K32区、アンダー・カバーの宇宙船内本アジトのアパートでは、レオンがユージィンと通信していた。

 定期連絡だ。ライアンはそれを、フローリングの床に座り込んだまま聞いていた。

メリーは、オルドが旅立った後、泣きじゃくって話にならない。K06区のアジトに置いてきた。

今日一日、泣きたいだけ泣けばいい。ライアンは一緒になって泣く気も、慰める気もなかった。メリーもそうだ。ライアンに、そばにいて欲しくはないだろう。一人で泣きたいはずだ。今は、どんな慰めも共感も必要ない。

ライアンは、泣くことすらできなかった。恐ろしいまでの喪失感で、ぽっかりと胸に穴が開いたようだ。

こんな思いは、昔もした。ベンティスカの親分や皆が、任務で全滅したと聞いたときだ。

ライアンは、喪失を抱えたまま生きてきた。傭兵はたいがい、そんなものだ。

オルドはいなくなったが、ベンティスカのメンバーとは違い、生きている。そして、メリーもレオンもいて、ライアンには任務が残されている。

 

レオンは、オルドが宇宙船を降りたことをユージィンに告げるかと思ったが、彼はそうしなかった。ただ、「まだエーリヒは乗ってきていない」と、いつもとおなじ、型通りの通達をしただけだ。

 

 「グレンが大ケガをしたようだ。詳しいことは分からないが、真砂名神社という、宇宙船内の北地区で負ったケガだ――いや、生きてはいる。だが俺と同じ、車いす生活だ」

 レオンはその後、ユージィンの報告をすこし聞いて、通信を切った。ライアンは、不思議に思って、聞いた。

 「レオンおまえ、――オルドから聞いたこと、ユージィンに話さなかったな」

 

 ロナウドとマッケランの計画、オルドが、白龍グループ金龍幇の頭領と接触したこと、傭兵グループが、L55の防衛大臣に申請した『提案』――。

 

 なにひとつ、レオンはユージィンに話さなかった。

 

 「ドーソン一族には不利な懸案ばかりだ。知らせなくてよかったのか」

 クラウドも、オルドがレオンやライアンに話すことを前提で、オルドに話した。クラウドの言葉通り、オルドは一件も漏らすことなくレオンたちに知らせた。

 レオンが、ドーソン一族を滅亡させたくないために動いているのは知っている。

 レオンは、ユージィンに話すと思っていた。

 

 「……今、ユージィン叔父に話して、彼が何か対策できるとは思えない」

 まるで言い訳のように、ライアンには聞こえた。――ユージィンに伝えなかったことを、ごまかしてでもいるような。

 

 「ユージィン叔父は、取りつかれてる。L03の予言師が残した、L18の滅亡の予言とやらに――そのことしか頭にない。あの切れ者の叔父が」

 その言葉だけは、レオンの本音のようだ。

 「叔父も、ドーソンを滅ぼしたくない一心で、おかしくなっているのかもしれない。……もしかしたら、ドーソンの滅びを一番願っているのは、叔父かも知れないのに」

 「なんだと?」

 ライアンは耳を疑った。あのユージィンが、ドーソンを?

 

 結局、レオンは、なぜユージィンに一番大切な話を告げなかったか、その理由を口にすることはなかった。

レオンも揺れている。ライアンはそう思った。

 (コイツは、ほんとうにグレンと心中する気なのか)

 レオンは、二年ほどしかない自分の寿命も、ドーソン一族のことも、あきらめているような気配がある。だが時折、執念のような――ギラギラした目を見せるときもあった。

 だれも、レオンの気持ちなど解してやれない。

 一度は死に、別の顔を持って生き返らせられ、ふたたび死が訪れることを予告された人間の気持ちなど。

 気がおかしくなっていても、無理はないのだ。

 

 現にレオンは、昔と今を混同して話すこともよくあった。“テセウス”の弊害なのだろう。

 ライアンも、“テセウス”の最初の被験者の話は聞いていた。最初の被験者は、ほとんど記憶がなかったのだという。おまけに、身体もボロボロで、さまざまな病気を併発し、一日三時間しか活動できなかった。

 そこまで考えて、ライアンは、ふと気づいた。

 

 (“テセウス”は、かなりリスクの高い実験だったってことになる)

 

 “テセウス”でレオンを蘇らせたところで、自力で動けもしない、記憶も、もっとあいまいな状態だったら、任務にはつかえなかったはずだ。

 レオンは、激しい運動は無理だし、一日の半分は寝ないと体力が戻らないが、通常の生活はできる。普段車いすに乗っているのは、なるべく体力を温存するためだ。記憶も、たまに、いきなり学生時代にもどることはあるが、すぐに自分でおかしいことに気付く。だいたい、正常だ。

 

 (もしレオンが、最初の被験者のような状態だったら、任務は無理だった)

 リスクを承知の上でレオンを生き返らせたのか。蘇らせるのが、レオンでなければならなかった理由は。ユージィンは、今回の任務は、「レオンが適任だ」と言った。

 レオンは、グレンの自殺願望を知っていて、本人も二年弱しか命はない。だとしたら、寿命が尽きるまでに、グレンを殺そうとするだろう。そしてグレンも、レオンならそばに近づける。

 

 “もしかしたら、ドーソンの滅びを一番願っているのは、叔父かも知れないのに”

 

 ドーソン直系の嫡子は、グレンだけ。グレンに兄弟はいない。グレンの父、バクスターは再婚していないし、ほかに子もない。

 グレンが死ねば、ドーソンの直系は、途絶える。

 

 ライアンはそこまで考えてゾクリとし、

 (でもなんで――“この顔”なんだ?)

 レオンが蘇った姿は、別人だ。いったいこの顔がだれのものなのか、ライアンは見当もつかない。ライアンとメリーは、レオンのフォローのために乗せられた要員で、ユージィンがレオンに課した、「この顔を使って」行う任務のことは、知らされていない。

 

レオンは車いすから立ち上がり、自分で冷蔵庫から水を出して、ライアンに放った。

 

 「怒ってるだろ、ライアン」

 苦笑した。

 「俺が、オルドに、アーズガルドに帰れなんて、言ったこと」

 

 「……怒ってねえよ」

 おまえには、怒ってねえ。ライアンは言った。

 「クラウドに説得されただけじゃ、オルドは帰らなかった。俺が、よけいなことを言ったせいだ――」

 「――おまえに言われても、クラウドに言われても、アイツは動かねえよ。ガンコなの、知ってるだろ。アイツが自分で、アーズガルドに戻ることを決めたんだ。ピーターを、見捨てられなかったから」

 「見捨てられない、か。――そうだな、トップは、どこか頼りないところがあったほうが、ナンバー2の心をくすぐるのかも」

 レオンは、ライアンと同じように床に座った。

 

 「グレンも頼もしげに見えて、どこか放っておけないところがあった」

 「アイツがか?」

 ライアンは、信じられないと言った顔をした。レオンは笑った。

 「ライアン、おまえはタフすぎる。精神的にも肉体的にも強くて、頭もキレたら、フォローするところがないだろ。――オルドは、おまえにもっと、頼って欲しかったんだ」

 「俺は、オルドに頼りっぱなしだったぜ。アイツがいたから、アンダー・カバーはでかくなったんだ。ルーキー・ランクにも名が乗ってな」

 

 「おまえが行くなといえば、たぶん、オルドは行かなかった」

 ライアンの喉が、コクリと鳴った。ペットボトルの蓋すら開けていない。水も飲んでいないのに。

 「オルドが本当に、自分のリーダーだと、一生ついて行くと決めていたのはおまえだ。だから、おまえが行くなと言えば、きっとオルドは行かなかった」

 

 ライアンがやっと零した涙を見て、レオンは安堵した。

 グレンも泣かないひとだった。泣けずに蓄積された痛みはやがて、厚い層となって心をコーティングさせ、人の心を失わせる。

 ――ユージィン叔父のように。

 

 (なあ、グレン。おまえはちゃんと泣いているか)

 グレンのそばにも抱きしめてくれる誰かがいて、ちゃんと泣いていればいいと、レオンは思うのだった。