「……別に、おまえのことも、サルーディーバも責めてねえよ」

 アズラエルは、自分よりずっと年下の少年の目を見つめて言った。

 「俺は傭兵だ。――政治家じゃねえし」

 

メルヴァは涙の残る、赤い目を上げた。グレンが綺麗な目、といったやつだ。アズラエルには、眩しすぎる気がした。昨日凍っていた噴水は、今日は流れている。砂漠に流れる水凪に、朝日が乱反射するせいかもしれないとおもった。思うことにした。

 

 「貴方はきっと、三年後に宇宙船で、あの少女に出会います」

 「あ?」

 

 少女って何だ、とアズラエルは思い、グレンとした女の話を思い出して嘆息した。

 それはグレンに言うセリフじゃねえのか。少女って、グレンが見てた夢だろ。

 まったく、こんなとこには二度と来たくねえ。

 俺の目に見えるものの話をしてくれ。

 

 アズラエルの言葉に、メルヴァは苦笑し、ちいさく首を振った。

 

 「分からなくてもいいんです。ありがとう――あなたはほんとうに強い方だ」

 「……」

 「万年も生まれ変わりを繰り返すタマシイは、こんなにもあたたかく、そして強いのですね……」

 メルヴァは目にいっぱい涙をためて言った。

「サルーディーバ様にも、グレンさんにも。……わたしはきっと、L03に残ります。このつぐないのために」

 

 意味がわからない。アズラエルが言いかけたが、

 「アズラエル、早く乗れ! 出発するぞ!」

 バーガスが叫んだ。アズラエルは話を切り上げて、乗りこむ。

 

 「わたしは、貴方がたの幸せを祈ります。グレンさんとサルーディーバさまの幸せも。むろん貴方のことも……! あなたと出会う少女の幸福も――お元気で……!」

 

 ヘリが、地上を離れる。ヘリが、視界から消えるまで、メルヴァは手を大きく振り続けていた。

 

 ぷつりと、テレビの電源が消えるように、画面が消える。

 かすかに、ざあ、ざあ、と潮の満ち引きの音が聞こえた気がした。

 砂嵐の音だったのだろうか?

 

 黒い画面は砂が掠れるような音を出していたが、やがてまた、ぱっとついた。

 今度の場面は、土壁でできた街並みを背景にした、白い巨柱が目立つ宮殿だ。

 メルヴァが、街を見下ろしながら立っていた。その傍らには、黒いフードと、明るいカラーの宝石を身に着けた、ルナも目を見張るほどの美しい少女が立っていた。ルナは、メルヴァと顔だちがよく似たその少女がマリアンヌだと、すぐに気づいた。

 

 「マリー、あのね……」

 メルヴァは、頬を火照らせていた。これ以上ないくらい真っ赤に。そうして、心に秘めていた重大な決意を告白するかのように、全身を震わせながら小声で言った。

 「ア――ア、アンジェと、――アンジェと、キス、しちゃった――」

 ルナは、メルヴァが事前に男だと分かっていなかったら、この様子を、はじめてのキスを女兄弟に告白した少女の物語、と勘違いしていたかもしれない。それほどまでにメルヴァのすがたは、新聞やニュースで知る彼のすがたとかけ離れていた。マリアンヌと同じ黒髪で、身長も変わらない、少女と見まごうような容姿なのだ。

マリアンヌは、弟のありさまに、どんな深刻なことを告白されるか気が気ではなかったのだろう。美しい顔を緊張に強張らせていたが、弟の言葉を聞いてふっと肩を落とした。

 

「――それは、よかったわね」

マリアンヌの声には、幾ばくかの羨望が込められていた。マリアンヌは、愛した人間との恋がなかなかうまくいかないことに、多少失望していた。シエハザールはカタブツで、マリアンヌと二人きりの時間を、是が非でもつくろうとしない。

いつもは、神経質なまでに、ひとの顔色を伺うことにたけたメルヴァが、今ははじめてのキスの高揚のためか、姉の小さな嫉妬には、微塵も気づいていなかった。

 

「わたし――わたしは、ね。――がんばって、強くなる」

「え?」

「アンジェをね、守るために、つよく、なりたい」

マリアンヌは、アンジェリカがメルヴァの婚約者になったことを歓迎していた。アンジェリカは芯が強い子だ。必ずこの頼りない弟の支えになってくれるに違いない。

「それは当然ね。あなたは、多少強くならなけりゃ」

今のままじゃ、メルヴァの役割なんて、果たせっこないわよ、とマリアンヌは小馬鹿にした様子で言った。「声が大きいよ、マリー!」とメルヴァは情けない顔をして、あたりをキョロキョロ見回した。

長老会に聞かれたら、大変だ。長老会は、「革命家メルヴァ」を忌避しているのだから。

 

「だいじょうぶよ。だれもあなたに、メルヴァの役割なんか期待しちゃいないから。今や、長老会だって安心しきってるわ。今のあなたを見て、革命を起こせるほど頼りがいのある人物だなんて、誰が思うかしら? あなただって嫌なんでしょ。戦うのも、自分も他人も、傷つくことも」

メルヴァは、蒼白な顔をした。このあいだの、グレンのひどいけがを思いだし、戦争の無残さを目の当たりにした記憶をよみがえらせて――。

メルヴァはたっぷりと目に涙をためたが、袖で拭って、尚も言葉を紡いだ。

 

「ずっとずっと、ツアオみたいには強くなれないと思っていた。わたしは身体も小さいし、シエハザールみたいに、剣も学問も達者になんて、できないし――」

弟の卑屈は、幼いころから聞き飽きている。マリアンヌは嘆息と同時に、いつものようにたしなめようとしたが――。

 

「でも、わたしは、アズラエルさんのように、強くなりたい」

メルヴァは、先ほど、はじめてのキスを告白した瞬間のように、頬を紅潮させて怒鳴った。

「あのひとのように――ほんとうの強さを持ちたい! け、剣が強いだけじゃなくて、格闘が強いだけじゃなくて――その――こころの、つよ、さ、を、」

メルヴァは、言いたいことがうまくまとめられなくて、悩んでいるようだった。

 

「運命に負けない――つよさが、欲しい」

 

今度こそ、画面はプツリと切れた。照明がゆっくりと明るくなり、ルナは、トラとライオンと一緒に、また映画館に座っていた。赤い緞帳は下りていて、「今日はこれでおしまいです」とどこからか、ジャータカの子ウサギの声が聞こえた。