「それこそ、無茶な要求だ、エイブ」

ソファの男が威圧したのは、オルドにも分かった。スクリーンの向こうの連中の身体が、そろいもそろって竦んだからだ。

「君たちは、傭兵が虐げられてきた歴史をまるで理解していない。傭兵擁護派だのなんだの、それこそが差別だとおもったことはないか。今さら、“軍部の提案”などに乗ると思うか。どこの傭兵が? そんな、上から目線の提案に?」

防衛大臣は、今にも失神しそうだった。

「軍部とうまくやってる傭兵はいくらでもいる。だがな、そんなのはごく少数だ。傭兵の大多数が、いまだに軍部に恨みを持っている。同じだよ――世間の大多数が、傭兵は野放しにすると危ない存在だと思ってるようにね」

 

絶句してしまった防衛大臣と、ソファの男の会話は小さな休憩をはさんだ。どうひいき目に見ても、交渉は、ソファの男が有利に運んでいる。

やがて、根負けした防衛大臣が、ハンカチを額に当てたまま、『……要求は、中央星会で審議してみる』とようやく言った。

 

『だが、認められるまでには相当かかるだろう』

審議を通らん可能性も、といいかけて大臣は黙った。交渉が決裂すれば、ふたたびこの一筋縄ではいかない男に、スクリーン越しに嬲られ続けるのだ。

 

「構わんさ。こちらも信頼に足るよう、実績を積む時間が増える」

ソファの男は大らかに笑った。

「心臓がわるいようだなエイブ?」

防衛大臣は真っ赤な顔からさらに青ざめたが――笑みを刻むことを忘れなかった。

『君が無茶を言いすぎるからな』

「よく効く薬を送ろう。ではな。いい返事を期待している」

防衛大臣が、おざなりに手を挙げて、秘書に支えられながら会議室を退出していく。スクリーンは自動で切れた。

 

オルドは、頭の中で話の内容を整理しきれていないまま、呆然と佇んでいた。

結局、最後まで聞いてしまった――いったい、どんな意図でクラウドは自分をここへ連れて来たのか――真意はいまだに、分からないままだ。

このやり取りの一幕は、軽々しく、関係者以外に聞かせていい内容ではない。だが、オルドは、自分がアーズガルドの人間だから、この話を聞かされているのだと、頭のどこかでぼんやりと認識していた。

 

ソファの男が立った。オルドは、彼の隣に秘書が控えているのにやっと気づいた。秘書の存在に気付かなかった。それほどまでに、今までの会話がおおきくオルドの意識を支配していたのだ。

 

「彼が、白龍グループ、金龍幇の頭領だよ」

オルドの予想は、クラウドの台詞で正解だと認められた。ソファから立って、上着をひっかけた金龍幇の頭領は、葉巻を咥えたまま、まっすぐにクラウドとオルドの方へやってくる。

目鼻立ち端正で、細身の男だ。クラウドより背は低く、体格的にはオルドと似たり寄ったりだ。だが、おそろしいまでの迫力で、彼はずっと大きく見えた。オルドは、彼の前に跪きそうになるのを必死で堪えた。

 

「クラウド、こいつがおまえの言っていた、アーズガルドの若造か」

「そうだよ、ララ」

クラウドが小さく頷くと、頭領は頭の先から足の先まで、値踏みするようにオルドを眺めた。オルドは、俯かないようにするのが精いっぱいだった。緊張と圧力で、喉が干上がっていく。

オルドを品定めした頭領は、オルドの肩をポン、と一度叩き、

「アーズガルドは、おまえが“接ぎ”な」

そういって、オルドたちの後ろの赤いレザーのドアではなく、別の部屋に通じるクルミ材のドアの向こうに去って行った。

 

オルドは、頭領が秘書とともに消えたドアを、目で追った――喉は、カラカラに乾いていた。

言われたことが、脳内でつながらない。いったい、彼はなにを言った。金龍幇の頭領は――なぜ俺に。

 

(アーズガルドを継げ、だと?)

 

防衛大臣にも無茶だと言われていたが、あの男はどうも無茶な要求が多すぎるようだ。

アーズガルドには、ピーターという立派な直系の跡継ぎがいる。祖父がユキトのいとこで直系ではなく、しかも母親が傭兵であるオルドに、どうやって跡を継げというのか。

それに、オルドに、アーズガルドに戻る意思はない。

 

 

「まあ、座れよ」

いつのまにか隣から消えていたクラウドは、勝手にサイドボードからグラスと酒を取り出し、ソファに座っていた。ララが座っていた場所とはべつに、大人数向けのソファが、部屋の西側にコの字を描いている。

オルドはフラフラとソファに座り、クラウドが注ぐ酒のグラスを見ていた。

塊の氷をロックグラスに入れて、ウイスキーを注ぐ。芳香だけで、ずいぶんいいものだとオルドにも分かった。クラウドは先にグラスを掲げて呷る。

 

「君がさっき、すぐ席を立っちゃったせいで、ビールが一口しか飲めなかった」

 オルドも気付け代わりに、グラスの中身を一気に呷った。一気飲みするのが惜しいほど、いい酒だった。だが、アルコールを体内に入れたおかげで、すこし気分が落ち着いた。

 

 どうしてクラウドが金龍幇の頭領と知り合いなのか、ここの酒を好きに漁る勝手も許されるほどの関係に至った経緯は。それに、肝心の、さっきの会話の内容――。

 聞きたいことはあまりにあったが、オルドの口から、勝手に言葉が出ていた。

 

「……どうしてあの男は、俺にアーズガルドを継げなんて……」

 

 「“継げ”、じゃなく、“接げ”だな。きっと――正しくは」

 クラウドは、何も教えずにオルドをここに連れて来たわけだが、意地悪をする気はないようだった。

 「単純に言えば、君は金龍幇の頭領に認められたんだ。たとえば、この先、白龍グループとアーズガルドが、なんらかの交渉をしなければいけなくなった事態になったとき、君の話なら聞く、と、彼は言外にそう言っているわけだよ」

 「……!」

 「つまり裏を返せば、君以外の話は聞かない。君以外のアーズガルドが来たって、白龍グループは話し合いにも、交渉にも応じないってことさ」

 

 「……俺は」

 オルドは、被ったフードの陰をますます深めて呟いた。

 「俺は、アーズガルドに帰る気はねえ」

 

 

 オルドの母親は傭兵だ。学生時代、オルドの父親と恋に落ちて、卒業前にオルドを産んだ。オルドの父親は傍系と言えど、アーズガルドの人間で、結婚はできなかった。

母親は、「あの気弱な男が、周囲の反対を押し切ってまであたしと結婚しようとするわけないでしょ」と割り切っていた。

母親は、オルドの父親をバカにはしていたが、恨んではいない。母親はさっぱりとした性格で、生まれたてのオルドをあっさりアーズガルド家に手渡し、自分はオルドのいない十二年間、さまざまな男と遊びまくって、やがてひとりの男を見つけて落ち着いている。実に傭兵らしい女だった。

十二年後、家出してきたオルドを厭うでもなく家に置いてくれたし、オルドは母親にも、母の再婚相手の傭兵にも、二人の間にできた妹にも感謝している。

 

オルドの父親は、気弱な男というよりかは、アーズガルドの血脈を体現しているかのような男だった。ある意味、狡猾で冷静で、状況判断にたけていて、決して情に流されない人間だ。アーズガルド家の生き残りのために、あるときは日和見の姿勢を貫き、あるときは気弱な男を演じて見せた。

オルドの父は、決してオルドの母を愛していなかったわけではない。だから彼は、オルドを引き取りたがったのだ。

だが、自分の恋よりも、保身を選んだのは事実だった。そういう男だった。

だから彼は、ドーソン一族の更迭に巻き込まれた形で、今L11の監獄星にいる。

父親だけではない。ドーソン派のアーズガルドの人間は、だいたいL11に投獄されている。