(――ピーター)

 

オルドがアーズガルドの家を離れるとき、泣いて別れを惜しんでくれた。学生時代も、するなというのに電話をかけてきた。オルドがアンダー・カバーに在籍してからも、よく仕事を寄越してくれた。

会いにもきた。オルドが迷惑がって追い返しても、ピーターの気弱な、悲しそうな顔を見るたび折れていた自分を思い出す。気弱な笑顔はアーズガルド家の十八番であることを、オルドは分かっていながら騙されてやった。

 

(俺は――ピーターを見捨てられるか?)

ほかの人間はどうなってもいいが、ピーターは。

 

「アーズガルドが嫌なら、戻って来なくてもいいんだ」

ピーターは優しい。頼りないけれども。

「でも、俺が、ブライアン叔父の代わりに、ヴォールの故郷になるから。俺のところには、いつ帰ってきてもいいんだ」

 

――ピーター!

 

 

オルドは、しっかりとフードを被って、立ちあがった。

「……もう、話は終わりだな?」

クラウドは、今度はオルドを止めなかった。だが、最初に声をかけたときと同じ口調で誘った。

「明日、もしよかったら、パーティーに来ないか」

「パーティー?」

反射で聞きかえしてしまった。

「グレンと、話ができる。来るつもりなら、K27区のリズン前で待ってる。十九時に」

「……」

オルドは顔を反らし、ポケットに手を突っ込んで、赤いレザーのドアを押した。

 

「……そっちは、ボスに相談してみる」

 

 

クラウドはしっかりオルドを見送って、小さく笑んだ。

(手ごたえは、あったな)

追い詰めすぎたかもしれないが、オルドはこの程度の話で右往左往するような人間ではない。混乱はするだろうが、時間を取って、整理がつけば、冷静に考えられるはずだ。この程度で潰されるようなら、アーズガルドに戻ってもなにもできないだろうし、ララの眼力もクラウドの見立ても、たいしたことはないということだ。

 

「どうだった、按配は」

ララが、隣の部屋からもどってきた。

「どうって、みんな聞いていたんだろ」

「可愛い坊やだったねえ――わたしの好みだ」

ニヤニヤと笑うララにクラウドは嘆息し、「――まさか外見の好みだけで、今回の件、OK出したわけじゃないよね?」

「クラウド、おまえもまだ坊やだね。顔だちはいいに越したことはないけど、あの坊やの健気なところがわたしは気に入ったんだよ」

「健気ねえ……」

オルドの冷徹な顔を思い浮かべて、クラウドは首を傾げた。フードの中から現れた、寝癖つきの髪形は、女の子だったら可愛いというかもしれないが、生憎、そのケのないクラウドには、理解しがたい形容だった。

 

「怯えた顔して、わたしのことを見上げてさ――それでも一歩も引かなかった。あれは、ずいぶん大切な人間を持ってるね。あれは、自分の大切な人間のためなら自分を簡単に捨てられちまう子だよ。シグルスと似てる――」

「俺とも?」

「てめえは違う。どの面下げてケナゲだよ。一度でも、あの子みたいに守ってあげたい顔をしてみろ。わたしの下半身を疼かせてみろ。顔だけ男が」

ララは嫌そうに吐き捨てた。これでもクラウドは、ララのお気に入りの範疇に入っていたはずなのに。クラウドは、自分が、ベッドで果物を食べさせてあげる係に落ち着いていた理由が判明し、逆に心底良かったと思ったのだった。

 

「ベッドに入ってくれるんなら、なんでも聞いてあげるけど、あの坊やはわたしが怖いだろ。膝突き合わせて話をさせてくれるなら、半分くらい交渉を譲歩してあげてもいい」

クラウドは、上機嫌なララのために、ウイスキーのロックを新しく作った。


「それにしても、よく宇宙船に、アーズガルドの人間が乗っているって分かったね。おまえの脳みそには呆れるよ」

クラウドは肩を竦めた。

「それは、単なる思い付きさ――今回のツアーには、カレンにグレン、軍事惑星の名家の跡取りが、二人も乗った。そして彼らの近くに“ヴァスカビル”がいる。ここまで出揃っていたなら、ロナウドかアーズガルドも乗ってやしないかと思っただけだ」

「だからって、だれも、傭兵のガキがアーズガルドなんて気づきゃしないさ。名前もまるっきり別人じゃないか」

「――そうだね。まァ、それを見破ったあたりは、褒めてあげて」

クラウドは苦笑いし、自分のグラスにも酒を足した。

「おまえ、真剣にわたしの秘書になることを考えておきな。席は空けといてやるから」

「完全失業したら考えてみるよ――それより、ララ。たぶんオルドは、アーズガルドを傭兵グループに潰されるとおもってる」

 

「むごいねえ」

ララは哀しげに言った。

「そんなことしやしないさ――まあ、アーズガルドの態度次第だけど。あの子の“甘え方”次第さ――わたしは」

 

あの子がかわいけりゃ、わたしは白龍グループのほかの幹部も説得してやるよ、と特上の楽しみを見つけたように、ララはグラスの中身を呷った。

「アーズガルドとの交渉担当も君が?」

「わたしがやらなきゃ、だれがやるんだい」

ララは不敵に笑った。

「傭兵は、軍部が消えて欲しいと願ってる――紅龍幇なんかは、軍部と交渉などするなと言ってるよ。そりゃそうだ、交渉なんかしなくても、“乗っ取ってしまえば”いい話だ」

 

「……物騒だね。それが白龍グループの大半の意見かい」

「七割は単純さ。軍部は叩きのめせばいいと思ってる。ドーソンの力が激減した今がチャンスだってねえ……。だけど、コトはそう単純じゃない。そんなことになったら、百五十六代目サルーディーバにもらった忠告が、台無しになっちまう。白龍グループが、L55の“正義”を掲げた軍部に鎮圧されて終わりさ。おまけに、傭兵に対する悪い世論も、またうなぎ上りだ……ヤマトもメフラー商社も、味方はしてくれないよ。やつらも軍部と交渉することを望んでる。」

ララの葉巻に、クラウドは火を点けた。

「クォンの白龍幇と、シュウホウの銀龍幇だけは、わたしと一緒で“交渉派”。それに、白龍グループだけの問題じゃない。メフラー商社は、あのジジイはくせ者だが、アマンダじゃ、うちの奴らを黙らせることはできないだろう。だけど、ヤマトのアイゼンはね――アイツを怒らせるわけにゃァいかないからね――ウチの過激派どもを押さえてるのは、ヤマトだっていう、情けない話だ。三すくみさァ……まるで」

ララは、首をすくめた。

 

「ふふ――こっちも七割がた、アーズガルドの滅亡は見えてる」

「……」

「残り三割で、あの健気な坊やがどうひっくり返すか見ものだね」

「三割?」

「一割は、あの子がアーズガルドにもどるかどうか。もう一割は、傭兵連合の“提案”が、L55に通るかどうか――通らないなら、アーズガルドは無事さ。わたしが通してみせるがね――最後の一割は、アーズガルドの当主の“見込み違い”だ」

「見込み違い?」

「ヴォールドも周りも、ピーターが頼りないと思ってる。それがくつがえりゃ、状況も変わる。なにせアーズガルドは、存在感がないと言われながら、なんだかんだいって、三つの名家にかくれて生き残ってきた、老獪な一族だってことさ――」