(マリーの焦りも、相当なものだっただろう)

 なぜ、サルーディーバが、宇宙船に乗る羽目になってしまったのか。

 そこにはサルーディーバが邪魔だった長老会の陰謀もあるが、なによりも、ルナがサルーディーバを救うのだと、サルーディーバ自身が受けた予言のせいだ。

 

 (マリーは恐らく、サルーディーバの性格を察して、こういったややこしい事態になるのを避けたかった。だから、あれほど、サルーディーバを連れ戻せと長老会に頼んだ……)

 

 サルーディーバは、ルナの前世が“メルーヴァ姫”であることを知っているのだろうか。だから、彼女が“イシュメル”を産むと思っているのか。

 それとも予言どおりに、グレンの愛した女が産むと、信じ切っている。

 

 (――おそらく、後者だな)

 クラウドは推察した。グレンの愛した女が産むと思っているから、ルナとグレンを結び付けようとしているというのが妥当だ。

 ルナとグレンのあまりに強い結びつきを見たせいで、グレンが自分を愛するわけはないと思い込んでいる、基本的な勘違いだ。

 冷静に考えれば分かるだろうが、自分のことになると思慮が及ばなくなるのは、生き神も同じということか、とクラウドは微笑ましく思った。

 (サルーディーバも人間だ)

 クラウドは苦笑した。

 (グレンとサルーディーバも、お互いを知りあえばきっと、ふかく愛し合う間柄になる)

 

 ――グレンとサルーディーバは似ている。

 

 片や軍事惑星群の名家の嫡男として、片や惑星群の生き神として、生まれたころから“一族”というものに縛られ続けてきた。自身の望みや意志とは無関係の生活を強いられてきた。

 ふたりは孤独だ。数多くの崇敬者を持ちながら、その魂は誰よりも孤独だ。それゆえに、自身のしあわせを投げ打ってまで、他者の幸福を叶えようとする。

グレンもサルーディーバも、その孤独な魂を温めあうのは、互いにしかできないとクラウドは思った。

 

 (……おそらくルナちゃんでは、グレンの芯を温めることはできない)

 

 なぜなら、ルナは、グレンだけのものにはならないからだ。

 ルナはいつも人に囲まれている。そうでなくてはならない。ルナはたくさん人に与え、たくさんの人から愛される。神とはそういうものだ。だから、グレンがいくらルナに、「俺だけを愛してくれ」と望んでも、それは不可能な相談なのだ。

 そしてグレンは、自分だけを見てくれ、愛してくれる人でなければ、その冷え切った心臓は温まらない。孤高は消えない。

 それがグレンとアズラエルの徹底的な違いだ。

 アズラエルは、ルナを独り占めできないことを知っている。ルナを自分だけのものにしたいと望みながら、そうしたときのリスクも知っていて、恐れている。そして、アズラエルはグレンのように「孤独」ではない。彼は愛情を知っていて、それを周囲に与えることもできる。素直に受け取ることもできる。

 形は違えど、ルナとアズラエルはある意味似た者同士なのだ。

 

 (サルーディーバとグレンと同じく)

 サルーディーバとグレンは、互いに「ひとり」しか欲しくない。自分の身を捨ててそそぐ、熱い一途な愛情。それがたがいに向けられれば、鋼鉄の心臓も溶ける。

 

 (案外、理想的な恋人同士だと思うんだけど……俺は、恋のキューピッドは柄じゃないし)

 そのあたりは、月を眺める子ウサギがなんとかしてくれるのではないかと、クラウドはすっかり投げていた。

 クラウドは、サルーディーバの顔をながめながら、名前の下にある「迷える子羊」の名称を眺めた。

 

 (恋を知らずに生きてきたから、だれよりもシンプルに恋の苦悩を味わっているんだね、君は……)

 サルーディーバとしての自分、個としての自分、女としての自分、姉としての自分、……彼女が認めるのは、サルーディーバとしての自分だけ。ひとには誰しもたくさんの顔があるのに、サルーディーバは、サルーディーバとしての自分しか知らない、認めようとしない。

 (グレンしかいないのに)

 グレンしかいない。サルーディーバにほかの自分があることを教えてあげられるのは。そしてすべてのサルーディーバを飲み込んで、愛してくれるのは。

 

 (生き神と呼ばれるサルーディーバが誰よりも人間らしくて、ひととして生きてきたルナちゃんが、神さまなんて、ヘンな話だ……)

 クラウドには神も仏も分からない、あることは疑わないが、これらのことは、かつてクラウドの日常にはまったく関係のないものだった。

 

 (そもそも、イシュメルは、ルナちゃんが産むんじゃない)

 グレンが愛した女が産むのでもない。

 サルーディーバが産まねばならぬのだ。

 L03の生き神の象徴たる、“サルーディーバ”ではなく――。

 

 (サルーディーバは、アンジェの実の姉だ)

 アンジェリカの姓は“エルバ”。

 アストロスの言語に直すと、“メルヴァ”。

 つまり、クラウドの推測が外れていなければ、アンジェリカとサルーディーバは、メルーヴァ姫の生んだイシュメルの、正統な血族なのだ。

 

 つまり、サルーディーバかアンジェリカの生んだ子どもが、“イシュメル”なのだ。

 

 それが、クラウドがここ数日でたたき出した結論だった。

 

(それを、ラグ・ヴァーダの武神を身に宿した革命家メルヴァは知っている)

 だから、アンジェリカとサルーディーバを、連れ去ろうとした。それが、以前真砂名神社にシエハザールの幻影が侵入し、夜の神の鉄槌が下されて奥殿が焼けたときの真相だろう。

 

 奇しくも、“エルバ”の一族に、サルーディーバと予言された子供が生まれた。

 

 (もしかしたら、これもサルーディーバが地球行き宇宙船に乗ることになる、フラグだったのかもしれないな)

 ルナがサルーディーバを救うという予言も、あながち間違いではないかもしれない。この宇宙船に乗ったグレンとサルーディーバを、ルナが結び付ける。

 最初のシナリオ――グレンがL03に行って、サルーディーバと結ばれるというシナリオは、グレンにとって危険すぎる気が、クラウドはした。サルーディーバと交わったグレンは、殺される危険性すら秘めている。また、地球に在住せず、L系惑星群に戻れば、ドーソン一族として逮捕、投獄される危険もある。なにしろ彼は、嫡男なのだ。

 どちらにしろ、最初のシナリオでは、サルーディーバと交わったが最後、グレンの命が終わり、という気がクラウドにはした。

 

 (そのシナリオを、月の女神か真砂名の神かが、書き換えようとしているのだとしたら?)

 

 クラウドがまた空中のキーボードをたたくと、三つのデジタル画面が表れる。

 

 サルーディーバ――L03の主で、L系惑星群においては生き神の象徴であり、太古のラグ・ヴァーダにおいてはラグ・ヴァーダ星最後の女王の名だが、今日まで代々続くサルーディーバの名は、地球のマーサ・ジャ・ハーナの神話に出てくる、不死の船大工の名である。

 メルヴァ――千年に一度現れる、L系惑星群を変革せんとする革命者。けれどもそれは後付けの歴史であり、真実の歴史によると、ラグ・ヴァーダの武神がよみがえり、L系惑星群を滅ぼそうとする象徴なのでは?(クラウド私見)

 イシュメル――メルヴァとは逆に、戦争を鎮める象徴。(ルナちゃんも、イシュメルだったことがある)

 

 クラウドは自分のデジタルメモを見ながら、髪をかき上げた。

 

 (もしかしたら、イシュメルが生まれると戦争が終わるというのは、後付けの歴史ではなく、正統性のあるものなのかもしれない)

 

 そのためにラグ・ヴァーダの武神は、イシュメルの生誕の邪魔をする。

 L系惑星群の滅びのためには、戦争を終わらせてしまうイシュメルは邪魔なのだ。

 

 (ルナちゃんも、“イシュメル”の前世を持っている)

 

 先日の真砂名神社で現れたルナの前世は、まだルナが夢に見ていない前世だ。

 イシュメルは、千年まえと二千年まえに、現れている。

 そのうちの、二千年まえのイシュメルが、ルナだったということか。

 

 ともかくも、サルーディーバもアンジェリカも、自身が正統な“イシュメル”の一族ということを知っているのか。

 予言などではなく、サルーディーバかアンジェリカ自身がイシュメルであり、彼女らが産むこどもが、必然的にイシュメルとなること――すなわち、彼女らが子を産まなければ、イシュメルの子孫が途絶えてしまうということを、彼女たちは知っているのか。