することに決めた。

 

しかし、錚々たる顔ぶれである。

奥、左の席から大きなトラ――“高僧のトラ”――たぶんお坊さんの格好をしているから――、その隣には、ルナが初めて見る金色の鹿がいた。ルナはその優しげな目元を見て、すぐに正体に感づいた。あれはカザマだ。

金色の鹿の隣には、おおきな黒いタカがいる。居眠りをしているようだ。

タカの隣にいるのが、パンダだ。“パンダのお医者さん”。

パンダの隣にいるのは、軍服を着た銀色のトラ。“孤高のトラ”だ。

手前の席に、ルナに背を向けた形で座っているのはメガネをかけたライオン――“真実をもたらすライオン”だ。その隣に偉大なる青いねこ、そしてルナ自身である月を眺める子ウサギ。

それから一席空けて、“傭兵のライオン”。

両端の席にいるのは――ルナから向って右が、あきらかにペリドットだとわかるトラ。ペリドットと同じ服装をしているからだ。だとすればあれは“真実をもたらすトラ”。

そしてルナから向って左にいるのが、ルナが見たことのない――あれは犬? 

ルナは目を凝らし、犬にも似た生き物を眺め、首をかしげた。もう一度しげしげと眺めたが、犬種が思い浮かばない、ブルドッグに似ている気もするが、何か違う。ルナは頭を抱えて唸っていたが、犬がくしゃみをした瞬間にわかったのだった。

これは、神社の狛犬だ。

真砂名神社の階段の一番下と、拝殿の入り口の両脇にいる狛犬にそっくりだ。

ルナは、この狛犬の正体がだれだか、まったくわからなかった。

 

 そして、なぜだか一席、空席がある。ピンクのうさぎの隣だ。

 そこには紅茶が置いてあるのだが、だれか来る予定だったのだろうか。

 

「まったくもって、不便も甚だしい。話し合いは、ここでしかできんということが!」

狛犬が憤然とした様子で話す内容が、やっとルナの耳にも入ってきた。動物たちはさっきからなにくれと喋っているのだが、ルナの耳には「もにゃもにゃ」とか「もきゅもきゅ」といった音や、猛獣系の唸り声しか聞こえなかった。

「そう仰るな、“犬のご意見番”よ。仕方がない、“ZOOカード”の世界でしか、我々は話あえん。なぜなら、ZOOカードだけが、ラグ・ヴァーダの武神が知ることのない占術であるからな」

真実をもたらすトラがそういって狛犬をなだめる。

「ZOOカードは、近年、若きサルディオネ――“英知ある灰ネズミ”が生み出したもの。ラグ・ヴァーダの武神が生きていた時代にはなかったものでありますから。ZOOカードの世界だけは、ラグ・ヴァーダの武神が干渉できない世界ですわ」

金色の鹿が上品に紅茶を啜りつつ、説明してくれた。ルナはなるほどとうなずき、ぴーんと伸びきって、話に聞き耳を立てていた。

 

「しかし、ラグ・ヴァーダの武神をその身に宿した“白ネズミの王”も、ZOOカードの存在を知っている」

黒いタカが、寝ぼけ眼で言った。

「白ネズミの王は、ラグ・ヴァーダの武神を宿したそのときから、すべてを支配された。白ネズミの王の知識は、すでにラグ・ヴァーダの武神のものだ。まったく干渉できぬというわけではないだろう」

「もっともだ」

真実をもたらすトラは言った。

「だが、ZOOの支配者ではないかぎり、ZOOカードの世界すべてを知ることはできない」

「そうだ。だから我々は、こうしてZOOカードの世界でしか今後のことを話し合えぬのだ! 生きて動いている我らが話すことは、すべてラグ・ヴァーダの武神に知られてしまうのだから、」

 

狛犬が言った言葉で、ルナはすべてが腑に落ちた気がした。

そうだったのか。

どうして、アントニオやカザマたちが、メルヴァのことをほとんど口にしないのかが、ようやくわかった気がしたのだ。

アントニオたちは、きっと、すでにメルヴァを迎え撃つための計画を立てているとルナは思っていた。ルナたちに知らされていないだけで、極秘に計画は進められている。

アントニオたちを筆頭に、メルヴァと戦うための組織がつくられていて、それにアズラエルもクラウドも参加したのはルナも知っていた。だが、具体的な作戦会議は一度も開かれていないのだと彼らは言った。ふたりがルナにだけ秘密にしているわけではなかった。ふたりも、不審がっていたのだ。組織に参加したはいいが、作戦会議に呼ばれるわけでもなく、具体的な説明すらない現状を。

当然、ルナにもくわしい説明はない。

ルナは当事者だというのに。

メルヴァは、ルナをさらいに来るか――殺しに来るのである。

ルナをおびえさせないために、話さないこと、話せないことがあるだろうことも、ルナはわかっていた。

だが、アントニオもペリドットも――そしてカザマも、イシュマールも。

話さないのではなく、話せなかったのだと、ルナはようやくわかった。

具体的な作戦会議は、すべてラグ・ヴァーダの武神に知られてしまう。

千年に一度生まれる“メルヴァ”という改革者は、予言できないことがないとされるほどの予言者だとアントニオは言っていた。すなわち、彼はすべての未来が見えてしまう。

だとすれば、生きているアントニオたちが話し合っている計画は、メルヴァが知ろうと思えば、知ることが可能なのだ。だから、アントニオたちは、彼に「知られてもいいこと」しか、アズラエルたちには話せない。

ルナはこくりと喉を鳴らした。

――これから起きる、メルヴァの軍隊との戦い。

メルヴァは、未来がぜんぶ見えてしまう。だとすれば、こちらが立てた作戦図案なども、すべてメルヴァに内容を知られているのではないか――。

ルナは嫌な予感を、頭を振って打ち消した。

生きているアントニオたちは、いったいどうやって、メルヴァに知られないように、対策を立てているのだろう。ZOOカードの世界の会議だけで、万事整うわけがない。

それに、皆不思議なことを言っている。

ラグ・ヴァーダの武神をその身に宿した、“白ネズミの王”?

 

(メルヴァは、ペリドットさんの話によると、ラグ・ヴァーダの武神の生まれ変わりで――)

 

L03の民が祀っている、偽物の真砂名の神、ラグ・ヴァーダの武神。

 

ルナはそこまで考えてはっとした。なぜそんなことを自分が知っているのか、わからなかった。ペリドットはそんなことまで教えてくれなかったはずだ。

 

その武神の生まれ変わりが――メルヴァ?

(あれ……? 違う)

ルナは何かおかしいことに気付いた。

(ちがうよ。ラグ・ヴァーダの武神は、生まれ変わっていない)

 

アストロスの遺跡と、L03(ラグ・ヴァーダ星)の遺跡に封じられたから、“生まれ変わることができない”のだ。