グレンは先日オルドと会ってから、口数が激減した。

 相変わらず冗談には乗るし、ルナにちょっかいを出すし、食欲も失せてはいないのだが、どこか虚ろだった。

 今日も、一人にしてほしい顔をしているので、アズラエルはグレンを椿の宿に置いていくことにしただけだ。

 ふたり顔を突き合わせていてもケンカしかしないのに、最近はただでさえ、二人でいる時間が多い。アズラエルもそうだが、グレンもストレスが溜まっているはずだ。

 

 「ぜんぜん、パソコンのメール見てねえ。メフラー商社からの業務連絡がたまりまくってる」

 「ああ」

 帰り道、シャイン・システムのボックスまで歩きながら、カレンとアズラエルはぼんやり会話した。

 

 蝉の大合唱とつよい日差しが、すでに夏であることを証明している。

包帯だらけのアズラエルとグレンは、二言目には「暑いな」とこぼした。

 真砂名神社の大路につらなる商店街は、どの店も軒先に提灯を飾っていた。燃え尽きていたはずの家屋は、すっかり元通りだ。

 このあいだの大惨事がまるで幻だったかのように、あっというまに日常の風景を取り戻している。

朝、ミシェルが提灯を見て、「お祭りが近いんだ!」とはしゃいでいたのを、アズラエルもカレンも思い出した。

 

 カレンはふと思った。

 (お祭り、ルナやミシェルたちと、いっしょに来れるかな)

 そのときまで自分は、宇宙船に乗っていられるだろうか。

 

 「どうした? カレン」

 カレンが黙ったので、アズラエルは包帯だらけの顔をすこし、動かした。

 「なんでもないよ――つうか、あんた、まだルナのこと、メフラー商社やアダム・ファミリーの誰にも言ってないんだって?」

 「……」

 「黙ってたって、E353で顔合わせたら、言わなきゃいけないんだしさ――もう観念して、言っちゃったら? それとも、サッサと結婚しちゃうとか」

 「……」

 カレンは言ってから、「あ〜……でも、それじゃグレンが黙ってないか。アイツ、まだルナに未練があるもんね」と思い出したように笑った。

 「セルゲイも、いざあんたとルナが結婚するってなったら、ヘコみそう」

 「……」

 

 アズラエルは、今まで気になっていて聞けなかったことを、この際、思い切って聞いてみることにした。

 

 「おまえとセルゲイは――男女の仲じゃねえのか?」

 「は?」

 

 カレンは、五オクターブは高い声で聞きかえし――それから、ぴたっと足を止めた。

 

 「うおおおお! 車いす止めろ!」

 「うあっ!? ゴメンゴメン!」

 カレンが一時停止したのに、アズラエルだけが進行していく。慌ててカレンはリモコンの停止ボタンを押した。

 「あんた、どっからそんな発想が――や、いや――見えるか。そんなふうに」

 カレンは、困っているふうにも悩んでいるふうにも見えなかったが、足を止めてしまったので、アズラエルは言った。

 蝉の声がうるさい。

 

 「メール見るのは午後からでもいい。どうせ一日かかる」

 「うん?」

 「……コーヒーでも飲んでくか?」

 カレンは、赤褐色の暖簾のさがった茶店から、香ばしいコーヒーの香りがすることに気付き、「賛成」と言った。

 

 

 「セルゲイは、いいヤツだよ。いい男だとも思う。たぶんあたしが、“女として”恋ができたなら、きっと今頃、セルゲイとそういう仲になってたかな」

 「……」

 茶店の外の、漆塗りの番傘が掲げられた休み処で、ふたりは大路を眺めながら、コーヒーと茶団子をつまんだ。

 

 「でもあたしは、たぶん“女として”も、“男として”も、恋ができない。ジュリを抱いてみようと思ったこともあったけど、できなかったし、かといって、セルゲイに抱かれるのも、――嫌だ」

 アズラエルは動かない首をひねるような真似をし、

 「グレン辺りはどうだ」

 「グレンかあ……グレンもいいヤツだ。――あんたもね」

 「そりゃどうも。ようするに、俺もグレンも、“男”には見えてねえってことか」

 

 「なんつうか、あたしはたぶん、――“女”だ。男の身体になったのも、出産ってやつを忌避したからってだけで、心は女よりなんだ。ジュリは好きだけど、かわいいとは思うけど、抱きたいとは思わない。でも、セルゲイには、ときどき抱きしめられたいなって思うことはある」

 カレンは、つよい日差しを、まぶしげに仰いだ。

「でも、思うだけ。じっさい、されたら拒絶してしまうと思う。セルゲイがルナを愛してるからっていうんじゃなくて、セルゲイは、あたしを、女として愛してくれてる部分もある。あたしのそばに、一生いるって言うの。でもあたしは、それを受け入れられない。――あたしのトラウマだ。あたしは、子どもを産みたくない。愛している人間の子どもを絶対に。恐怖に近いものがあるんだ。だけど、たぶんあたしは――女として、セルゲイを愛してる」

 「……」

 「あたしは、セルゲイの子を産んであげられないばかりか、結婚することもできない。あたしは男に抱かれたくない。あたしはセルゲイに抱きしめられるのでさえ怖いんだ」

 

 「……俺、何回も、おまえと肩組んだ気がするんだが」

 触られるのが嫌なら、悪かったとアズラエルが謝ったのに、カレンは「違う」と言った。

 「おまえらは平気。何とも思ってないから――つうか、おまえらはダチだから。だからグレンも大丈夫。――セルゲイがダメ。あたしは、セルゲイのこと、多少は男として意識しちゃってるから」

 「愛してる男に抱きしめられるのが怖いのか――そりゃ、困ったな」

 「困ったよね――」

 カレンは苦笑した。

 

 「でも、セルゲイが好きだから、ルナにヤキモチ妬くかっていうと、ぜんぜんそういうのはないの。ほんとに不思議だよね――嘘じゃないよ? 無理してるっていうのでもない。あたしとセルゲイが、互いに感じてる恋心は、すごくおだやかな形なんだ。恋って呼べるのかも分からないくらい――きっと。それに、ルナにはあんたがいるし、セルゲイは、あたしとルナをどっちか選ぶとしたら、あたしを選ぶと思う。――うぬぼれじゃなくて。そこにはさ、セルゲイの義理とか、あたしのそばに一生いるって言った約束とか、いろんな想いや現実が一緒くたになってると思うからね。単純な恋どうこうじゃなくて。だから、ルナは恋敵にはならない」

 アズラエルには、なんとなくカレンの気持ちが分かった。アズラエルにも覚えがあった。

「あたしは、セルゲイとルナが、あたしのパパママだったらなって、思ったことがある」

 「ルゥは俺のモンだ」

 「言うと思った。――こんなこと、はじめてセルゲイ以外に話したよ」

 

 カレンは、どこかすっきりした顔をしていた。茶団子を次々と摘まんで、「コレおいしいね。おみやげに買っていこうか」という余裕があった。

 ずいぶん、重い話をさせている自覚は、アズラエルにもあったのに。

 

 「セルゲイは、おまえのカウンセリングの担当医だったか」

 「うん。でも、セルゲイは、あたしのカウンセリングはできないって、最初会った時に断られたの。あたしの養母が――あたしの母の妹なんだけど、エルドリウスさんの息子にカウンセラーがいるからって、紹介してもらって。それがセルゲイとの出会い。でも、最初っから断られて。セルゲイは、自分もトラウマを抱えたまま生きているから、だれかのトラウマを治してやることはできないってはっきり言ってさ。そのかわり、友達になろうって」

 「友達?」

 「うん、それから、ずいぶん長い付き合いになる」

 

 カレンは、コーヒーを飲み干した。それから、「すいません、これひと箱くださーい!」と店の奥に声をかけた。茶団子をみやげに買っていくつもりらしい。

 カレンは、世間話の延長のように言った。

 

 「あたしのトラウマは、治らないよ。セルゲイといっしょで、ずっと抱えて生きていくんだ。――でも、このことを、こんな簡単に話せるようになったってだけでも、あたしのトラウマは、もしかしたらすこしは癒されたのかもしれない」

 「……」

 「セルゲイももちろんだけど――あんたたちや――ルナと一緒に暮らせて、ほんとに良かったと思う」

 

 まるで、これが最後だというような言い方をしたので、アズラエルは「ほんとに降りる気なのか」と聞いた。

 カレンは頷き、

 「アバド病の治療がつづいてるから、すぐには無理だけど、ここ一二ヶ月のあいだには、降りようと思ってる」

 セルゲイを説得するのが骨なんだ、とカレンは笑った。

 「あたしが降りるって言ったら、セルゲイもついてくるって。――あたしは、そうしなくていいって、言ってるんだけど」

 アズラエルの財布はカレンに預けてある。そこから払えと言ったが、カレンは黙って茶団子の包みを受け取り、土産用のそれと、コーヒーと茶菓子代を払った。そしてアズラエルの車いすを押すために立った。

 

 「聞いてくれてありがと。――ここは、あたしが奢るよ」