オルドは足早にリビングを過ぎ、玄関につながる廊下についたが、意外な人物に足止めをされた。

 「ハトさん、ハトさん、ちょっと待って!」

 小さな身体で通せんぼしているのは、さっきの頭の弱そうな女だった。

 

 「俺はオルドだ」

 「オルドさん!」

 ぴこん! と小柄な身体が跳ねる。アズラエルが、こんな小柄な女が好みだとは意外だったが、オルドの好みの範疇からは大きく外れていた。だから、自然に無愛想にもなる。

 

 「馳走になったな。帰る」

 「あああ! ちょっと待って!」

 女はあわててオルドの腕にしがみつき、別の部屋へ連れていこうとする。

 「なんだ」

 すこしきつく言うと、女の目が潤んだので、今度はオルドが焦る番だった。すぐ泣く女は苦手だ。

 

 「あの……ほんとにすこし、時間下さい……見せたいのが、あるの」

 意外にも女は食い下がる。

 「……少しだぞ」

 泣きだされて、ほかの連中に気付かれ、引き留められでもしたらたまらない。オルドは仕方なくあとをついて行った。連れて行かれたのは子ども部屋だ。小さなテレビがある。女はその部屋にオルドをいざなうと、すぐにテレビをつけた。

 パッと映った画面には、若い男が三人、水遊びをしている姿があった。コンビニの駐車場だ。だれかが撮った映像だということはわかった。

 

 「あのね、これ、ユキトおじいちゃん」

 「えっ?」

 

 女の口から出た言葉に、オルドは耳を疑った。

 

 「それでね、こっちがね、エリックさん――そう、バブロスカの本書いたひと」

 

 (ユキト――!?)

 オルドは、はじめて見たユキトの姿に、目が釘付けになった。オルドは、勝手にもっと大きな人物を想像していた自分に呆れた。ずいぶん小柄だ――エリックも。

 成し遂げた業績の大きさは、不思議と、その人物を大きく想像させるものだろうか。

 オルドもそう、大きい方ではない。ライアンたちと並べば、やはり体格的に見劣りする。ブライアンじいさんも、百六十センチそこそこだった。アーズガルドの人間は、小柄な体格が多い。画面の人間の小柄さは、なんとなくアーズガルドの人間だということを髣髴とさせる。

 ユキトの記録は、アーズガルド家からひとつ残らず抹消された。映像も、写真すら残ってなどいない。もしかしたら、これはユキトの、残存する、唯一の記録ではないのか。

 

 「――これは」

 「この宇宙船のね、山の中にコンビニがあるの。そこの店長さんがニックさんってゆってね、今日も来てるんだけど――L02のひとなの」

 「L02?」

 「うん。有翼人種さんでね、寿命が三百年あるの。だからね、店長さんは、ユキトおじいちゃんたちに会ったことがあるの」

 「……!?」

 

 オルドは絶句して、ふたたび画面を見つめた。

 画面では、自分より少し下くらいの年齢の若者が、水を掛け合ってふざけているだけだ。それが、あのユキトとエリックだと思うと、オルドはなんだか神聖な気持ちになって、映像を見つめるのだった。

 

英雄としての存在しかしらない祖父の従弟とその相棒は、Tシャツとハーフパンツ姿でアイスを頬張り、無邪気な笑顔を見せている。オルドたち若者と、何ら変わりない――やがて画面はパッと変わり、桜の散るなかで、金髪男と写真を撮っている。コーヒーを飲み、三人は交代で互いの顔を写して、コンビニを写し、背後に見える山々を映した。

画面は何度か変わった。花火を見ているシーンもあった。コートを着た三人が、コンビニの広い駐車場で雪遊びをしている姿もあった。

 

第三次バブロスカ革命の首謀者の名誉回復がされた式典は、オルドもこっそり見に行った。二十歳をこえたばかりのころだ。ほんとうはアーズガルドの人間として参加しろと、父から連絡は来ていたが、オルドはアーズガルドの人間としては参加しなかった。いち傭兵として、パレードを、群衆のなかに交じって見ていただけだ。

間に合わせのように用意された、ちいさな写真を最大限に引き伸ばした、ユキトの画像はあまりに曖昧で、オルドはユキトという存在に、現実味が湧かなかったのを覚えている。ユキトの存在を肉付けしたのは、やはり祖父の語りだった。

 

彼女は、特に何かを話すことはせず、だまってオルドに映像を見せてくれた。短い映像が終わると、オルドは「悪い――もう一回、見せてくれ」と言った。彼女は「うん」と快く承知してくれた。ディスクはふたたび再生される。

 

最初に現れる、ユキトの、さかさまのいたずら顔を見ながら、オルドは思わずつぶやいていた。となりの女は知りあいでもなく、今日を限りに二度と会わないだろう。だから、何を聞かれてもいいような気がしたのだ。聞いてもらいたいわけではない、ただのひとりごとだ。

 

「……俺は、グレン先輩を尊敬してた」

女が、小さな顔をオルドに向けた。

「ユキトさんも――それからブライアンじいさんも。――ただ俺は――八つ当たりしちまっただけだな――グレン先輩に」

オルドは目がチカチカして、鼻が熱くなってきたので、一度喋るのをやめた。

 

「グレン先輩は――レオン先輩と離されたことを、寂しがってた。俺には分かる。それがわかったから――俺には、それでよかったよ――来た甲斐はあった」

「……」

「――寂しがってたのが、レオン先輩だけじゃなかったことが。ブライアンじいさんも、ユキトさんを止められなかったことを、ずっと悔いてた。傍にいてやれなかったことも、反対しかできなかったことも。でもユキトさんのそばに、エリックさんがいたことを、ずっと感謝してた――」

オルドはフードを深くかぶった。涙を見せないように。

「当主になる者は、孤独だ――俺は、それを知ってたはずなのにな――。レオン先輩も、ほんとうは、グレン先輩といっしょにいたかったんだ――ずっと」

 

 ルナは自分もぼろぼろ泣いていたので、先にティッシュで鼻をかんで、ティッシュ箱をオルドに差し出した。だが、オルドは、詰まった声程には涙が出ていなくて、ティッシュに手を付けず、だまって映像を見つめていた。

 一瞬、一瞬を食い入るように――見つめていた。

 

 ふたたび、映像が終わると、オルドはやっとティッシュをつかみ、決まり悪げに鼻をかんだ。そして、最初に「頭の弱い女」と思ったことの詫びも含めて、丁重に礼を言いかけると、彼女が、包装紙とリボンで包んだ薄いつつみをオルドに差し出してきた。

 

 「これね、今見たユキトおじいちゃんの、ディスク。ニックにね、もう一枚焼いてもらったの」

 「……ありがとう」

 あまりに想定外すぎて、結局、単純な礼の言葉しか出てこなかった。

 オルドは、包みをしみじみと見つめた。そして、もう一度、「ありがとう」と言った。

 彼女ははにかんで、「うん」と小さく笑んだ。

 

 「あのね、あたしはL77から来たんだけど」

 オルドは、彼女の育ちの良さが、L77出身だと分かって納得した。

 「あたしの近所にいた、なかよしのおばあちゃんがね、ツキヨおばあちゃんっていうんだけど、ユキトおじいちゃんの奥さんだったの」

 「――え?」

 「この宇宙船に乗ってね、はじめて知ったの。アズが、ユキトおじいちゃんの孫だってことも。あたしね、ツキヨおばあちゃんに、ユキトおじいちゃんのこと良く聞いていたんだよ」

 

 「待て、言うな」

 オルドはあわてて、ルナの口に手を置いた。

 「ユキトの妻だってことは、隠れて暮らしているんだろう。そんなこと、迂闊に、初対面の人間に話すな」

 オルドとしては、平和な星から来た人間の迂闊さを、忠告してやったつもりだった。