イマリはタクシーに乗って、K20区にある、ロビンの高級マンションに向かっていた。リビングの側面が全面ガラス張りで、海と夜景が見える素敵な部屋だ。 ロビンとこの部屋で過ごした時間は短かったが、夢のようだった。 インターフォンを押したが、留守のようだ。ここが、ロビンの本宅ではないことはイマリにもわかっている。でも、ロビンの本宅は分からなかった。 仕方なく、ラガーに出向いた。ラガーに一歩、踏み込もうとしたところで、イマリは人影に遮られてぎょっとした。 「イマリさんですね?」 入り口にいた私服の警官が、イマリを通さないと言わんばかりにドアをふさいでしまったのだ。 「あなたは本日より、ラガーへの入店は禁止になっております」 イマリは信じられないといった顔で絶句し、ふらふらと後ずさった。ふたりの私服警官はいっしょに外へ出てきて、イマリを囲んだ。イマリは蒼白な顔で、無表情なふたりの顔を見つめるしかなかった。 「ご自宅に一度、帰られてますよね?」 イマリは、恐る恐るうなずいた。 「通知をご覧になってない? 郵便受けに入っていませんでしたか」 イマリは、郵便受けなど見ていなかった。ただでさえ、郵便物など少ないのだ。イマリのアパートに届くのは、通販で買った品物くらいだ。 「通知を見ていらっしゃらないのであれば、この場でご説明させていただきます」 片方の警官が、携帯電話でだれかに電話している。イマリは泣きそうになった。また警察に行く羽目になるのか。 「あなたの降船処分は、取り消されました」 何の感情もない声で、警官は言った。 イマリはえっと顔を上げたが、警官は、リストでも読み上げるようにイマリに告げた。 「宇宙船を降りるか降りないかは、あなたの選択に委ねられることになります。降りる場合はどうぞご自由に、とのことです。宇宙船に残られる場合は、以上のことを守っていただきます。これが守られない場合は、ただちに降船処分となります」 イマリは信じられなくて困惑していた。 昼はたしかに、「一週間以内に降りてください」と言われたのだ。 「ひとつは、あなたには立ち入り禁止地区があります。立ち入り禁止地区に一歩でも侵入した場合、今度こそ即座に降船となります。よろしいですか、K27区には、この先いかなる理由があろうとも、立ち入ってはいけません。そして、ラガー、ルシアン、レトロ・ハウスもです。入店禁止になりました」 今まで、一番入り浸っていたバーとクラブだった。K27区に入れないとなったら、リズンにも、マタドール・カフェにも行けなくなる。 「……はい」 イマリは肩を落とした。でも、降船処分は取り消されたのだ。理由はわからないが、宇宙船を降りなくてもよくなったのだ。 もしかして、ブレアも、だろうか。 また、あの不思議な衣装の人がなんとかしてくれたのだろうか。 イマリにはわからない。 「本日は、まだ通知を確認していないとのことで、通報はしません。ただいまからこの規則が適用されますのでご注意ください」 「……はい」 「ですので、本日は、このままご自宅にお戻りになったほうがよろしいかと思われます」 イマリは、警察署を出てきたときと同じくらいのふらついた足取りで、踵を返した。このあたりは、昼日中に雨が降ったのか。濡れた地面にネオンの明かりが反射して、まぶしかった。 ワンピースの、ずり落ちた肩ひもを戻しながら、イマリは抜け殻のようになって歩いた。 そのままふらふらと、ラガーから二十分も歩いただろうか、イマリはタクシーを拾わなきゃ、と思い立って、タクシー停留所まで戻ろうとした。 そのときだった。腕を引っ張られ、小路に引きずり込まれた。 イマリを囲んでいるのは、派手な格好をした女たちだった。イマリよりずっと大柄で背も高い。五人の厚化粧の女に囲まれ、化粧と香水と酒のにおいで噎せ返りそうだ。 「コイツがロビンの女だって?」 酒臭い息を吐きながら、イマリにナイフを突きつけている女が、小馬鹿にしたように嗤った。 「そうだよ。恋人気取りでさ――ロビンも、だいぶ迷惑してたって話で――」 いったい、この女たちはなんだ。 ずいぶん露出の高い服装で、髪をけばけばしい色に染め上げていたり、濃い化粧にごまかされてはいるが、肌はぼろぼろだ。イマリは、ルシアンでよく見る、売りをなりわいにしている女たちだと気付いた。 「恋人気取りじゃないわ! あたしは、彼の、運命の、相手、で、」 イマリの叫びに、女たちは呆気にとられた顔をしたあと、弾けるように笑い声を上げた。こんなに大声を出しているのに、道を歩いている人間は、だれも注意を払わない。イマリを助けようとはしてくれない。 「あんたが恋人気取りでロビンの周りをうろつくようになってから、ロビンはあたしらを買わなくなった!」 いったん笑いがおさまると、女の一人がナイフを振り上げて、イマリの顔の横に突き刺した。イマリは「ひいっ!」と叫んで、震えだした。女が、気が狂ったように何度もがつがつと刃先を壁に突き立てる。 「こんなふうに、ロビンに突き立ててもらったかい! ええ!?」 「あんないい男を独り占めにすんじゃないよお嬢ちゃん!」 「ヒャハハハハ! バラバラにしちまえ!!」 強い酒を口に含んだ女が、ブーっとイマリの顔に吹き付けてきて、イマリは恐慌状態に陥った。 「いやああああ! 助けてえええ! ロビン、ロビンーっ!!」 イマリはがむしゃらに手足を振り回して、囲みを抜けだした。ナイフが肘に当たって、痛みが走ったが、おそろしくてそれどころではなかった。 つまずき、ワンピースも破れ、膝小僧をすりむいて、やっとの思いでラガーの前まで戻った。 そうしたら、まるで運命のように、ロビンがラガーから出て来たではないか。 (や……やっぱり……、ロビン、は、) 運命の相手だわ、とイマリが震える手を伸ばしたが、ロビンの手は取れなかった。ロビンの手を取ったのは、遅れてラガーから出て来た、美しくふくよかな、金髪の女たちだった。 「やだ、なにこの子、汚い」 「危ないわよ、こんなとこで」 女たちが、イマリを見て目を丸くする――あるいは泥だらけの姿に顔をしかめた。イマリは目を伏せた。この女たちはイマリを何度か見ているはずなのに、覚えていないのか。わざと、というふうには見受けられない。 「こんなところに女の子がひとりでいちゃダメよ。この地区は危ないのよ。タクシーを呼んであげるから待ってなさい」 ほんとうに、イマリのことを覚えていないようだった。イマリはかつて、彼女たちの前で、酔っ払ったロビンが、「こいつは俺の運命の相手だ!」と宣言し、キスしてくれた瞬間を思い出した。そのときの目もくらむような優越が、幻のようだ。イマリの存在は、なんだったのだ。彼女たちの記憶に、イマリの存在はない。 イマリは、ライバルでさえなかったというのか。 屈辱に青ざめたイマリをよそに、女の一人が店内に戻っていこうとするのを、ロビンが止めた。 「優しいねえ、エミリ」 ロビンのとろけるような声。 「いいんだよ。放っとけ。――すぐお迎えが来るさ」 「ええ?」 エミリという女もいぶかしげな声を出したが、イマリの悲鳴はすぐに上がった。 「ヒャアハハハ! いたーっ!!」 さっきの、気違い女の集団が、イマリを見つけて猛然と走ってきたのだ。 「ロ、ロビ……」 イマリはロビンに助けを求めたが、ロビンはイマリが声をだすまえに目をそらし、美女たちを抱き寄せた。エミリという女は心配そうにイマリを振り返ったが、ロビンの熱いキスに、イマリを見捨てざるを得なくなった。 「ロ、ビ、」 イマリは、泣きながらタクシー停留所まで走った。 全身泥まみれのイマリを見てタクシー運転手も顔をしかめた。イマリは乗車拒否される前に、あわてて後部座席にのり、K37区まで、と告げた。 タクシーが発進する。五人のおそろしい女たちの姿が遠ざかっていく。 肘と、すりむいた膝のいたみを、やっと認識した。 今日、はじめて着たワンピースのフリルが、ナイフの傷で引き裂かれていた。 イマリの心に残った裂傷のようだった。 五人の気違い女たちは、イマリがあわててタクシーに乗り込むところを見送って、追うのをやめた。 「あんな感じでいいかい、メリーちゃん」 「いいよ。おつかれさま、お姉さん方♪」 女たちに、それぞれ三万ずつ紙幣を渡しながらメリーは笑った。女たちも笑った。先ほどとは違う、正気を保った、歓喜の笑い声だ。 「太っ腹だねえメリーちゃん。あんたがオトコだったら、うんとサービスしてやるのに」 「ライアンは、一緒じゃないの」 「今度、ルシアンにも行くように、ライアンに言っとくわ。じゃあね」 「じゃあね〜!」 ぶかぶかのオーバーオールのポケットに突っ込んだ手を振りながら、メリーは夜闇に消えた。 |