「アンジェは、……まだ、ZOOカードをつかえないままなの?」

「なんだ、聞いていたのかい」

シグルスがやっと、ブランデーをララの手から受け取って、アズラエルとグレンと、そして主のグラスに注いだ。

「まだ不調は続いているそうだよ。まァ、無理もない。あの子も、宇宙船に乗ってから、いろいろあった。人生の根幹から揺さぶられるような出来事が次々とね――医者は、軽い鬱だと言ってる。本人は認めてないそうだが」

アズラエルとグレンは黙って、上等なアルコールを摂取した。ルナが、アンジェリカのことを聞こうとしたが、ララが遮った。

 

「ルーシー、ごめんね。アンジェの話はあとでゆっくりしよう――。先に言っておかなきゃならんことがある」

ララはグラスを持った手の指を立てた。

「さっきの子たちには言うなよ? 話がややこしくなるからね」

「いったいなんだ」

アズラエルが、久しぶりの強い酒に至極満足し、おかわりを要求しながら聞いた。

 

「あのブレアって子は、強制的に、一週間以内の退去になるが、イマリって子は、降ろされない」

 

「なんだと!?」

さすがにグレンとアズラエルは声をそろえ、ルナもびっくりして、マカロンを口から零した。

「な――なんで!? だって、だって、エドワードたちは降ろされるのに……」

 

「その反応は予想通りだね」

ララも一杯、きつめのアルコールを干した。二杯目をシグルスに注がせた後、「それはやるよ、おまえらに」と残った酒を瓶ごとアズラエルに渡すよう、ララは顎をしゃくった。

「おまえら庶民の口には滅多にはいらないシロモノだよ――ああ、そっちのお坊ちゃまは寝酒だったかもしれないけど。押し戴いて呑みな」

グレンが口笛を吹いたところを見ると、ルナにはわからないが大層いい酒なのだろう。

ルナは酒のことより、イマリのことが気にかかった。

 

「ララさん、どうして、イマリは――」

「うん。そいつも、アンジェが決めていたことさ。あの“ウサギ”はあのあと――バーベキューパーティーのことだろうね? あのあとも、二、三度トラブルを起こすだろうが、宇宙船を降ろされそうになったら、止めてくれって話だった」

「……」

「ルナなら、そういえばわかるだろうって言ってたけど――わからないかい」

「……!」

 

ルナのうさ耳が、ぴーん! と跳ね、今朝の夢が脳裏に閃いた。

ルナを助けてくれた四匹の犬たち――あれはやはり、ジルベールたちだったのだ。

夢で予想したとおり、彼らは宇宙船を降りることになってしまった。

(レイチェルたちとは、地球に行けるはずだったんだ……)

ルナはうなだれたが、時間はもう、巻き戻せない。

コーヒーカップでうなだれていたまだらネコこと、ブレア。彼女も宇宙船を降りることになったが、夢の中で、そんな話にはならなかった。

(あの観覧車は、何の意味があるんだろう?)

ルナはまだらネコにチケットを渡し、観覧車に乗せた。意味は、まだ分からない。

そして、ルナにネズミをけしかけてきた、真っ赤な子ウサギ――イマリ。

夢の中では、ルナと“月を眺める子ウサギ”が一体化していたり、別々に現れたりする。月を眺める子ウサギと一体化していると、普通ならルナが知らないことも、わかることがある。

ルナは、“真っ赤な子ウサギ”――イマリに対して、「こんなことをしても、何にもあなたのためにならないのよ」と叫んでいた。

(たしかイマリは、“お義兄さんのような、素敵な軍人の恋人”がほしいみたいだった……)

あれは、ルナの中にいる月を眺める子ウサギが言った言葉だ。

おにいさんって? イマリのおにいさんは、軍人?

(……)

だとすれば、もしかしたら月を眺める子ウサギが、イマリに軍人の恋人を、出会わせようとしていることも考えられる。出会いは、宇宙船の中にある。だから、このまま宇宙船に彼女を残そうとしている――。

そうだ、イマリの運命の相手は、「華麗なる青大将」とかいう、おかしな名前のヘビなのだ。

 

ルナは、口をバッテンにした。

月を眺める子ウサギの考えがどうあれ、ジルベールや、エドワードのことを考えると、ルナは、イマリに恋人なんか作ってあげたいとは思わなかった。

ルナだって、そんなにお人好しではない。

バーベキューパーティーのときだって、みんなの差し入れを好き勝手に漁って、前日からみんなでがんばって用意した串をほとんど食べてしまった。なのに、参加費も置いていかなかった。SPに連れられて行って、終わりだ。

おまけに、あのできごとがきっかけで、ナターシャが降りなくてはならなくなってしまった。あきらかに悪いのはイマリたちなのに、ルナが逆恨みされ、K27区でもずいぶん、ルナたちの悪口を広められた。

そして、今回の出来事。

ジルベールたちが降ろされる羽目になり、さらに言わせてもらえば、もしグレンが降ろされることになっていたなら、グレンの命はなかったのだ。

知らないとはいえ、イマリたちの嫌がらせで、グレンが命を落とすことになるかもしれなかった――それを思うと、ルナはイマリが許せなくて、悔しくて、涙が出た。

全部、逆恨みではないか。

最初からルナは、イマリにひどいことなど何もしていない。

それなのに、勝手に恨まれて、ねたまれて、嫌がらせをされる。

 

(うさこ、あたし、イマリにもう、なにかをしてあげる気なんてないよ)

ルナは心の中でそう叫んだが、なんだか、月を眺める子ウサギは笑っている気がした。

ルナがそう感じたとたんに「プッ」と噴き出すような声が聞こえたので、ほんとうに月を眺める子ウサギが笑ったのかと思ったがちがった。笑っているのはララだった。

 

「ルーシー、ほっぺが真ん丸だよ」

ルナは慌てて、ぷっくらと膨らんでいたほっぺたを両手で包んで萎ませた。

「ずいぶん可愛い怒り方をするもんだねえうさちゃん!」

「ひぎゃ!!」

ララに膝の上に抱え上げられ、ルナは絶叫したが、車いすの二人は、最高級ブランデーに夢中だった。

「最近、忘れられてるような気がするんだがな」

アズラエルは気分良く酔っ払った目で言った。

「ルナの彼氏は俺なんだが」

「「暫定だろ」」

ルナを快くスリスリしはじめたララとグレンが声をそろえた。

「暫定じゃねえ。公式だ。決定だ」

 

「なァ」

アズラエルがちょっと考えてから、言った。最近彼は開き直った。ルナにキスをされる以外は、ウサギが構われている光景だと思って目を瞑ることにしている。

「サルディオネの奴は今、不調なんだろ――だったら、その予想とやらが、間違ってるってことは?」

「なにが言いたいんだい」

「イマリを降ろすなって言ったことだよ」

「イマリのことや、あのオレンジ頭の子たちのことを頼まれたのは、わたしがルーシーに会ってすぐだ。そのときはまだ、アンジェは不調じゃなかった」

「理由は分からねえのか? なぜアイツを宇宙船にとどめておく必要がある?」

「それはわたしも知らされていない。だが、アンジェのいうことだ。何か意味があってのことだと思ってね――アンジェは、『イマリに降船処分が出たら、なるべく取り消してやってくれ。でも、イマリ自身が降りる気でいたら止める必要はない』って言ったよ」

ルナが、ぴょこたんとうさ耳を揺らした。

「イマリが降りるって言えば、止めなくていいの?」

「ああ――だから、今回のこともどう出るか、だね。イマリって子に、降船処分が取り消されたことは伝わるだろうけど、それからあの子がどう判断するか。あの子が自主的に降りるなら、止める必要はないんだからね」

「……」

「さすがに降りるんじゃないか。――よっぽど、地球に行きたいっていう子ならともかく――言い忘れたけど、イマリって子は、ラガー、ルシアン、レトロ・ハウス、そして、K27区には立ち入り禁止にしたからね。宇宙船に残ったところで、ブレアって友達は降りちまうし、行きつけの店には行けなくなるからね」

 

ルナにはわからなかった。イマリが、降りるのかどうか。

イマリが宇宙船に残ることになったら、今回のことでさらに逆恨みされて、嫌がらせが悪化したりはしないだろうか。

月を眺める子ウサギが、イマリに恋人を作ってあげるかもしれないから、宇宙船に残そうとしているのではないか――ということも、口には出さなかった。ほんとうかどうか、まだわからないからだ。

ララの言うとおり、サルディオネには、ほかの意図もあるのかもしれない。けれど、いまのサルディオネに聞くことはできない。ルナは、帰ったら真っ先にZOOカードの箱を開けて、月を眺める子ウサギに聞いてみようと決意した。