フライヤは、ケーキがのどに詰まりそうになって、あわてて紅茶で流し込んだ。フライヤの喉を詰まらせたのは、アイリーンの壮絶な過去話ではない。もちろん、アイリーンの過去に絶句もしたが、それより気にかかることがあった。

いったい、どうしたというのだろう、アイリーンは。

アイリーン自身が辺境の惑星群に飛ばねばならない期日が近づいていて、相当忙しいはずなのに、むりやりもぎとった休日。今日の埋め合わせは、連日残業して取りかえす気なのだろうが、それにしても、無茶な時期に休みを入れたと、フライヤも思っている。それに、今日のアイリーンはむやみやたらに明るくて、口数が多かった。とどめを刺すように、フライヤをこのケーキ店に連れてきて、思い出話をするなんて――。

 

「――アイリーン、正直に言って」

「え?」

「今度の任務――相当危険な場所に行くの? そうなのね?」

 

アイリーンの目が丸くなった。

「き、危険って――そりゃ、心理作戦部が行くとこは、危険なとこばかりだけど――そうじゃなくて――ア、アイリーンは、なにか、覚悟してるんじゃないかって――今回の任務は――死の危険が――」

言いながら、フライヤは涙ぐみ始めた。テーブルの上のナプキンで目じりを押さえながら、なおも言い募ろうとすると。

アイリーンの肩が小刻みに揺れている――笑っているのだ。

フライヤは、ついでに鼻も抑えると、真っ赤になった顔をかくすように、もう一枚ナプキンをつまんだ。

 

「もしかして――わたし、早とちりした?」

「心配してくれるのはありがたいけどね――僕、そんなにおかしかった?」

顔をくしゃくしゃにして、さんざん笑ったアイリーンは、フライヤにナプキンを投げつけられて、またアハハと声を上げて笑った。

 

「――おかしいわよ! 無理しておやすみを取ってみたり、――今日だってすごくお喋りだったし……」

フライヤの声がフェードアウトしていく。アイリーンは笑うのをやめた。

「無理にじゃない。僕が、フライヤと遊びに行きたかったんだ。それに、僕は今日、そんなにお喋りだった? はしゃいでいたように見えるなら、それも嘘じゃない。楽しかったんだ――ホントに」

「ホントに?」

「うん。僕は、学生時代以来だ。女友達とこんな風に出歩いたのは」

フライヤも、俯いたまま言った。

「あ、あたしも――ひさしぶりだった」

「よけいな気を回させてすまなかった。――僕はおかしいように見えたかもしれないけど、実際、とても楽しかったんだ。ほんとうだよ。今日、休みを取った理由は――これは、最後に言うつもりだったんだけれども、」

アイリーンの声が、わずかに力をなくした。

 

「――昇進、おめでとう」

 

「え?」

今度はフライヤが、目を丸くする番だった。

「だから、昇進おめでとう。……まさか、聞いてないとは言わないよね? 君は少尉に昇進した。昇進して、ミラさまの秘書室にはいることになった」

おめでとうと言いながらも、どこか物寂しいアイリーンの口調に、フライヤは気が付かなかった。

 

「アイリーン――知ってたんだ」

 

 

フライヤが、昇進の通達を庶務部で受け取ったのは、三日前のことだった。

もと傭兵がいきなり少尉に特進することも、ミラの秘書室にはいることも、異例尽くしのことである。フライヤは庶務部の皆が帰ったあと、こっそり管理官に呼ばれ、通達を受け取ったのだった。

管理官は驚いてもいず、昇進おめでとうの言葉もなかった。興味がないというより、詮索しないように、余計なことを言わないように、彼はできているのだろう。庶務部はひとの出入りが激しいし、いつのまにか、だれかがいなくなっていることは日常茶飯事だ。管理官の中では、フライヤもそのひとりに入っているに違いなかった。

傭兵が、少尉に特進するという、異例の事態でも――。

 

「一週間後に、正式に移籍だから、それからは庶務部に来ちゃいけないよ。あんたの勤務地は秘書課になるからね――それから明日十時、秘書課に行ってね。ミラ様が待ってるから。そこでいろいろ、今後のことを聞けるんじゃないかな」

フライヤの頭は混乱でまっしろだった。この時点では、昇進の理由がまるで分からなくて、フライヤはたじろいだ。

急に恐ろしくなってきたのだ。

「それじゃ、今日はあがりで。ごくろうさん」

 

フライヤは通達を受け取ったまま、フラフラとバスに乗り、家路に着いた。

エルドリウスは相変わらず不在だったし、アイリーンは、一か月後におもむく辺境惑星群への手配で、お茶会の時間も取れないほど忙しくなっていた。

すぐ二人に話そうとしなかったのは、今回ばかりは、ふたりに気をつかったわけではなく、動揺しすぎて、だれかに話すという考えすら思い及ばなかったためだ。

家には母親がいる。今日ばかりは、説教も、ご意見も聞きたくなかった。

フライヤは途中でバスを降り、人がまばらなオープン・カフェのすみっこで、震える手で通達の封筒をあけたり閉じたりし、中身を見ないまま、テーブルに置いてじっと見つめた。

 

(――ああ)

なんでこんなことに?

 

フライヤはテーブルに突っ伏した。

(無理だよ。ミラ様の秘書室? あたしが? なんで?)

 

エルドリウスがミラに直接言いでもしたのだろうか。エルドリウスは、庶務部がそんなに退屈なら、言ってくれれば良かったんだといっていた。彼が気をまわしすぎたのか――しかし、相手はミラである。首相の秘書室に、知人が頼んだからと言って、とくに実績もない小娘を移籍させるはずがない。

あと考えられるのは――例の辺境惑星群についてのレポートだ。それしかない。なにしろ、段ボール二箱分もレポートを提出したのは庶務部だけであり――つまり、フライヤだけだからだ。

まさか、あのレポートが、こんな結果につながるとは。

レポートを書いたときの気概は、微塵も残ってはいなかった。ただ、これからの生活への不安が、フライヤの足を竦ませていた。