――サルーディーバは、迷っていた。 分からなかった。何もかもが分からなかった。自分のしたことは正しいのか。間違っていたのか、――サルーディーバは、メルヴァを責める資格がないことを、自覚していた。 (なぜ今頃、ガルダ砂漠の戦争の夢などを) サルーディーバは、かすかに痛むこめかみに手を当てた。 ひさしぶりに、鮮明な夢を見た。だがそれは未来の予言ではなく、過去の出来事だ。 忘れもしない、ガルダ砂漠でグレンの治療をした、あの日の出来事。 あのときは、ついついメルヴァを怒鳴ってしまった。メルヴァが迷いあぐねているうちに、長老会が勝手に「可」の札を上げてしまったのは、メルヴァの優柔不断が招いたことであり、とても許せることではなかった――メルヴァの「不可」の札があれば、もしかしたら戦争は免れ得たかもしれないのだから。 けれども、長老会に対するサルーディーバという立場の脆弱さを考えれば、たとえメルヴァとサルーディーバがふたりそろって「不可」と出しても、戦争は起こっていたかもしれない。 (それにわたくしも、メルヴァを責められる立場ではなくなってしまった) 迷っている暇などはない。サルーディーバが迷えば、ついてきてくれる皆も迷ってしまう。司令塔が、迷ってはいけないのだ。 後悔してはいけない。 (ああ、でも……) “シンシアを殺してしまったこと”だけは、サルーディーバは悔いていた。 あの罪もない少女をのろい、死に追いやってしまったことだけは、サルーディーバはふかく後悔していた。 (でも、あのままいけば、グレンさんとシンシアさんは、結ばれてしまっていたかもしれない) シンシアに来た宇宙船のチケットで、ふたりは宇宙船に乗り、結ばれてしまっていたかもしれない。 (ルナ以外のひとと、結ばれてはいけません、グレンさん) それでも、やはりグレンとルナの結びつきは濃いから、シンシアと宇宙船に乗ったとしても、グレンはルナの方に惹かれていただろうか。 分からない、今となっては分からない。 (けれどたしかに、グレンさんはシンシアさんのことも愛していた) シンシアを殺したのが自身の嫉妬だとしたなら、これほど恥ずべきことはない。サルーディーバは悔いた。ひどく悔いた。悔いても、シンシアの命はもどらない。 サルーディーバは、幼いころからグレンの夢を見ていた。 サルーディーバは、なぜグレンの夢を見るのかが分からなかった。それ以外のことは、彼女にはなんでもわかった。“父なる”真砂名の神が、何でも教えてくれるからだ。 予言として。 サルーディーバは生まれたときからサルーディーバとして育てられたから、自分が結婚できないことは知っていた。恋も不必要なものだとして、育てられた。 もともとサルーディーバという存在は、歴代、男性神官しかいなかった。予言はかならず男性ばかりを指名した。そして、生涯独身を誓うことを厳命された。 サルーディーバは、なぜサルーディーバと予言された自分が女性なのか、分からなかった。けれども、自分の先代であるサルーディーバが、「あなたが女性として生まれ来たのもなにか意味があるのだよ」と言ってくれたから、自信が持てた。 彼女はたしかに、サルーディーバだった。サルーディーバとしての力は、しっかり過不足なく持って生まれてきた。 物心つくころには、自分が女性ゆえに、サルーディーバとして長老会に認められていないということも分かってきたけれど。 だけれども、彼女は確実に、神託によって生まれ出でたサルーディーバである。 それに値する力も十二分に備えている。 ただ、女性であるということだけが、長老会の予定外だった。 奇しくも革命の星メルヴァとほぼ同時期に生誕したサルーディーバが、あろうことか女性という事実は、まさしく改革期の到来をL03に知らしめた。 サルーディーバは、女性であることを忌みはしなかったが、女性であるがゆえに、よりサルーディーバらしくあろうとした。真砂名の神に何回となく、生涯独身を誓った。 それなのに、どうしてグレンの夢を見るのか、わからなかった。 サルーディーバは、グレンに恋をしていた。 恋もしない、生涯独身を誓ったサルーディーバにとっては、恋した男の夢を、日々見るのは、毒でしかない。 グレンの夢を見る意味も分からなかったころは、ただただ自分の不明を恥じ、さらに厳格に自分を追い詰めていたサルーディーバだった。 サルーディーバの苦悩は続く。 権力と自己の保身にしか興味のない長老会と、ガルダ砂漠の戦争のことで争ったおかげで、次期最高権力者でありながら、サルーディーバは郊外の屋敷に「蟄居」を申し渡された。 さすがの腐った長老会も、サルーディーバという象徴は殺せなかったらしい。 しかし、彼女が“サルーディーバ”という象徴になれるかは、分からなくなった。 長老会は、いにしえからの風習を廃止し、べつのだれか――男性をサルーディーバとして据えようとしている――という、おそろしい噂までサルーディーバの耳に届くほどだった。 サルーディーバは、サルーディーバである。予言されて生まれてきた自分以外の何者かが、サルーディーバになれるはずがない。 だが腐りきった長老会は、傀儡を持ち上げてまで、彼女をサルーディーバでなくそうとしている。 サルーディーバは失意の中にいた。 そのころだ――ずっと謎だった、グレンの夢を見ていた意味がわかったのは。 サルーディーバに、真砂名の神からようやく神託がくだった。 ――グレンの愛する女が、イシュメルを産む。 サルーディーバは、長らく疑問視していた夢の意味が解け、ようやくほっとし、興奮すら抱いた。 真砂名の神は、イシュメルを産む者を導く役割を、わたくしにくださったのだ。 それゆえ、イシュメルの父となる男の夢を見たのだと。 サルーディーバは、より積極的に、グレンの夢を見ることを望むようになった。 グレンの周囲の、彼が愛する女性が、イシュメルを産むにふさわしい女性かどうか――見極めねばならない。 それと同時に、かすかな心の痛みもあじわった。 それが、グレンの愛する女に対する嫉妬だと、サルーディーバは気づく由もなかった。 しかし、グレンが愛でる女は、とてもではないがイシュメルを産むに値する女は、ひとりとて見当たらない。だれもがグレンの容姿と家柄に食いつくだけの、醜い亡者のような者たちばかり。 グレンもまともに相手をしていない。サルーディーバは、心のどこかでほっとしていた。 グレンが、周囲の女たちを愛していなかったからだ。 だが、シンシアが現れた。 シンシアもやはり、サルーディーバから見れば、イシュメルを産むに値する女ではなかった。今までの女性より心はずっと純真だが、それでも、小さい。 偉大なるイシュメルの母になるには、存在も魂も小さすぎる。 だが、グレンははじめてその女性に心を開いた。その鋼鉄の心臓がほんのわずか、溶けた。 ――それが、サルーディーバには信じられなかった。 サルーディーバは動揺した。このままでは、シンシアとグレンが結ばれてしまう。グレンが、ほんとうにイシュメルを産む女性と会う前に、べつの女と結ばれてしまう。 サルーディーバははじめて、だれかを「邪魔」だと思った。 万物の神の象徴である自分が、そんなことを思ってはいけないのに。 そうしたら――恐ろしいものを見た。 シンシアが、死んでしまったのだ。
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