百十二話 故郷を想う鳩 U



 

 ミシェルは、クラウドが帰ってきて、何ごともなかったように「ミシェル、ただいま」なんて言ったら、股間を蹴りあげてやるつもりだった。身体のあちこちをつねってやってもいい。ルナが良くするみたいに頭突きしてやってもいい気がした。

 だが、無精ひげを(!)生やしたクラウドが、「ミシェル……!」なんて言って、ミシェルをぎゅっと抱きしめたとたんに、怒りは消えた。シャボン玉が弾けるように消えてしまったのだった。

 

 「……起きて、いなくなってたら、心配するじゃない」

 ミシェルは、クラウドの胸板に押しつぶされながら、やっとそれだけ言った。無精ひげにくわえて、香水も着けていないクラウドなんて、リリザの遊園地で再会したとき以来だ。

 

 「なに、してたの」

 消えていたあいだに。

 

 ミシェルの質問に、クラウドはずいぶん間をおいて、「……そりゃまあ、いろいろとね」と小さく言って、ふたたびミシェルをきつく抱きしめた。

 誤魔化したわけではなく――クラウドは、事情を説明する時間があったら、ミシェルを抱きしめたいだけだった。それはミシェルにも良くわかった。

 

 クラウドはひとしきりミシェルを抱きしめて堪能したあと、名残惜しげに身体を離して、

 「……無事に目覚めてよかった」

 と泣きそうな顔で微笑んだ。

 ミシェルは顔を真っ赤にして、きょろきょろと目を彷徨わせ、

 「いつの話、してんのよ」

 とお得意のツンデレを発動した。

 

 ミシェルの肩を抱いたまま、クラウドがリビングに入ると、ホーム・パーティーの準備の真っ最中だった。大きなテーブルから溢れそうなほど料理が並べられている。

クラウドは、華やかな色合いのサラダが置いてあるのを見て、これはカザマがつくったなとすぐに分かった。レモンと生ハムと、野菜のサラダ。見慣れない料理の数々。このあいだカザマが来たときに振る舞ってくれた料理と似ている。

それに、中華料理の包みがあちこちに――これはチャンか? そして、テーブル中央にででんと存在を誇示しているのは、丸焼き。一抱えもある様な大きい鳥を、一匹丸ごと焼いたままの――まるでクリスマスのロースト・ターキーのように――ターキーの数倍はあったが――パーティーのメインは、綺麗にリボンがかけられている。

どう考えても、ルナだけがつくったメニューではない。ふだんルナがつくる品とは、五十歩も百歩もかけ離れている。

クラウドが、謎の鳥の丸焼きを、じっと眺めていると、ワインのケースを運ぶバグムントが現れた。

 

 「よお。疫病神が帰ってきたぜ」

 今回のことではずいぶんバグムントには迷惑をかけた。クラウドは肩を竦め、「悪かったよ、バグムント」と一応殊勝な態度は見せた。

 

 「担当船客に脅されるとはな――俺が担当役員だったことに感謝しろよクラウド。でなきゃ、とっくにてめえはレッドカードでL18に強制送還だ!」

 「感謝してるさ、君には」

 「いいか! 俺がてめえに屈したのはてめえのためじゃねえ、ルナちゃんとミシェルちゃんのためだ、よおく覚えておけ!!」

 クラウドは、バグムントの鼻息荒い唸り声を背に、キッチンへと逃げた。

 そこでは、ルナとカレンと――バーガスとが、お玉を持ったり包丁を持ったり、料理を盛り付けたりと奮闘している。

 

 「ルナちゃん、急にこんなこと頼んでゴメンね。――すごいじゃないか、あの料理」

 「あっ! クラウド、おかえりなさい!」

 ルナは、菜箸でつまんでいたから揚げを取り落とし、バーガスがすかさず摘まんで口に入れた。問題はなかった。

 「なんだかね、あちこちに声を掛けたら、みんなが料理を持ってきてくれたり、作ってくれてね、カザマさんもヴィアンカさんも、えっとね、チャンさんも作って来てくれたの! あたし、オードブル作って、ごはんを炊いたくらいなの」

 「ルナの味噌汁食べないと帰ってきた気がしないから、味噌汁とね」

 カレンが付け足した。カレンはオードブル用飾りつけいちごのヘタを取っているのだった。

 「やっぱりあの中華料理はチャンか」

 でも、作ってきたとは、驚きだ。おそらく謎の鳥の丸焼きがヴィアンカ。豪快な彼女らしい。そして、もっとも意外なのはバーガスだ。

 

 「なんで君がキッチンに立ってるの」

 「てめえはこの匂いが分からねえか――ン? 懐かしくねえのか」

 クラウドは鼻をひくひくさせた。うさぎのように。

 「え? アレ? これって、ラークの臓物シチュー?」

 「大当たり!」

 バーガスはそのでかい図体で、お玉を振り回した。

 

 「あたし、味見させてもらったけど、スパイスが効いてておいしかったよ!」

 ルナとミシェルが声を揃えた。「はじめて食べる味!」

 

 「え!? L77にラークいないの?」

 クラウドの絶叫に、ルナとミシェルは首を振り、カレンが肩を竦めた。

 「いねーんだって。で、バーガスと話してたんだけど、ラークってすっごい寒い星にしかいねえんだって。L77は温暖な星だからさ――」

 「うさちゃんもミシェルちゃんも食ったことねえっつうから、俺が腕を振るってやろうと思ってよ……」

 バーガスのまえの寸胴鍋からは、クラウドも昔よく食べた、なつかしい匂いがする。

 

 「ルナちゃんたちがカレー食うのと同じくらいの頻度で、俺たち、食べてたよ」

 「ほんとに!?」

 「アズも!?」

 「ああ。アズも良く作ってたはずだけど――これはL18じゃ郷土料理みたいなモンだから――ラークの肉や臓物が――そっか、まるごと売ってるってことが、ないもんね」

 「アズラエルにもラークがまるごと売ってる店を教えてやったよ。これは、アズラエルも知らなかったことなんだが、聞いて驚くなよ!」

 バーガスおじさんは勿体つける。

 「なんと! 宇宙船入口のK15区の海沿いで、L系惑星群すべての星の、めずらしい食材がそろう市が、一ヶ月に一回、ある」

 「へえ……」

 クラウドが気のない返事をしたために、おじさんのテンションは下がった。

 「なんだ、ノリの悪ィ野郎だな。うさちゃんとミシェルちゃんは驚いてくれたぜ〜、なァ?」

 「うん! おどろいた!!」

 「よしミシェル、あたしとチェンジ」

 「オッケー」

 カレンが手を洗って、キッチンテーブルから離れた。ミシェルとタッチをして、いちごのパックをミシェルの手に乗せる。カレンはクラウドの背を叩きつつ、リビングへと促した。

 

 「アズラエルもグレンも、リビングにいるよ――ところで、あたしに会わせたい奴って、誰」

 「それは今、話すよ。今日来る客の名前を教えて。ルナちゃんには、メルヴァ関連のことを話せる人間って、限定したはずだけど」

 「それはだいじょうぶ。まずあたしにセルゲイに、グレンとアズラエルでしょ。ルナにミシェル、ピエト。あとバーガスとレオナ――ふたりには、バグムントから話がいってる。で、バグムントにチャンに、カザマさん。ヴィアンカ。ニックとベッタラ。ペリドットとララは誘ってみたけど来ないって」

 「ララも誘ったのか!?」

 「ララも一応関係者じゃねえの?」

 カレンは、自分はまったく悪くない、という顔をした。

 「アントニオとオルティスは店があるし。メリッサとタケルは、この一週間ルナたちにつきっきりで、残業が山積み。だから今回は遠慮するって。それから、ルナが言ってたアンジェ? ちゃんは、今外に出られる状況じゃないんだって。アントニオが言ってたね」