それからふたりは、当たり障りのない話をしながらケーキを食べ、お茶を飲み、リュカに声をかけてからカフェを後にした。

バスに揺られて一時間。陽も沈もうという頃合いに、カペーリヤの港に着いた。

潮の匂いが車中に満ちる。ふたりはバスを降り、漁船がゆらゆらと浮かぶ埠頭を、沈む夕日をながめながら歩いた。

この街の夏はとうに過ぎ、秋に差し掛かっている。ひと気はない。海鳥がときおり、夕刻を告げるように鳴き声を上げて、水面に突進していた。

 

「……あのね、アイリーン」

埠頭の端まで来て、フライヤはようやく口を開いた。アイリーンは、フライヤの言葉を、今か今かと待っていた。フライヤがバスのなかで何も話さなかったわけではない。だが主題は適当な話題にとってかわられていた。

ケーキ店でした、昇進の話は、あまりに中途半端に切られたままだ。

フライヤは、まだなにか、言いたいことを抱えていそうだった。

「なに? フライヤ」

アイリーンは、フライヤに初めて会った時のように、最大限に優しい口調を努力した。

 

「あたし、昔ね、……親友がいたの」

 

昔? フライヤの言葉は過去形だ。今は、親友ではなくなったということなのか――それとも。

アイリーンは、フライヤの言う親友が、何故昇進の話につながるのか分からなかったが、黙って聞いていた。

 

「シンシアって言ってね、彼女は、白龍グループの、白龍幇の幹部の娘なんだけど、彼女のお父さんには本妻がいたから、ようするにシンシアのお母さんは愛人なのね。シンシアのお母さんは、白龍幇の下っ端で、すごく体の弱い人で、とても傭兵としてはやっていける人じゃなかったから、お父さんがかわいそうに思って、愛人にしたんだって。そうすれば、少なくとも、食べては行けるから」

「……」

「お父さんは優しい人だったけど、本妻さんはとても怖い人だったから、シンシアはお母さんと一緒に、白龍グループの下っ端構成員にあてがわれる宿舎で育ったの。本妻さんから隠れるようにして。あたしの隣の家。だから、シンシアとあたしは幼馴染みだった」

フライヤは、懐かしむように海を眺めた。

「お母さんがああいうひとだったからかな――シンシアはとてもしっかりしてた。大きくなったら、自分が傭兵グループを作ってお母さんを楽させてあげるんだって、ほんとうに小さなころから、口癖のように言っていた。そのお母さんは、あたしの父さんと同じ任務で死んだわ。同じ時期に、あたしは父親を亡くして、シンシアはお母さんを亡くした」

アイリーンは、慰めの言葉を口にしようとして、黙った。フライヤの話の続きを待った。

 

「シンシアは、それでも夢を叶えた。ほんとに傭兵グループをつくったの。卒業してすぐよ。“ホワイト・ラビット”っていう――総員五十人の、」

「最初から五十人態勢? ずいぶん大規模じゃないか」

アイリーンは、素直に驚きを口にした。フライヤは笑んだ。

 

「シンシアは、学生時代も、ひとの中心になる子だったの。シンシアがリーダーなら、入ってあげるっていう人は多くいたわ。女だけじゃない、男だってシンシアには一目置いていた。シンシアは、L18のアカラ第一や、L19のシャトーヴァラン第一にも友達がいて、そこの卒業生も入ったもの。先輩たちもいたし、白龍グループから入ったひともいた」

「それはすごい。――“まだ残っていたら”、ブラッディ・ベリー規模のグループになっていたんじゃないか? その子は、なんとなくアリシアを髣髴とさせるね」

アイリーンの言葉は、彼女が、ホワイト・ラビットの末路を知っていることを、フライヤに知らしめた。フライヤは頷き、

「そうかも。残っていたらね――グループを創設して、すぐの任務で、シンシアが死ななければ」

「あの任務で、亡くなったのは、――ボスだけだって聞いたけど」

「そう――死んだのは、シンシアだけ」

 

あの任務で死んだのはシンシアだけだったが、トップを失ったグループは、すぐに解散の憂き目にあった。トップの後釜のことなど考える余地もなかった。創設したばかりだったのだから。

ホワイト・ラビットの構成員は、フライヤとウォレスを抜かして、全員白龍グループが引き取ってくれた。ウォレスは、今フリーの傭兵でやっているはずだ。フライヤが、白龍グループに所属しなかったことを心配して、何度か連絡をくれたが、そのころのフライヤは、シンシアを失った悲しみに打ちひしがれて、なにも手に着かなかった。返事のないメールや電話に、ウォレスの親切もやがて途絶えた。

 

「あたしは、シンシアを死なせたグレンさんをすごく憎んだ」

どうして、グレンはシンシアを助けてくれなかったのか。ふたりは愛し合っていたはずだった。それなのに、どうしてシンシアを、爆弾を仕掛けてまわる、一番あぶない役割に配置したのか。

ほんとうはグレンがやるはずだったその役割を、シンシアがこっそり引き受けた――グレンに内緒で。

それを聞いたとき、悔しくて、フライヤは号泣した。ウォレスは、グレンを恨むなと言ったけれど、フライヤは恨まずにいられなかった。

 

「どうして、シンシアが死ななければならなかったのか分からなかった。あたしがあとから、作戦図案を見ただけでも無謀な作戦だった。それだけのことをしなきゃ、あの砦は落とせなかったってウォレスさんがいったけど、みんなも承知の上で、あの作戦を決行することを承諾したって言ったけど、グレンさんのせいで、シンシアが死んだ。あたし、思わずにはいられなかった」

フライヤは一度ためらいを見せたが、それでも、思い切ったように言った。

「グレンさんが――死ねばよかったのに」

「……」

「どうして、シンシアが死ななきゃならなかったの? シンシアが時間までに帰って来れなかったのは、敵に見つかったからだけど――もとから、無謀な作戦だったのよ。シンシアに“死の覚悟”がなかったら、あの任務は遂行できて、いなかった」

シンシアは、任務を中断して、逃げることだってできたはず。グレンが、助けに行ってくれれば――仲間は、どうしてシンシアだけを置いてきてしまったのか。言いたいことは山ほどあった。だが、現場にいなかった自分が何を言っても、仲間を責めるだけ。フライヤは、何も言えなかったのだと、しゃくりあげながら告げた。

 

「グレンさんのせいでシンシアが死んだ。あたしは、許せなかった。怒って、怒って――グレンさんなんか、死んでしまえばいいと、何回も思って――」

アイリーンが貸してくれたハンカチで、フライヤは涙を拭って、つづけた。

「でも――あたしは、グレンさんを恨む価値もないことに――気づいたの」

 

息を継ぐ間もなく喋っていたフライヤの声がピタリとやみ、静かな涙がぽつりと落ちた。

 

「――あたしは、ずっと、シンシアの影にかくれていただけだった」

アイリーンが、そっと、フライヤの肩に手を置いた。

「小さなころからずっと――シンシアの影に隠れて、怯えて、一人じゃ何もできなくて、ともだちも、作れなかった。シンシアの取り巻きの中に、おまけのように入れてもらって、いつもビクビクしながら過ごしてた。シンシアに守られて、あたしは生きていたの。――シンシアのつくった傭兵グループに入れてもらっても、みそっかすだった。あたしは、任務に参加することもなく、待機してたアジトで、シンシアの死を聞いたのよ――」

フライヤは、自分を嘲笑うように、泣き笑った。

「親友と同じ傭兵グループに居ながら、あたしが親友の死を聞いたのは、自分は何も傷つかない、待機場所。――シンシアは怖かったろう、敵に見つかって、逃げ回って、爆弾のスイッチを押すときは、どんなに怖かっただろうって――考えれば、考えるほど、自分には、グレンさんを恨む資格も、シンシアの死を悼む資格もないんだって思えてきた」

「……」

「自分ばかり安全な場所にいて、シンシアに守られて生きてきたあたしが、言えることなんてなにもない。みんなが、シンシアの死は無駄にしない。白龍グループでがんばるって言ったときも、あたしは、怯えて――」

 

フライヤのその先は、嗚咽に消えて、言葉にならなかった。アイリーンは、その背をしずかに撫でさすった。

やがてフライヤは、しゃくりあげながらも、言葉を繋いだ。

 

「あのレポートが来たとき、思ったの」

 

――あたしはもう――怯えてばかりで何もせずに、蚊帳の外になるのはいや。