「だから、今度こそは、笑われても、バカにされても、いらないっていわれても、役に立たなくても、自分で何かをしてみようと思ったの。できることを。……今でも、ミラ様の秘書室にはいることを考えたら、震えるくらい怖い」 言葉だけでなく、フライヤの身体がほんとうに震えだしたので、アイリーンはあわててフライヤを抱きしめた。 「――君が思うほど、怖いところじゃない。だいじょうぶだよ」 フライヤは、小さく首を振った。 「怖くて怖くて、たまらないの。――でもあたしは」 フライヤはもう一度、自分に言い聞かせるように言った。 「怯えてばかりで何もせずに、蚊帳の外になるのは、いやなの」 だから受けた。怖かったけれど。 カフェで、シンシアと自分のような学生を見たら、あのときのどうしようもない気持ちが湧きあがってきた。 ――もう、“何もしなかったこと”を、後悔はしない。 「……」 フライヤは、しばらくアイリーンに抱きしめられていたが、震えが落ち着いてくると、そっと身を離した。 「あたし、ミラ様に笑われちゃったの」 「笑われた?」 「うん。あのレポート。ディスクにする気はなかったのって」 「アハハ! それは、僕もそう思った」 フライヤの顔に笑顔がもどったので、アイリーンもすこし安心した。 「レポートの内容も、専門家に聞けば、全部わかることだって――目新しいことは、なにもない。レポートとしては、ほんとに未熟だって。――でも」 「――でも?」 「“おまえがあのエラドラシスの戦にいたら、あんな事態は避けられたかもしれない”って……言ってくれたの」 「……」 アイリーンは、黙った。だがそれは、ミラの意見を否定しているのではない。むしろ、頷きたいくらいだった。けれどそのことは――フライヤを戦争には行かせたくなかったアイリーンが求めていた結果とは、まるで違った意見だったから、何も言えなかっただけだ。 「だからね、アイリーンとのお茶会は、続行なの」 「え?」 話が繋がらなくて、アイリーンは首を傾げた。 「ミラ様がそう言ったの。これからも、アイリーンとのお茶会を続けてくれって。これからはあたしも忙しくなるだろうけど、なんとか都合をつけて、アイリーンとのお茶会だけは、続けろって、そう言ったの。ミラ様のお許しのもと、堂々とお茶会ができるのよ!」 「……!?」 アイリーンは、信じられない言葉に、カチンと固まった。 「どうせ、アイリーンとは政治の話か辺境惑星群の話か、軍事惑星群の話しかしないんだろうって。だったら、それを続けてくれってミラ様は言ったの。心理作戦部と秘書室のつながりができていいし、情報交換もスムーズにできるからって――あたし、笑っちゃったわ。ケーキ食べながら物騒な話ばっかりしている穴倉のお茶会は、秘書室でも噂になっていたって。何をたくらんでるの、だって」 「……!?」 「それで、一ヶ月に一度くらいは、ミラ様も仲間に入れてくれって、そう仰っていたわ」 フライヤは、固まってしまったまま反応のないアイリーンの手を取り、跳ねてみせた。 「……嬉しくないの? アイリーン」 「……う、」 アイリーンはついに絶叫した。 「嬉しくないわけが――ないじゃないか!! 僕、僕は――君とは、もう、ほとんど、会えなくなると――!!」 声を詰まらせたアイリーンは、「ゴ、ゴメン」と謝りながら、フライヤから手を離して目じりを擦った。 「僕は――だから、今日――」 「そうだと思った。あたしもほっとしたの。これからも毎日――とは言えないけど、アイリーンに会えるんだって」 アイリーンは、無言でフライヤをぎゅうっと抱きしめた。それが、史上最大の、喜びの証だった。 「フライヤ!」 アイリーンは、フライヤを離すと、今度は両手を握った。 「今日は前祝いだ! 夕飯はフルコースにするよ! 君の出世祝いと、それから、僕たちの友情と、ミラ様とカレン様と、アミザ様の健康を祝して! L20の幸先を祝って!」 「え――ええ!?」 おどろくフライヤを尻目に、アイリーンはすぐに携帯電話を持ち出して、予約の電話をかけ始めた。 「ちょ、ま、あたし、そんな高いとこじゃなくても、ふつうの居酒屋とかで……」 「何を言ってるの! ――ああ、僕だけど。今夜八時から二名、フルコース、予約できる? ――そう、じゃあ、よろしくね。メインは魚で――フライヤは肉より魚が好きだから。それから、ケーキもつけて。ホールでね、祝いの言葉を。――そうそう、もちろん昇進さ。名前は、フライヤ・G・ウィルキンソン! それで、シャンパンを、ウィルキンソン家宛に届けてほしい。そうそう、――ヴィラ・ストリート225番地――あの高級住宅街でウィルキンソンといえばわかるだろう? 花束と、祝いのカードといっしょにね――」 フライヤは、「アイリーン!」と彼女を止めにかかったが、だいぶ身長差、体格差ある相手には、あしらわれて終わりだった。 フライヤ宅の住所を告げるアイリーンの、喜びに火照った横顔に、フライヤはフルコース撤回をあきらめた。まったく、エルドリウスもアイリーンも、こちらがいたたまれなくなるほど気前が良すぎて、困る。 (最近は、やっと慣れてきたけど) しかし、多忙な彼らにしてみれば、こういうきっかけでもなければ贅沢をする機会もそうそう、ないのである。最近それが分かってきたフライヤは、素直に好意を受け取ることにしている。 フライヤは、暗くなりかけている海をながめた。 潮の香りを、体いっぱい吸い込み、(――シンシア)と、誰にも聞こえないように、小声でそっとつぶやいた。 「予約が取れたよ――フライヤ、マスカレードに戻ろう。八時からの予約だから、今から行けばちょうどいい」 アイリーンが、今朝のように、フライヤの手を取ってバス停への道を戻りだした。 フライヤは、灯台の灯りを見つめ、煌めく波間を見つめて、想った。 (シンシア、もうあたしは大丈夫。これからは、自分の足で踏みだすよ) ――怖くても。ひるんでも。 ひとつ深呼吸して、勇敢だった親友を、思い出す。 フライヤは、小さなピンクのうさぎと、真っ白いうさぎが、灯台の方で笑っている気がして、びっくりして目を擦った。あんなところに、うさぎなんているはずはない。 でも――あのうさぎは、どこかで見た気がする。キャラクター商品だっただろうか。 こどもが、ぬいぐるみでも抱えて、灯台に上がっているのか? だが、灯台の展望台は暗く、人がいる気配はなかった。 「どうしたの、フライヤ」 バスに乗り込む途中に立ち止まってしまったフライヤに、アイリーンが声をかけた。 「ううん――なんでもない」 フライヤは、笑ってアイリーンの隣に座った。 シンシアという大きなストールに隠れてばかりいたあたしは、これからはちゃんと、自分で輝けるようにがんばっていく。 (ありがとう、シンシア――アイリーン) 灯台が、静かに波打つ、夜の海を照らしていた。 |