百十三話 出立




 「――どうしたの!? クラウド、その顔!!」

 

 叫んだのは、ミシェルとルナだけではない。カレンとセルゲイもだ。

 早朝、オルドの見送りに行ってきたクラウドは、まさに顔が「半壊」していた。

 

 「し――心配はいらない、よ。今、病院、行って、くるから」

 クラウドは、まともに喋ることができないのか、時間をかけてやっとそれだけ言い、――「あんたの顔に、それだけ容赦なく拳突っ込めるとはね」とカレンが呆れながら救急箱を持ってきた。

 

 誰も聞かなくても、クラウドが何も言わなくても、クラウドの顔を半壊させたのはライアンであることは、皆が分かった。

 オルドが宇宙船を降りて、アーズガルドへ帰るきっかけをつくったのは、クラウドだ。

 クラウドも半ば覚悟していたことだったのだが、オルドの見送りに行った宇宙船の玄関先で、クラウドはライアンに思い切り殴られた。メリーはクラウドの腹に一発。女とはいえ、傭兵の拳は重いなんてものではない。クラウドは、誰にも気づかれないように、傷む腹を押さえた。

オルドを見送りに来ていたのは二人だけで、クラウドはそれ以上暴力をふるう人間がいなかったことに感謝した。

 

「今日は、これで許してやる――ホントは、ぶっ殺してえところだがな」

ライアンもメリーも、そう吐き捨てて、オルドが居なくなったステーションをあとにした。

 ライアンとメリーの怒りは十二分に効いたが、クラウドは後悔していない。オルドをアーズガルドへ送ったことを。

 

 (オルド、元気で)

 

 オルドはクラウドが見送りに来たことに驚いてはいたが、腹を立てても、警戒してもいなかった。ホーム・パーティーから帰るときのように、短く「じゃあな」と言っただけだった。

 オルドは荷物も持っていなかった。荷物は恐らく、すでに担当役員とともに、帰路の宇宙船で待っているのだろう。

 

 ライアンとメリーと、オルドは固く抱き合い、メリーは終始泣きじゃくっていて、それでもオルドの身体を、自分から離した。ライアンはなかなかオルドを離さず、L系惑星群いきの宇宙船出立のアナウンスが鳴っても、離さなかった。

 オルドも、自分から離れようとはしなかった。メリーが泣きながら、「もういい加減、離れなよ」と言って、ふたりを引き離した。ライアンは、呆然としているようにも見えた。

 

 「さよなら」

 オルドの言葉に、メリーが「オルドォ!」と号泣した。オルドは振り切るように、駆けて行った。メリーが崩れ落ちる。ライアンは、言葉もなくオルドの背を見送った。

オルドの姿が見えなくなってからだ。肩を落として俯いていたライアンが振り向きざま、クラウドを殴り倒したのは――。

 

 「俺はてめえを殺してえ!!」

 クラウドの胸ぐらをつかんでライアンは吠えた。

 「だけど、いまは殺さねえ。だがいつも恐怖に怯えていろ!! てめえを殺したがってるヤツが同じ宇宙船に乗ってるってことにな――」

 

 ライアンの顔も、メリーの顔も本気だった。クラウドは、オルドを軍事惑星にもどした引き換えのリスクを覚悟はしていた。

 命を狙われる危険性も、想定内に入れていた。

 ライアンとメリーとオルドの絆は深い。――それを、絶ち切るような真似をしてしまったのだから。

 

 クラウドは、予言者でもなければアーズガルドの人間でもない。オルドがこの先、アーズガルドの人間となって、どんな働きをするかなど、予想さえつかない。彼がアーズガルドに戻ったところで、あとは口出しすることもできない無責任な立場だ。

 ただ、アーズガルドの人間が宇宙船に乗っていた――彼は、クラウドだけではなくロビンもララも、一目置くほどの、見事な補佐役の実績を持っていた。

 彼が、アーズガルドの有力な地位についたなら、きっと軍事惑星群の混乱期に一躍買ってくれるはずだと、まるで雲でもつかむような不確かな可能性を、賭けたのだ。

 たったそれだけの理由で、クラウドはオルドに接触し、軍事惑星の現実を見せた。

 選んだのは、オルドだ。だが、そこに導いたのはクラウドで、クラウドはオルドの降船に確信を持っていた。オルドとピーターの、切っても切れない仲に付け込んだのは事実だった。

 

 (これで済んだことに、今は感謝しなきゃ、だな)

 ミシェルが冷やしたタオルを、頬に当ててくれる。頬よりも、胸が痛んだ。

 (俺が、ミシェルと離されることを考えたら、心臓が潰れそうだ)

 

 軍事惑星群の未来のためとはいえ――すまなかった。 

 

クラウドは謝罪の言葉を飲み込み、ふかくため息をついた。

 

 

 

 

 「――なァ、ペリドット。腹はいいから、腕と足を先に治してくれねえか」

 

 アズラエルとグレンは、椿の宿にいた。

 こうして、椿の宿で湯治と、アストロスの兄弟神とシンクロさせる治療を施し始めて、五日が経とうとしていた。

 本日も滞りなく、アストロスの兄弟神が石像顔で二人の背後に現れ、アズラエルたちは胸と腹のあたりがギシギシいうのを感じていた。痛みもけっこうなものだが、治療をはじめて五日目、骨もだいぶくっつきかけているのか、痛みはだいぶ落ち着いてきた。

 いまは脂汗をかくだけで済んでいる。本格的に治療を始めた初日の痛みは、尋常ではなかった。「イッテエー!!!」とガルダ砂漠でもあげたことのないような叫びをあげるくらいで、さすがのふたりも、「ストップ! ちょっとストップ!」と弱音を吐きかけた。

 

 「胴体よりも、腕を――いや、先に足を治してくれりゃ、とりあえず歩けるから、ひとりで風呂にも入れるんだが」

 「……」

 グレンも便乗して言ったが、ペリドットは考えるそぶりをして、右手は「八転回帰」を促す状態のまま、左手は顎に動いた。

 アズラエルたちの方を見ているのだが、顔が向いているだけで、目は、彼らの後ろを見ている気がする。

 

 アズラエルたちの腕は、ビール缶くらいは持てるほどに回復しているが、まだ思ったように動かせない。車いすは自動で動くが、リモコンを落としたら、拾うこともできない。だから、常に介添え人が必要だった。手や指は、最初の日に完治してもらったので問題はないが、足はといえば、まったく治療されていないので、車いすのお世話になったままだ。

 はやく、セルゲイに介護される日々から脱却したい二人だった。

 

 「おまえは兄弟神を呼び出すだけで、治す場所は指定できねえのか?」

 こたえがないので、アズラエルは聞いたが、ペリドットは、

 「……そういうわけじゃねえんだが」

 と言葉を濁し、首をひねった。

 「そうか、そういうことか」

 自分だけ納得した顔をし、「もう二日、我慢しろ」ペリドットは言った。

 

 「二日?」

 「ああ――それからおまえら、明日は、椿の宿に来る時間を、一時間遅らせろ。――家を出る時間を、一時間遅らせるんだ。いいな?」

 

 ペリドットの指示に、アズラエルとグレンは顔を見合わせたが、「……分かった」とうなずいた。まったく、コイツも素直になったもんだと、アズラエルとグレンは、互いが自分をそう思っているとも知らずに、また同じことを考えてシンクロしていた。

 

 いつもどおり治療が終わると、アズラエルはすぐに、「すまん、カレン、送ってくれ」と言った。

 「え? 温泉に入って行かないの」

 「ああ。今日は用事がある」

 腕が治れば、車いすも自分で動かせるのに、とブツブツ言いながらアズラエルは、椿の宿まで連れてきてくれたカレンをもう一度促した。

 「頼む。悪いな」

 ちなみに、今朝はミシェルも一緒に来たが、ミシェルはそのまま真砂名神社へ直行。グレンの帰りは、ルナかセルゲイが迎えにくるという約束になっていた。