百十九話 ZOOの支配者



 

 ルナがしずかに目を開けると、まだ深夜だった。ZOOカードの箱から、白銀色の光が立ち上っている。

 ルナは、アズラエルを起こさぬようにそっとベッドから出ようとしたが、アズラエルは起きてしまった。でも、すぐに目を閉じたので、ルナは黙って光の揺らめくほうへ歩んだ。

 部屋の隅で輝くZOOカードの箱を開けると、そこから飛び出してきたのは、ルナが予想した通りのカードだった。

 

 (ブレアさん、元気でね)

 十日前、ルナはめずらしく昼寝をした。ここ最近の疲れがどっと押し寄せたように、ルナは眠ってしまった。そうして、夢を見た。

 ルナもいっしょに、観覧車に乗っていた。ブレアが飛び降りるのも、暴れるのも、遊具の絵を描くのも、泣きながら、遊園地を去っていくのも、ウサギといっしょに見ていた。

 『今日知ったことは、ぜんぶ忘れていいわ』

 月を眺める子ウサギは、夢の中でルナに言った。ブレアの行く先も、活躍も、ルナと再会する時期も――彼女は、ぜんぶ忘れていい、と言った。

 月を眺める子ウサギが語った“お化け屋敷”の顛末は、聞いているルナも泣きそうになるような話だったので、ブレアの選択した未来が不幸な未来ではなかったことに、ルナはほっとして、輝くカードを見つめた。

 膝を抱えて、カードを眺めつづけ、やがてうとうとして、眠りに落ちた。

 ルナが膝を抱えて絨毯の上で眠りについたのを見て、「やれやれ」と、アズラエルがのっそり起き上がり、ルナを抱え上げてベッドに運んだ。額にひとつキスを落とし、抱きしめて眠った。

 恋人を抱きしめて寝返りを打てるということは、最高に幸福なことだ。

 アズラエルはニヤリと、幸福とはあまり関連しない笑みを浮かべて眠った。ルナはルナで、アイスクリームの家にかぶりつく夢を見て、ブレアのことはすっかり、忘れたのだった。

 

 

 

 アズラエルたちが警察署に連行されてから、十日がたっていた。

 約束通り、ルナはレイチェルたちとのお茶会を、毎日ではなかったが、できていた。リズンがほとんどだったが、スーパーの出店でアイスを食べることもあったし、K06区まで赴いて、移動販売車をはしごして公園でお弁当を食べたこともあった。

この十日の間に、一度だけキラが参加した。リサは相変わらず、元気でやっているのか、音沙汰はない。

今日はリズンが定休日なので、レイチェルの部屋でおうちカフェだ。

 

 「アズラエルとグレンさんには、何回お礼を言っても足りないわ」

 レイチェルは、おおきなおなかを抱えて、今朝から何度言ったかしれない言葉をまた口にした。

 「うん。ほんとに」

 シナモンが同意し、ミシェルと同じアイスコーヒーを口に含んで、しみじみとため息を漏らした。

 

 端的にいうと、ジルベールとシナモンが、宇宙船に乗っていられる期間が延びたのである。

 ジルベールは一ヶ月以内に、シナモンとともに降りるはずだったのだが、シナモンはなんとなく、レイチェルが心配だった。レイチェルが妊娠してからというもの、毎日、いっしょにおなかの子の成長を見守ってきた仲である。

「あたしは、レイチェルの赤ちゃんが見たい。レイチェルが生んでから降りるから、ジルは先に降りて」

と言ったのがきっかけだった。

シナモンのほうは、べつに降船処分になったわけではないので、そうするつもりだった。

シナモンに用意された「MM・ME社」の事務所も、ジルベールが入学するカンファドール音楽院も、おなじL55のサヴァロフスカ県にある。このあたりもララの配慮に違いなかったが、おかげで新婚夫婦が別れて暮らすことにはならなかった。

ジルベールの入学は、来年四月になる。ジルベールも、レイチェルの出産を待ってから宇宙船を降りても、じゅうぶんに間に合う日付だった。

「俺も、レイチェルの子ども、みてえなあ」

ジルベールのつぶやきを拾ったのは、グレンとアズラエルだった。彼らはそれぞれ、警察署と、ララに交渉してくれたのである。

ララは、そういった話になるのを、どこか予想していた口ぶりだった。あっさりと承諾してくれ、シナモンが専属モデルとしてMM・ME社と契約するのは、ジルベールの入学と同じ、来年四月からになった。

そして、グレンがどんな手を使ったのかわからないが、なんと、ジルベールの降船猶予も延びた。

ジルベールも、今年以内に降りればいいということで、決着した。

そうなれば、時期を見て、四人でL系惑星群への帰路に着ける。

シナモンが降りてしまうことに、レイチェルが心細い思いをしていたのも確かだった。

その決定が降りたときに、四人で小躍りしたのは言うまでもない。

 

「兄貴はカッコいい。マジで。グレンさんも、さすが兄貴のライバルだよ。俺はサイコーだと思う」

ジルベールは、しばらく、顔を合わせればそんなことを言っていた。ライバル扱いされたグレンが怒るだろうことは容易に予想できたが、この言葉はルナのところで止められて、グレンまで届かなかったので、彼の機嫌を損ねることはなかった。

「ルナって、サイコーの彼氏持ったね」

シナモンも、ためいきをついた。

「アズラエルも渋いし、グレンさんもチョーカッコイイしさ……あたし、来世はたくさんのオトコにモテなくていいから、ルナみたいにグレンさんにモテたいわ」

ミシェルは爆笑して、コーヒーを鼻から吹くところだった。

「そういや、シナモンって、クラウドのことは何にも言わないね」

シナモンは猛然と首を振った。

「クラウドさんはマジあれ、神レベルの美貌だよ! あたし、マジで最初、どこの有名モデルかと思ったもん! いまだにあたし、緊張してうまく口利けない……」

ルナとミシェルは、シナモンの言葉に顔を見合わせて笑った。ミシェルのことになると、とたんに残念すぎる男になるクラウドを、シナモンは知らない。

「MM・ME社に行ったら、クラウドさんレベルのモデルがうろうろしてるのよ? シナモン、本当にそんなところに行って大丈夫なの?」

「ちょっと、自信なくなってきた……」

レイチェルのからかい半分の言葉に、シナモンが、らしくなく、ほっそりした肩を落とすのを見て、三人は、笑いあった。

ルナは、実にのどかな日常を取り戻していた。