「まあ! ずいぶんファンキーな観覧車ね。こんなのがあったっていいと思うわ。ネオンと花火が煌びやかねえ……!」

 ブレアが描いた、虎柄模様の観覧車を、ウサギは歓声を上げて褒めてくれた。ブレアはなんだかうれしくなって、今度は遠目に見えるウォータースライダーを描いてみようと思った。水の惑星、マルカを思い出しながら――。

 

 「楽しそうなアトラクションね! リリザに、マルカの遊園地が現れたみたい!」

 「そうよねえ、ジェットコースターみたいなメリーゴーランドがあったっていいわよね。馬に乗って爆走だわ」

 「これも素敵よ、できるんじゃないかな、空を飛ぶメリーゴーランド――氷のお城、お菓子の家――アイスクリームのお屋敷! あたし、一度でいいから、おなかをこわすまでアイスクリームを食べてみたかったの!」

 「あなたのアイデア、どれもこれも、素敵ねえ……」

 ブレアが描くものを、ウサギは一つ一つほめてくれた。

 やがて、ブレアは、ぽつりと涙をこぼした。

 だがこの涙は、さきほどまでの、荒れ狂った涙ではない。

 

 ブレアは、生まれてはじめて褒められたのだ。嬉しくて、嬉しくて、次から次へと涙があふれた。

 いつも褒められるのはナターシャばかりだった。それがいつからだったのか、ブレアには思い出せなかった。テストで百点をとっても、お菓子を作っても、なぜかブレアは褒められたことがなかった。

 ナターシャは百点を取って褒められた。お菓子を作っては美味しいねと褒められた。

 親には、「あんたはナターシャのまねばっかりだね」と言われた。

 ブレアは、「違う」と言いたかったが、信じてもらえなかったので諦めた。やってみるのはいつも、積極的なブレアが先。でもナターシャは、それを真似して、ブレアよりうまく仕上げ、周囲に知られるのも、褒められるのも、ナターシャだった。

 ナターシャのほうがおとなしくて引っ込み思案だったから、親も周りも、ナターシャを褒めて、自信をつけてあげようとしたのかもしれなかった。

 気の強いブレアには、「ナターシャにくらべたらまだまだ」「もっと頑張りなさい」「もう少し、上手にできたんじゃないかな」の言葉ばかりだった。

 やがてブレアは、何もかも嫌になって、途中で投げ出すことが多くなった。

 勉強もしなくなった。お菓子もつくらなくなった。

 ナターシャは素直ないい子で、ナターシャの真似ばかりするくせに、拗ねてばかりで何もしないブレアは悪い子という単純なレッテルがはられた。

 ブレアは、知ったかぶりでブレアをダメな子だという周りの大人が嫌いだった。いつか、もう我慢が出来なくなって、暴れて、物を投げつけたら、やっと何も言われなくなった。

 

 「遊園地って、素敵よね」

 ウサギは言った。ブレアは頷いた。遊園地は大好きだ。リリザは本当に楽しかった。きっと、一年遊んでいたって、飽きない。

 ブレアはやがて、楽しかったリリザの思い出を、ウサギに向かって猛然としゃべった。

 時間も忘れるくらいに。

 ナターシャのことも、ライアンのことも、イマリやケヴィンのことも忘れるくらいに――。

 

 ガタン!

 

 大きく、ゴンドラが揺れた。

 「着いたわよ」

 表情がないはずのぬいぐるみが、微笑んだ気がした。

 

 ブレアは、はっと、目が覚めた。

 ――今度こそ、本当に目が覚めた。

 頬が冷たかった。

 涙を袖でぬぐい、あわてて立ち上がってあたりを見回したが、ゴンドラは、一番下についていた。ゴンドラから落としたはずの上着や携帯電話もある。バッグは、中身をぶちまけられることもなく、ブレアの膝の上にあった。ボストンバッグも足元に――サンダルも、両足とも履いている。

 「はい、おつかれさまでしたー」

 遊具のスタッフは、トラの着ぐるみではなかった。明るいパステルカラーの制服を着た、ふつうの青年だ。

 ブレアはふらふらと、観覧車から降りた。

 地面を踏みしめ、これが現実であることをたしかめようと、頬をつねったりもしてみた。

 

 さっきまでのは何だったのか。

 夢――?

 

 「お忘れ物です」

 ブレアは、うしろから声をかけられて、振り返った。

 手渡されたのは――。

 

 大判のスケッチブックと、クレヨン。

 

 ブレアは震える手で、スケッチブックを開いた。そこには、ブレアが下に降りるまで描きつづけてきた遊具が、何ページにもわたって残っていた。

 ブレアは、スケッチブックに顔を埋めて、吠えるように泣きだした。

 うずくまり、むせび泣き続けるブレアに、心配したスタッフが駆けよってきたが、ブレアは構わなかった。人目もはばからず、泣き続けた。やがて、泣きながらよろよろと立ち、遊園地から姿を消した。

 

 

 ――その後のブレアの行方は、知れない。

 

 宇宙船の強制降船者担当の役員は、予告通り朝十時にブレアのアパートへ向かったが、ブレアの存在はなかった。彼らはまたたくまに追跡を開始した。

 その日の午後十時、ブレアがすでに、宇宙船を降りていることが発覚した。

 わずかな着替えと洗面道具をもって、ブレアは自ら宇宙船を降りた。ブレアの担当役員は、責任をもって船客を母星に帰宅させねばならないため、ブレアの後を追ったが、足取りはつかめなかった。

 ブレアの消息は、地球行き宇宙船船客の探索期限の一年を過ぎても、わからなかった。ブレアの両親が、私的に警察星に依頼した行方不明者の探索も、役には立たなかった。

 

 ブレアがふたたびナターシャの前に姿を見せるのは、十年以上経ったのちのことである。