そのころルナは、ピエトを連れて、一週間ぶりの自宅に戻っていた。

 あのあと、ミシェルは「クラウドのアホ」とさんざん言いながら、椿の宿からそのまま、真砂名神社へ直行した。画材一式とかきかけのキャンバスは、イシュマールに預けてある。一週間寝たきりの状態から起きたばかりなので、身体はだるそうだったが、ミシェルは絵を描きにでかけていった。

 アズラエルたちは椿の宿に連泊だ。ニックはコンビニに戻ったが、ベッタラや、病院の看護師さんがついてくれていたので、ルナは安心して置いてきた。

カレンとセルゲイは、カレンの検査のために、一度病院に戻った。

 

 ルナは、この一週間、学校に行っていないピエトを学校に行かせようと思ったが、ピエトが真っ赤な目でルナにしがみつくので、ルナはしかたなく休むことを許した。

 ピエトは一度ピピという弟を失っている。ルナやアズラエルが意識を失って昏睡していたことで、どれだけ寂しい思いを、怖い思いをさせたか。

 ルナは今日一日、ピエトをべったり甘やかすことに決めたが、ちょっと出席日数が心配だった。

 アバド病患者という手前、休みが多くなるだろうことは学校に告げてあるが、ピエトは最近、病気以外の理由で休んでばかりだ。

 

 ルナはシャイン・システムで一気にK27区へ移動し、ピエトと一緒にリズンに寄って、いっしょにお昼ご飯を食べた。そのころには、ピエトは、だいぶ明るさを取り戻していた。

 家に帰ると、郵便受けには案の定、新聞がたまりにたまって、ドアに立てかけられていた。ルナは鍵を開けて部屋に入り、新聞をまとめて玄関に置いていると、新聞の間に、大判の封筒を見つけた。

 なんだろうと思って中を覗くと、学習プリントが数枚、入っていた。可愛いメモ用紙に書かれたメッセージも。

 

 「ピエト、これネイシャちゃんじゃない?」

 ルナが封筒とメモをピエトに渡すと、「……あ! ほんとだ、ネイシャだ!」と封筒からばさばさと音をさせて紙きれをだし、「算数のテストと国語のテストがはいってる」と嫌な顔をした。

 「これ、とっくに勉強したやつなんだよ。簡単すぎてつまんねえ」

 ピエトの言葉はおおげさではない。理科と算数は、ピエトは毎回100点だった。

 「ネイシャちゃんが持ってきてくれたんだね。お礼の電話しなきゃ、ピエト」

 「えーっ。いいよ、俺、明日学校に行ってからお礼言うよ」

 「だめよ。今すぐ言わなきゃ。今できることは今するの!」

 ルナが頬っぺたをぷっくりさせてピエトを睨むと、ピエトは渋々従った。

 

 ネイシャとは、ピエトが学校で最初にともだちになった子である。同じクラスの女の子で、ピエトよりひとつ年上。

ピエトは本来四年生なのだが、一学年うえのクラスにいるのだ。

 

 ピエトのIQが、実はかなり高いということは、K16区の小学校に転校し、学力テストを受けてはじめて分かったことだった。

ピエトが宇宙船に乗ったばかりのころ通っていた、K19区の学校は、原住民やまずしい子ばかりだったため、共通語を覚えることが最優先事項の授業で、学力テストなどはない。

 ピエトが母星、L85でかよっていた学校も、学力テストはなかった。だがピエトは、L85で高校生レベルの授業を受けていたことが発覚した。

 とくに数学方面の成績が抜群にいい。

 校長先生は、ピエトを高校に行かせることを提案したのだが、ピエト自身が、小学校に居たがったのだった。タケルたちも、同い年の子どもに囲まれていた方が、ピエトも楽しいだろうと言って、その申し入れは断った。

 ピエトの、「俺は傭兵になるんだから、頭なんかよくなくていいよ」の台詞に、太った貫禄あるおばさん校長は、「このIQで傭兵になるの!? ……もったいないわねえ」と嘆息したのだった。

 ピエトのIQは、末は科学者か、研究者かというレベルだ。

 

 校長は、ピエトが傭兵になりたがっているのは、ともだちのネイシャの影響だと思っているようだった。

 ネイシャは、傭兵の子だ。自身も、「将来はでっかい傭兵グループを作る!」と宣言しているだけあって、運動神経抜群で、その年にしてはアタマもキレる、(ピエト曰く)かっこいいヤツなのだそうだ。

 ピエトより頭一つ大きいかもしれない。腹筋だって割れている。毎日、腹筋や腕立てふせを百回もやっていると聞いて、ルナはネイシャの将来像が、エマルに結び付いた。

 女の子だが、性格もクールでかっこいいので、クラスでは憧れの対象らしい。

 ルナも、ネイシャに感謝している。クラスの人気者であるネイシャが、ピエトに話しかけてくれたおかげで、ピエトはすんなりクラスに溶け込めたのだ。

 

 『母ちゃんが心配かもしれないけど、早く学校に来いよ。待ってる』

 

 メモ用紙はキャラクターもので可愛らしかったが、字は太く豪快だ。

 「だから、母ちゃんじゃねえって――ルナは、ルナだよ……。なんで分かんねえかな、もう」

 ピエトはブツブツ言いながら、電話に向かった。

 ルナは、まだネイシャに会ったことはない。ピエトから話を聞いているだけだ。

 

 一週間家に帰っていなかったせいで、部屋の空気はよどんでいる。ルナはピエトが電話を始めたのを横目に、部屋中の窓を開け、換気をし、冷蔵庫の中身をチェックした。

 

 「ピエト、あたしにも代わって」

 「え? ちょっと待って」

 ピエトとネイシャの会話がひと段落しそうになったのを見計らって、ルナは声をかけた。

 

 「こんにちは、ネイシャちゃん。ピエトといっしょに暮らしてる、ルナです」

 『……え、あ、こんにちは』

 一瞬、男かと錯覚するような低い声だった。

 「プリント持ってきてくれて、ありがとうね。ネイシャちゃんの区画はK36区って聞いてたから。遠かったでしょ」

 『それは……いいんです。ピエトからよく聞いてて、リズンのこと。一回行ってみてえなって、母ちゃんとも話してて……ついでだったから』

 「そう? ありがとう。よかったら、今度遊びに来てね」

『入院してたって聞いたけど、大丈夫なんですか』

 最初は戸惑い声だったが、ずいぶんしっかりした受け答えをする子だった。

 

 「うん――もうだいじょうぶなの、退院したから。あしたからまたピエトも学校に行くから、よろしくね」

 『はい――あの、』

 ネイシャは、電話向こうでためらうように、口にした。

 『ピエトも言ったけど――あの――ほんとに、遊びに行って、いいですか』

 「えっ? いいよ。いつでも来て――」

 『……ピエトの親父って、傭兵なのってほんとう?』

 それは、ほんのわずかな口調の変化だった。ルナも一瞬、違和を感じただけの。気のせいかとおもうほどの。

 

 「アズラエルは親父じゃねえって!」

 ピエトが横で騒いでいたが、ルナはとりあえず肯定した。

 「うん、アズは傭兵だけど、どうかした?」

 『……メ、メフラー商社のナンバー3だって。ピエトが言ってた……それでその……会ってみたい』

 遠慮がちな声だった。アズラエルがメフラー商社のナンバー3だということに気後れでもしているのか――子どもが? だがルナには、傭兵世界のことはよく分からない。

 「いいよ。アズにも言っておくね。でも、アズはそんなに怖くないよ」

 『……』

 ちいさな笑いが電話向こうでした。

 「じゃあ、ピエトにかわるね」

 ルナはピエトに受話器を渡した。「なんだよ、おめーアズラエルに会いたいだけかよ!」というピエトのふて腐れた声がした。

 

 (気の――せいかな)

 なんだか、さっきのネイシャの声は、ひどく切羽詰まった感じの声だったのだ。子どもの口から、あんな重い声を聞いたのは、ルナは初めてだった。

 だが、もともと声が低い子ではあるようだし、気のせいとは言えば気のせいかも知れない。緊張で、強張っただけかもしれない。