百十一話 故郷を想う鳩



 

ルナが、ウサ耳をぴこぴこさせ、足をぶらぶらし、落ち着きなくパフェを食べているときだった。椿の宿のおかみ、マヒロが、ルナに電話だと言って、呼びに来た。

 

「でんわ? 誰からですか」

「どこかで聞いた声ですけれども、――とりあえずルナさんにと」

ルナが椿の宿にいるとわかっている人間には限りがある。ルナはぽてぽてとフロントのそばにある電話までいき、受話器を取って、保留ボタンを解除した。

 

『――ルナちゃん?』

「クラウド!?」

ルナは思わず叫んでしまった。食堂で同じく、もくもくとパフェを食べていたミシェルが、ネコ耳をぴんっと立たせるのをルナも見た。

ミシェルではなくどうして自分を呼んだのか。クラウドは今いったい、どこにいるのか。ルナがそれを聞くまえに、クラウドがぜんぶ喋ってくれた。

 

『ごめん、俺がいる場所はまだ言えない。だけど、明日一回、うちに帰るよ』

いつのまにかミシェルが傍に来ていたが、ルナに代わってとはいわなかった。

「あした?」

『うん。それで、ルナちゃんにお願いがある。俺とミシェルの部屋でもいい、ルナちゃんたちの部屋でもいいから、ホーム・パーティーの準備をしておいてくれないかな』

「ホ、ホーム・パーティー?」

突然いなくなったと思ったら、突拍子もないことを頼んでくる。やっぱりクラウドだ。

 

『うん。……実は、グレンとカレンに、会わせたい人がいる。それで、いつものメンバーは呼んで構わないけど、リサちゃんやキラちゃん、レイチェルたちは、今回は呼ばないで。そうだな……このあいだの真砂名神社で起きたできごとを話せる人間だけ』

ルナはこくりと唾を飲んだ。となりで、ミシェルも電話の内容を聞いている。

 

「わ、わかった……クラウドは誰を連れて来るの」

『ルナちゃんたちが知らないやつさ』

ルナはミシェルと顔を見合わせた。どちらにしろ、ただのホーム・パーティーでないことは伺えたが。

 

「グレンと、カレンに会わせたい人がいるのね?」

『ああ。だから、カレンもグレンも、明日の夜はかならず、ホーム・パーティーに出席していてほしい』

「う、うん! 伝えておく!」

『じゃあ、頼んだよ、ルナちゃん』

クラウドは、あっさり電話を切った。

ミシェルは、ルナの隣で、いつものルナのように盛大に頬っぺたを膨らませていた。

「……ずいぶん薄情じゃない。あたしに、ひとこともなしってわけ?」

いつもは、嫌だって言ってもベタベタ引っ付いてくんのにさ! とミシェルは怒りながら、食堂に戻って行った。

 

(ほんとにどうしたんだろう、クラウドは)

ミシェルにも内緒で、いったいどこへ行ってしまったのか。いつものクラウドだったら、何は置いても、ミシェルは連れていくはずだ。

ルナはミシェルの後姿を眺め、切れてしまった受話器を慎重に戻し――「たいへんだ! おおいそがしだ!」とウサ耳をピーン! と立たせ、叫びながら、パフェを食べ終わって退屈しているカレンの元までもどった。

クラウドからの伝言を、伝えるために。

 

 

 

 

電話を切ったクラウドは、ミシェルの声を聞けばよかった、でも聞いたら、ミシェルに今すぐ会いたくなってしまう、などとウジウジ考えながら、湿っぽく公衆電話の受話器を置いた。

クラウドが今いるのはK34区だ。

(明日の夜会えるわけだし、我慢だ、我慢)

 

公衆電話のボックスからでた彼は、夜に比べてずいぶん閑散とした昼間の街を、速足で歩いた。ラガーのネオンのまえを通りすぎ、四、五軒行った先で、地下に降りる階段をくだった。コンクリートで固めた殺風景な壁の奥に、クラウドがやっと一人通れるくらいの狭いドアがあった。

午後二時にちかい時間帯だったが、開店していた。薄暗い店内は、カウンターが四席あるだけの、ほんとうに小さな店だ。愛想のないマスターが、ちらりとクラウドを一瞥した。客は、奥の席にフードを目深くかぶった男がひとりいるだけ。

クラウドは、「アイリッシュ・ビール」と言って、男の隣に腰掛けた。フードの男は胡散臭げにクラウドを見て、すぐ酒に視線をもどした。

 

「オルド・K・フェリクスだよね?」

紙のコースターに乗ったロンググラスが、すぐクラウドのまえに置かれた。ビールの味は悪くなかった。

「――何の用だ。クラウド・A・ヴァンスハイト」

「君、俺が誰か知ってるの」

「驚くことか。あんただって俺の名前、教えてもいねえのに呼んだじゃねえか」

オルドは残りの酒をさっと飲み干して、立った。しわくちゃの紙幣をカウンターに置くと、店を出ようとする。

「ああ、ちょっと待ってくれ」

クラウドは一口しか飲んでいないビールをコースターに戻し、同じく紙幣を一枚、カウンターに置いてあとを追った。

 

逃げるようにオルドは階段を上がったが、クラウドもすぐに追いついた。

「ちょっと待ってくれ、“ヴォールド・B・アーズガルド”!」

オルドの逃げる脚がピタリと止まった。

「――何か用か」

「用があるから、呼び止めてるんだ、さっきから」

クラウドは、やっと話ができそうだと思ったが、オルドの警戒した目つきは変わっていない。

 

「俺に? 元心理作戦部の男が何の用だ」

「俺のもと職場は関係ない」

「だとしたらなんだ。あんたの近くにはグレン・J・ドーソンや、カレン・A・マッケランがたむろしてるそうだが? 俺は、そいつらとは何のかかわりもない。俺はたしかにアーズガルドの姓は持っていたが、今はフェリクスだ。嫡子同士で仲良くしたいなら、ピーターを呼べ」

 

ピーターとは、グレンやカレンと同じくアーズガルド本家の“嫡男”だ。つまり、現アーズガルド家当主。

 

クラウドは、「なあ」と口調を和らげた。

「俺は、悪意があって君を探し出したわけじゃない」

「善意でも、歓迎しねえな。放っといてくれ」

オルドの反応は冷淡だった。

「心理作戦部の人間に探し出されるなんざ、悪意しか感じられねえよ」

「ひどいな」

クラウドはオルドが逃げないように二の腕を掴みながら、やっと言った。

「君は、グレンと話がしたいはずだ」

「……!」

オルドが、クラウドを睨んだ。そして、警戒をさらに強めるように、クラウドの腕を振り払い、「……なにを知ってる」と脅す口調で凄んだ。

 

「そんなに警戒するってことはさ――君たちは、仕事で宇宙船に乗っているのか? ――いや、俺は何の仕事で乗ったのかなんて、聞きたいわけじゃない。君たちが宇宙船に乗っている理由には、正直興味がない。そっちに興味があるなら、君たちはアンダー・カバーのメンバーで乗ったんだから、ボスのライアンに聞く」

「……」

「俺が、用があるのは、君だ。ヴォールド。アーズガルドの姓を持っている、君だ」

 

オルドはクラウドを睨み据えたまま、固い声で拒絶した。

「……アーズガルドに用があるなら、ピーターを呼べと言っただろう。俺は、本家とは遠い上に、おふくろが傭兵だ。おまえのことだから、調べ上げてるんだろ」

「ああ」

「だったら、俺に声をかけるのは筋違いってモンだ」

「そうでもないさ。まだ君は、俺の用件をちゃんと聞いていないだろ」

「……?」

オルドは、ますます不審げにクラウドを見た。

「会わせたい人がいるんだ。――ああ、いや、グレンじゃない。俺についてきてくれないか」

「……」

「警戒しないでくれ。俺は、さっきから何度も言ってるように、君たちの仕事には興味がない。したがって、何の仕事で乗っているかも知らない。詮索する気も、邪魔をする気もない。俺は、アーズガルドの血を引く君に、用がある」

 

「いったい……なんだってンだ」

オルドの顔に困惑が現れた。蝋人形のような固い顔に。

「俺から引き出せることなんか、なにもねえ」

 

「引き出そうとしてるんじゃない。君からなにかを奪おうなんて、思っちゃいない。俺は、これから会う人物に君が接して、君がどう思うかを、知りたいだけだ。それから行動を決めるのも、君の自由だ」

「だれに会わせようとしてるんだ」

クラウドはちょっと迷ったあと、名を口にした。

 

「白龍グループ、“金龍幇”(コンロンパン)の頭領だよ」