「ええっと――ジル、ジルベール――ジルベール・U・キリル? あんた?」

手元のタブレットを見ながらのララの言葉に、ジルベールはひきつった声を上げた。

「えっ? 俺? は、はい……」

さっき、警察署でカッコつけた彼はここにはいない。今日のララはスーツ姿で、髪も短くなでつけた男性スタイルだったので、醸し出す威厳も大きかった。威圧するつもりはなくても、すっかり四人は委縮していた。あの物怖じしないエドワードでさえもだ。

どうして自分たちがここに呼ばれたのかと、質問をする余裕も、なかった。

 

「カンファドール音楽院に入る気、ないか」

ララの口から出た言葉に、ジルベールは「!?」の顔で固まった。

「おい、小僧。わたしは忙しい。入るか入らないかで答えろ。今すぐ決めろ」

「えっ!? カンファドールって、あの……」

「そう。カンファドール」

カンファドール音楽院。

L系惑星群の数ある芸術大学のうち、音楽関係に特化した有名校である。音楽院と名はついているが、オーケストラやオペラ、声楽だけではない。演劇から、クラシック・バレエや社交ダンス、民族舞踊――講師は音楽に関係するジャンルの、すべてのエキスパートがそろっている。その道を目指すものなら、あこがれの学院――L系惑星群各地から選ばれた人間だけが、その学院で学ぶことができる、推薦か、コンクールの受賞者だけしか入れない特別な学校だ。

 

「え――俺が――俺が!?」

「入る気ねえのか。推薦してやるって言ってるのに」

ララが会話に飽きてきたところで、ようやくシグルスが助け船を出した。

「ララ様は、L系惑星群芸術協会の理事でいらっしゃいます」

ジルベールには、その説明で十分だったようだ。彼は口を開け――ララが苛立ったように目を上げたところで、即座に返答した。

「は、入ります! 入ります、あの、お願いします!!」

「カンファ、カンファドール!? ……マジかよ」とジルベールが興奮冷めやらぬ様子でぶつぶつ言っているが、ララは興味なさげに次のターゲットに視線を移した。

 

「シナモン・J・シュガー? 本名かい。面白い名だね」

「え――あた、あたしも?」

「MM・ME社だな」

シナモンは紅茶を吹いた。思い切り不細工な顔で紅茶を吹き、高級ソファを汚した。モデルとしてあるまじき行為だ。しかし、誰も止めなかった。たしなめることもできなかった。隣のジルベールも、レイチェルたちも口をあんぐりと開けた。

MM・ME社は、ルナたち一般市民もよく耳にする、業界最大手だ。そこの専属モデルになれば、世界モデルになる道が開けるし、映画に出演するのも夢ではない。

 

「え――えむ――MM――」

「一生、地方紙の雑誌モデルで終わる気かい? それだけキレイな顔持っててさ」

カンファドール音楽院がジルベールにとって雲の上の存在であるように、シナモンにとってもMM・ME社は憧れでしかない場所だ。信じられなくて、さすがのシナモンも絶句した。

「わたしの女になるか、それともMM・ME社に入るかだ」

「ありがとうございます! MM・ME社に行かせていただきます!」

「さて――エドワードと、レイチェル――ふん、ボガード・カンパニーのご令嬢ね――で、こっちは、ワトソンHD取締役の次男坊」

ララはタブレットから顔を上げて、エドワードを見据えた。シナモンの、声なき絶叫が急に遠くなった。エドワードの背中に、どっと脂汗が噴きだす。

「おまえ、次男坊だけど、会社を継ぐことになってンの」

緊張してはいたが、ララの質問には、即座に答えることができた。

「いいえ――俺は、レイチェルの家に入ります」

レイチェルが、驚いた顔でエドワードを見た。

「ふうん――シグルス」

ララの合図に、シグルスは、漆塗りの名刺盆に、プラスチックカードのように角までぴんと美しい名刺を一枚乗せて、恭しくエドワードに差しだした。

エドワードは、おずおずと名刺を手に取った。それは、ララの名刺だった。だが、名前の欄には「アイザック・D・ヴォバール」とある。

 

「ご令嬢の実家の事業を立て直すには、並大抵の努力じゃいかないよ――それでもあんたは、そっちの道を選ぶって言うんだね」

「……覚悟はしてます」

レイチェルが涙ぐんだのを、ルナも見た。

「その意気だけ、買収してやるよ――にっちもさっちもいかなくなったら、その名刺をもって、L55のエドモント銀行へ行け。低金利で、望み通りの金を貸し付けるようにしておく」

エドワードとレイチェルの身体が動揺に震え、エドワードは手の名刺を落としかけた。

「ただし、貸し付けるのは一回だけだ――いいかい? よく考えて、その名刺はつかうんだよ。借りるタイミングを間違えるな。あそこに返せないとなったら、もうどこの銀行も融資には応じないし、信用も地に落ちる」

「――はい!」

「おまえはバカじゃなさそうだ。わたしの信頼を裏切るなよ」

レイチェルの頬もエドワードの頬も紅潮し、涙ぐんでいた。さっきまでの涙とはまるで違う――光明が差してきたことに対する、うれし泣きだ。

 

「話はそれだけ。じゃあ、しっかりやりな」

ララはさっさと立った。隣室に消えていこうとするその背に、エドワードとレイチェルが、声をそろえて「本当にありがとうございます!」と叫んだのが精いっぱいだった。ジルベールとシナモンは、驚きと興奮のせいで、礼を言うタイミングをすっかり逃してしまった。

 

「皆様方は、こちらへ。ご自宅までお送りします」

品のいいスーツを着た女版シグルスが現れて、レイチェルたち四人を部屋から出した。四人は降ってわいた幸運のせいで、ルナたちだけが部屋に残されたことに、疑問を感じる余地もなかった。

部屋に残ったのは、ルナと、アズラエルとグレンだ。ルナは終始、口をぽかっと開けっ放しだった。この部屋に入って、十五分と経っていないのではないか。レイチェルたちに出された紅茶は、まだ湯気を立てている。

隣室に引っ込んだはずのララがまた舞い戻って来た。

 

「なんて顔してんだい、ルーシー」

ララは、手にブランデーとグラスを抱えていた。ララが酒を男どもに配るまえに、シグルスが、カラフルなマカロンが盛られた皿と、アールグレイのティーカップを、ルナの前に置く。

「ラ、ララさん……」

「うん?」

「あ、ありがとう……」

事態は、ルナが追いつけないほどのスピードで進んだので、それだけ言うのがやっとだった。

 

「あ、わかるかい? それ、美味いんだよ。リリザの有名店のマカロンを取り寄せたのさ。あとでミシェルにもお土産に持って行っておくれ。あなたがいつ来てもいいように、毎日最高級の菓子を用意してるんだよ。船内のショコラ・ブティックからも毎日チョコレートを取り寄せてる。シグルス、チョコレートも何個か選んで、つつんでやって」

「かしこまりました」

「おひゃああ!」

ルナはマカロンを口に運びながら悲鳴を上げた。わざわざリリザから取り寄せたとは。

「あのね! マカロンも美味しいけど、ジルベールたちのこと!」

「ああ、それなら、礼はアンジェのほうにお言い」

「――え?」

「あの子たちが、宇宙船を降りることになるかもしれないってことは、アンジェがずいぶん前から予想してたことだったのさ――降船のきっかけが、アズラエルたちをかばっての結果になるだろうこともね――そのときは、できるかぎりのことをしてやってくれって、わたしは頼まれていた」

 

アンジェリカが。

ルナは、輸送代だけで目が飛び出るだろう高級マカロンから、視線をララにうつした。

 

「バーベキューパーティーで仲良くなった友達だからってねえ。……ま、わたしだって、友人の頼みとはいえ、簡単に金を貸したり、カンファドールに推薦したりなんかしないよ。あの子たちの素性は、調査済みだ。そのうえで、あれが妥当だと判断したのさ」

「……」

「地球行き宇宙船のチケットが当選するくらいだ。強運は持ち合わせているさ。わたしは、ただ後押しをしただけだ。ストリート・ダンスの坊やも、雑誌モデルのあの子も、素材はいいが、実力が足りない。この宇宙船なんかで時間を食いつぶしてるのがもったいないよ。原石は、磨かなきゃ原石のままだ、ルーシー。あなたもよく、そういっていた。オレンジ頭の子も、意気込みと覚悟はいいが、斜陽の企業を再生させるってのは、そう甘くはない。わたしのお節介は、キッカケにすぎないよ。これからの道を切り開いていくのは、あの子たちの力だ」

ルナは、いつも明るくて泣き言など言わないエドワードの事情を垣間見た気がしたが、ふかくは聞かなかった。