百十六話 夢 W



 

ルナは、遊園地にいた。例の、夜だけ運営していて、そして動物の着ぐるみばかりいるおかしな遊園地。

 

ああ、そうだ。

黄色と茶のまだらネコを捜さなければ。

ブレアはどこにいるだろう、まだ彼女は、コーヒーカップに乗っているのだろうか。

 

ルナが園内に入ると、そこには黒ウサギが待っていた。

ジャータカの子ウサギだ。

「行きましょう」

ベンチから立って黒ウサギは言った。ルナは一応聞いてみた。

「黄色と茶色のまだらネコを知らない? このあいだ、コーヒーカップに乗ってぐるぐる回っていた――、」

黒ウサギは頷いた。

「知ってるわ。あなたより先に、私見つけたの」

 

「でもね、あまり寄り道はしていられないの。早く“白ネズミの女王”を助け出さなきゃ」

 

そうだ。一刻も早くアンジェリカを助け出さなければいけない。

 

黒ウサギはすぐにルナの手を引いて走り出す。奥へ進み、すぐにコーヒーカップのある場所へ連れて行ってくれた。

ああ、いた。

黄色と茶色のまだらネコがいた。コーヒーカップの遊具は動いていない。まだらネコは回らないコーヒーカップに乗ったまま、寂しそうに、「にゃあ」と鳴いた。

 

「チケットを、使い切ってしまったのよ」

黒ウサギは言った。

「チケットは無限にあるものじゃないわ。もうコーヒーカップは回らない。行きましょう」

 

ルナはでも、黙ってここを去るわけにはいかない気がした。寂しそうなネコ。このまま、ここにいる気だろうか。

ルナはあちこちポケットを探った。胸にはスタッフのパスカードがあり、パスカードのケースには、スタッフであることを示したカード以外、なにもない。ワンピースのポケットにも何も入っていない。懲りずに探していると、上に羽織った、カーディガンのポケットに突っ込んだ手が、何かに触れた。取り出してみるとそれは、五枚つづりの遊園地の回数券だ。二枚残っている。

 

「ダメよ、ルナ」

黒ウサギは止めた。

「それをあげても、あのまだらネコはまたコーヒーカップを回すわ。同じことよ」

「でも、ほかの乗り物が楽しいのを知らないだけかも」

ルナは言い、まだらネコに近づいた。まだらネコは項垂れていて、まえのようにルナに威嚇してきたりはしなかった。

 

「ダメよ、ルナ。ダメだったら」

黒ウサギは、意を決したようにルナの前に立ちはだかり、告げた。

「このネコは、真っ赤な子ウサギと組んで、あなたを陥れようとしたのよ」

まだらネコは、急にガタガタと震えだした。――悪さがばれた罪人のように。

「おかげで、どんどん“白ネズミの女王”の救出が遅れて行くわ。こんなやつに、同情することはないのよ」

ルナはでも、ここにまだらネコを置いていくのはかわいそうに感じた。

まだらネコが、というよりは――ナターシャが、だ。

 

「一緒に来て。さあ」

 

まだらネコは、ルナに手を引かれて、おずおずとコーヒーカップを降りた。ルナは、黒ウサギと一緒にまだらネコを連れ、観覧車まで来た。そこには、前と同じお坊さんの恰好をしたトラがいる。ルナはトラに回数券を一枚わたした。

回数券は、残り一枚になってしまった。

まだらネコは、ルナたちのほうを何度も振り返りながら、観覧車に乗った。ゆっくりと、ネコが乗った部屋が、上へあがっていく。まだらネコは窓に張り付いたまま、ずっとルナたちのほうを見ていた。

「どうして観覧車なの」

黒ウサギは不思議そうに尋ねた。ルナも分からなかった、なぜか、観覧車に乗ればいいんじゃないかな、と思ったのだ。

 

「……高いところからの見晴らしは、素敵だと思う」

 

「行かなきゃ」

黒ウサギは、ルナの手を引っ張って行こうとしたが、すぐに、もっふりとしたビロードの羽毛にぶつかった。大きな鳥だ。

濃いグレーの小鳥――ルナたちウサギより大きな小鳥は言った。

 

「なあ。ボタンを落としちゃったんだよ。見つからないんだ。もしかしたらボタンは盗まれたのかも。大切に箱に入れてしまっておいたのに。知らない? 黒ウサギちゃん、君は知っているだろ?」

「貴方はもうちょっとあとなのよ。ごめんなさい」

「ネズミが先で、俺はあと? 俺の用事だって大切さ!」

見かけは小鳥なのに、とにかく大きい。ルナたち子ウサギの数倍はあるだろう。俺の言うことを聞くまでは通さないぞ! というように羽根を広げて立ちはだかる。

 

「やめたまえ! どうせ飛ぶこともできないくせに」

ルナたちの視界が、真っ暗になった。ルナと黒ウサギは、振り返ってびっくり仰天し、腰を抜かした。巨大な黒いタカが――何メートルもある羽根を広げた大きなタカが、ルナたちを見下ろしているのだ。さらにその後ろには、鎌首をもたげた巨大なヘビが。

ルナは、この黒いタカが、このあいだの夢で見た、おしゃべりなタカだということに気付いた。あのときは、こんなに大きくはなかったはずだが――。

大きな椋鳥も、さすがにこの、大きなタカとヘビには怯んだ。

 

「ボタンとはこれのことかね」

タカはくちばしになにかくわえている。椋鳥へ差し出した。

「あっ! お前が盗んだのか!!」

でかい椋鳥はタカに体当たりしたが、このタカはたいそう大きかった。椋鳥は弾き返されてドスンと尻もちをつく。

「食ってしまうぞ!」

タカとヘビの威嚇に、飛べない大きな小鳥は羽根をバサバサさせながら、大慌てで逃げていった。タカはくわえていた小石を、ぽいと捨てた。

 

「仕方のないやつだ」黒いタカは言った。「お嬢さん方、お怪我はありませんか」

 

ずいぶん紳士的なタカだったが、黒ウサギはタカに怯えていた。全身がガタガタ震えている。無理もない。ルナだって怖かった。ルナは黒ウサギを抱きしめた。守ろうとするように。 

それを見たタカは羽根をたたみ、なるべくちいさくなろうとした。タカに羽根先で突かれ、ヘビも鎌首を下ろした。これ以上近づいてこないところを見ると、怯えさせないように気を配ってくれているらしい。

 

「私は、君を食べはしないさ。大変――もうしわけないことをしたと思ってはいるけれども」

わたしも仕事だったのでね。タカは黒ウサギに向かって言っているようだった。

「椋鳥は、私が何とかしよう。君たちは、君たちの為すべきことをしたまえ。……そこの、ピンクのウサギさん」

黒いタカは、ウィンクした。

「導きの子ウサギは、謎を解いたかね」

ルナはこのあいだのお茶会のことを言っているのだと思って、盛大に頷いた。やはり彼は、あのときのタカだったのだ。

「あのときはアドバイスをありがとう」

ルナが礼を言うと、タカはその鋭い目つきを和らげて、「よかったね」とでも言っているような目をした。

「ではまた、いずれ! はーっはっは!」

高笑いを残して、黒いタカはばっさばっさと飛んで行った。

 

「へんなタカ……」

ルナは、思わずつぶやいた。

青大将も、舌をちろちろ出しながら二人を眺めていたが、「じゃあ、また今度」と言ってうねうね戻っていった。

ルナは、この青大将も見たことがある気がした。

(そうだ)

はじめて、布被りのペガサスに会い、彼女を天翔けるペガサスと出会わせたときに、遊具の影から覗いていた大きなヘビだ。

 

 黒いタカとヘビの姿が見えなくなったとたん、それを待っていたかのように、「やっちまえ!」という声が聞こえた。

 

 「あっ! あの子!!」

 黒ウサギが忌々しげに唸った。やっちまえといったのは、真っ赤な子ウサギだった。子ウサギは、たくさんのネズミを引き連れていた。

 ルナもさすがに分かってきたが、ZOOカードの世界は、動物の実際の大きさはあまり関係ない。ネズミのはずなのに、ルナたちよりずいぶん大きな灰色や茶のネズミに囲まれて、ルナは怯えた。

 黒ウサギが必死でルナを後ろに隠して庇ってくれるのだが、その黒ウサギを、ネズミたちが鋭い爪で引っ掻こうとする。

 

 ルナは思わず叫んだ。自分ではない何かが、叫んでいるようだった。

 「“真っ赤な子ウサギ”さん! こんなことをしても、何にもあなたのためにならないのよ」

 「うるせえ! あんただけ幸せにしてたまるか!」

 真っ赤な子ウサギは、口汚く罵った。

 「死んでしまえ! あんたなんか、あんたなんか、あんたなんか!」

 

 真っ赤な子ウサギは、なぜだかルナをひどく恨んでいる。逆恨みもいいところだったが、真っ赤な子ウサギが欲しいものを、ルナがすべて持っていることが気にくわないのだ。

 ルナはせめて、真っ赤な子ウサギに、素敵な恋人ができることを願った。

彼女の望みは、“お義兄さん”のような、素敵な軍人なのだ。

 だけれども、真っ赤な子ウサギは、まだらネコの比ではなく、罪を重ねすぎている。

 このままでは、恋人ができるどころか――。

 

 ルナは、ポケットの中に手を入れた。チケットの最後の一枚を、真っ赤な子ウサギのために使おうとしたのだ。黒ウサギは青ざめた。

 「ダメよ! それだけはダメ! ルナ!!」