イマリは、ふらふらと自分のアパートに帰った。

ロビンと付き合い始めてから、イマリはK27区から、K37区に引っ越していた。そのほうが、ロビンに会いやすいからだ。

ブレアは向かいのアパートに住んでいる。ブレアの部屋に電気はついていなかった。もしかしたら、明かりをつけるのも忘れて泣いているのかもしれない。でも、イマリは二度とブレアの顔は見たくない。ブレアが、いっしょに宇宙船を出ようと言ってきても、断るつもりだった。

 

(そもそも、バーベキューパーティーのときに、あいつが暴れなかったら、こんなことには……)

イマリは悔しげに唇をかみ、こぶしを震わせた。

 

警察署に、イマリとブレアの担当役員が来て、「また面倒を起こしてくれた」と言わんばかりの顔で二人を引き取った。そのまま、タクシーに押し込まれて、帰らされたのだ。イマリのほうにはついてこなかったが、ブレアの担当役員は、ブレアと一緒にタクシーに乗ったはずだった。

部屋に入って、イマリはブランド物のバッグを、ストン、と床に落とした。

ロビンの周りにいる女たちに見劣りしないように、無理をしてローンで買った、高級ブランドのバッグ。赤いなめし革が、急にみすぼらしく見えた。

まだ果てしない支払いが残っている。

 この宇宙船でもらえる金額はけっこうな額だが、それでも、数十万もするブランドバッグをいくつも買えるほど裕福にはなれない。

 そういえばロビンは、イマリにプレゼントをくれたことはなかった。ほかの女には、誕生日プレゼントだと言って、羨ましいくらいアクセサリーやドレスをプレゼントしていたのに。

(お前は俺の運命の相手なんだから、貢がなくても傍にいてくれるだろ?)

 よく考えたら、イマリにくれるものはいつも耳触りのいい言葉だけだった。

 

暗くなりかけている夕日が窓から見える。イマリはぼろぼろと泣き崩れた。降船だと言われたことよりなにより、ロビンのあの冷たさが堪えた。

イマリはうずくまってしばらく泣いた後、もしかしたら、ロビンのあれは、演技だったのではないかと思い始めた。

(そうよ。傭兵の任務だって、バレちゃいけないから、あんなこと言ったんだわ)

一度そう思うと、イマリの脳は都合よく、現実から背き始めた。

イマリは立ち上がって、念入りにシャワーを浴びて、涙のあとを落とした。そしてシャワーより念入りに化粧をし、とっておきのワンピースを身に着けた。これも、ロビンの周りの女たちに負けないように、思い切って買った、十五万もするワンピース。

真っ白な総レースで編まれたワンピースは、完全な手作りの一点もの。

(ロビンはあたしを運命の相手だって言ってくれたのよ)

きっと、よくやったって褒めてくれるはずだわ。ロビンはあたしに甘いもの――あのくらいの失敗、たいしたことじゃないって、抱きしめてくれるわ――。

 

 

 

 

 

ララが、ルーシールーシーと騒ぎながらルナを離さないので、彼らはだいぶ長く、ララの私室に拘束された。ララは、ルナだけ置いて、アズラエルたちには帰れと言ったのだが、さすがにそれをする気はない。ルナを膝の上から離さないララから、ルナを救出してくれたのは、鳴りやまない電話と、シグルスだった。

「なんでこの世には、仕事なんてモノがあるんだ!!」

ララの理不尽な雄たけびとともに、ルナは解放された。

ルナは、さっき食べたマカロンとチョコレート、ホールのケーキが入った箱を手土産に持たされ、(持ったのはシグルスだ。)シグルスの付き添い付きで、やっとK27区の自宅にもどった。

ルナたちの気配を、向かいのアパートから悟ったレイチェルは、ルナが部屋に入る前に、ベランダに飛び出して声をかけてきた。

「ルナーっ! ごはん食べに行きましょーっ!!」

一時は、卒倒するんじゃないかというくらい顔色が悪かったレイチェルだが、ずいぶん顔色がよくなっていた。レイチェルのあんな大声を聞いたのは、久しぶりだ。

ルナは、「うん! 行こう!」と元気よく返事をした。

 

その日の夕食は、ずいぶん大所帯でK35区まで出張した。

いつものルナ宅夕飯メンバーに、レイチェルたち四人。クラウドとジュリはいなかったが、それでも総勢十一人だ。

今朝の出来事があっただけに、リズンという気分にはなれず、レイチェルとピエトは酒がのめないのでマタドール・カフェという雰囲気ではなく、ならば、レイチェルたちが行ったことがない場所にしようということになった。

そうして決まったのがK35区の“梅小鳩”。

ここは、ルナがセルゲイたちとはじめて出会った日に行った、アルコールも出す食事処で、彼らがK35区で暮らしていた時分には、ほとんど三食とっていたという店だ。

レイチェルたちが気に入ったかどうかは、聞く必要もなかった。

 

「なんでこんないい店、内緒にしてたんだよ! ひどいぜ兄貴!」

「来週にでも、二人で来るか」

「マジで!?」

ジルベールが目を丸くしてアズラエルを見る。

「マジだよ。……来週になりゃ、車いすとはオサラバできんじゃねえかと思うんだ」

「マッジかよ〜! いっぺんでいいから、俺、兄貴とサシで飲みたかったんだよ。なんか、今日はサイアクなことがあったけど、あとはいいことだらけだな!」

嬉しそうな顔でハイボールを干すジルベールに、アズラエルは不思議そうな顔を向けた。

「お前も不思議な奴だな。なんで、俺と飲むのがそんなにうれしいんだ?」

「兄貴はさ、自分の魅力をわかってねえッス!」

遠慮なく、ビシバシアズラエルの肩を叩くジルベールは、すっかり酔っ払っていた。

「つうか兄貴、やっぱすげえよ! 株主のひとと知り合いだなんてさ、」

「……」

ララと知り合いなのはルナではなく、アズラエルたちだと認識されているようだった。アズラエルはその点に関してはほっとした。よけいな説明をせずに済む。

 

「いやァ……でも、ほんとに、今日起こったことが、まだ信じられないよ……」

エドワードは、まだ夢の中にいるような顔をしていた。

朝、ブレアの服に手をかけたときから、宇宙船を降りなければいけなくなることは覚悟していた。事実、その通りになったが、エドワードは心のどこかで、いつか気持ちにけりをつけて、宇宙船を降りなければとは思っていたのだ。それが早まっただけのことだった。

レイチェルは地球に行きたがっていたが、エドワードは、自分たちに“そんな時間”が許されていないことは、わかっていた。レイチェルの妊娠があったから、乗っていただけのことだ。

 

「……レイチェルの実家は不動産業をやってるんだけど、もう、倒産寸前のとこで、ギリギリ踏ん張ってるって感じなんだ」

酒の力を借りて喋っているのか、めずらしくエドワードが、自分のことを語りだした。

 

レイチェルの家は、父親が社長で娘が一人。跡継ぎはいない。レイチェルが思春期に入るころから傾きかけた会社を娘に譲る気はなかったらしい。いっそ、一度会社を畳んでしまえば楽になるのだが、エドワードの両親に、会社が倒産寸前だということを、レイチェルの両親も、レイチェルも言いだせなかった。エドワードも言わないほうを選択した。結婚を反対されるのが分かり切っていたからだ。

娘の結婚のために、父親は会社を畳むこともできず、かろうじて繋いでいるといった具合だった。

結婚してからエドワードは、レイチェルの実家の窮乏を両親に打ち明けた。そして、自分がレイチェルの親の会社を継ぐと宣言した。さすがに結婚したばかりで、離婚しろとは言われなかったが、当然、両親には猛反対された。だがエドワードの兄だけは、「がんばれ」と応援してくれたのだ。

 

「俺は、兄貴がいて、次男だから。俺がレイチェルの会社に入ればいいと思ってるんだけど、俺の親父は兄貴より、俺のほうを跡継ぎにしたがってる」

一見、真面目で四角四面、地味な兄より、おおらかで人好きのするエドワードのほうが、上に立つ人間にふさわしいと考えているようだった。

「兄さんは立派な人だよ。父さんから見たら、真面目すぎるように見えるかもしれないけど、兄さんは頭のいい人だから、すごく考えて決断するんだ。その決断に誤りがあったことは、ほとんどない」

エドワードは言った。

「だれだっけ――バーベキュー・パーティーで会った、サルディオネさんだっけ――俺、あのひとに言われたこと、まだ覚えてるよ。あのあと、アルとほんとに親友になってさ――サルディオネさんの言うとおりだった。俺とアルは、すごく似てたんだ」