「くっちゅん、ちゅん!」

 「ルナのくしゃみって、スズメみたいだね」

 カレンが笑い、ルナにティッシュを差し出した。

 ルナは首を傾げながら、「だれかがうわさをしてる!」と叫んだ。

 

 五億デルの小切手を、勝手に地球行き宇宙船のチケット代につかわれているともしらないルナは、呑気にくしゃみなんかしていた。

 ルナはずいぶん後になってそれを知って、開いた口が塞がらなくなるのだが、ただいまは、自分の父母とツキヨがこちらへ向かっていることも、カザマも知らない、ペリドットのマイペースにして鬼畜な所業を知る由もなかった。

 

 さてこちらも。プロボクサークラスの拳を、グローブというクッションもつけず食らわされた鬼畜な被害に遭ったクラウドがいた。

 病院から帰ってきたクラウドは、アズラエルたちを笑えないほど顔面を包帯で覆われていた。

 「俺も便乗して、ペリドットに治してもらおうかな。痛みさえ我慢すれば、早く治るんだろ」

 クラウドは、すっかりその気だった。

 「イケメンが台無しだな」

 グレンが笑い、「ほんとうだよ。これで顔が戻らなかったら、大ごとだ」

 クラウドは、自分の顔の価値をじゅうぶんに分かっていた。この顔で得をしたことは、大層あるわけだから。

 

 「それより、俺もやるべきことのために戻らなきゃいけない――明日、椿の宿には行くよ。みんな、携帯電話用意した?」

 「うん。――いったい、何を始めるの?」

 ルナが首を傾げながら、自分の携帯電話を起動させた。

 

 この宇宙船内では、携帯電話がつかえないため、みんなしまいっぱなしだった。それを、クラウドは出してこさせたのである。

ルナ宅のリビングには、ルナ、アズラエル、グレン、セルゲイ、カレン、学校から帰ってきたピエトが、携帯電話を持って集結している。ミシェルは真砂名神社にいるので、クラウドは、自分のそれとミシェルの携帯電話を手にしていた。

ピエトの携帯は、一度クラウドが取り上げておいて、「はい、これピエトの分」とわざとらしく与えた。これで、ピエトが携帯を持っていることが周知されてしまったが、まさかクラウドとの連絡係にピエトが使われているなどとは、ルナもアズラエルも思い及ばなかった。

 

「みんな起動した?」

「ああ」

「うん」

 

携帯電話の電源をいれるのも、久しぶりだ。みなが電源を入れたのを確認して、クラウドは自身の携帯のボタンを押し、一斉送信した――。

 

「うっわ!!」

「何コレ!? すごい!」

 

ルナとカレンが歓声を上げた。各携帯電話から浮かんだ、ホログラムにだ。

ホログラムは、3Dの地図で、このリビングが映し出されている。リビングには、名入りの人型アイコンが、七人立っていた。

 

「コレ――あんたの追跡装置の改良型!?」

カレンが怒鳴った。

「そうだよ。みんなもつかえるようにした。だけど、他人には貸さないで。今、アプリに、君たちの指紋と皮膚細胞を認証したから、君たち以外の人間が携帯を触れば、この追跡装置アプリはすぐ消去される仕組みになってる。電源を消していたり、このアプリが起動してない状態なら他人の手に渡してもいいけど、このアプリが検索されようとすると消去されるからね」

 

「おまえ、消えてる間にこんなのつくってたのか」

グレンの絶句は、無理もない。

「いやはや――これはすごいな」

セルゲイも感心して、携帯を弄っている。

 

「くれぐれも――悪用しないでね。左端の★ボタンで、3Dホログラムと、携帯画面で見られる2Dに切り替えられる。――ピエト、大丈夫そう? 分かる?」

「分かる! すっげえ! 俺のアイコン、ゼラチンジャーだ!」

子供向けサービスも忘れないところがクラウドだった。

 

 「あっ! ミシェルがいる。イシュマールさんとおえかきしてる!」

 ルナがさっそく、真砂名神社近辺を検索した。ネコのマークがついたミシェルと、犬のマークがついたイシュマールが、川原で二人仲良く並んでいる。

 「分かる人間の分だけは、ZOOカードも登録しておいた。アイコンダブルクリックで出てくる」

 ルナがイシュマールのアイコンをクリックすると、『犬のご意見番』と出てきた。

 

 「あの狛犬さん、おじいちゃんだったの!!」

 ルナが叫び、「うるせえ」とアズラエルに小突かれた。

 「ルナちゃん、分からなかったの」

 「わからなかった!!」

 「だいたい、あのお茶会のメンバーは、だれがだれだか分かりそうなモンだったけどな……まァいいや。そういうわけで、つかいかたには注意して」

 クラウドは言い、ポケットに携帯電話をしまった。

 「もうすこし機能を追加するつもりだ。できたら、自動にアップロードしておく」

 ミシェルの携帯の電源を切り、ルナに手渡した。

 「ミシェルには、あとで渡しておいて」

 

 「クラウド――またいなくなるの?」

 「え? ――うん。まだちょっと、やることがある」

 「ミシェルには、ちゃんと、居場所を伝えておいた方がいいよ」

 ルナは頬っぺたを膨らませて言った。クラウドは「うん」と苦笑し、

 「だいじょうぶ――ミシェルに、ちゃんと俺の居場所は知らせておいた」

 「ほんとに?」

 「ほんとのほんと。ミシェルには、みんなに言わないでって言ってあるから、ルナちゃんたちには言えないけど」

 「……」

 

 クラウドは、何日か分の着替えをつめたボストンバッグを持ち、

 「じゃあ、十日後か、早く終わればもどってくるよ」

 そう言って、さっさと部屋を出て行った。

 

 クラウドが一体全体、こそこそ隠れて何をしているか、アズラエルにも分かっていないのだが、この追跡装置を改造していただけでないことは皆にもわかった。クラウドが、オルドという青年を、軍事惑星群に送り出した――そのことからも、彼が「真実をもたらすライオン」として、できることを探しているのかもしれないことは、分かっていた。

 

 「毎日、家から通うわけには行かないのかな」

 セルゲイがポツリと漏らした。アズラエルも電源を切って、携帯をテーブルに置いた。

 「アイツは、一度集中すると、昼夜もメシも関係なくなる。よほど集中してやりてえことがあるんだろ。邪魔はしてほしくないってことだ。――このあいだの真砂名神社のことで、アイツなりに、なにか思うところがあったんだ」

 

 「……君たちの介護、私ひとりじゃキツイものがあるんだけど」

 セルゲイの、もっともな意見だった。カレンがいるからなんとかなっているが、ルナとピエト、ミシェルだけでは、車いすからふたりを下ろすこともできないのだ。

 入浴だけは、椿の宿ですませているのが救いだった。ベッタラも毎日来るし、たまにペリドットも手伝ってくれる。

 

 「なんで、腕とか足を先に治さないの? 順番的にはそっちが優先だろ」

 なんだか黒いセルゲイを相手にすれば、ペリドットも言うことを聞くかもしれないとアズラエルとグレンは思ったのだが、一応、言い訳がましくペリドットに言われたことを繰り返してみた。

 

 「ペリドットが、二日待てって言ったんだ」

 「二日?」

 「ああ――明々後日には、腕か足、治してくれるんじゃねえか」

 セルゲイの黒さに、深みが増した気がした。

 

 「あと――二日ね――二日……」

 「セルゲイ! きょうのゆうごはんはボルシチです! ピロシキもカレンとつくるよっ! 鶏肉入ったポテトサラダも食べたい?」

 「――ホント!? 楽しみだな。ポテトサラダも食べたいに決まってる」

 

 ルナは無意識にだが、セルゲイの黒雲をはらうことに成功した。アズラエルとグレンは、さすが俺たちの女神だと、心中で拍手喝采したのだった。