一方、アズラエルとグレンは、ついに車いすから解放された。

 「よっしゃあああああ!!」

 「うおおおおお!!」

 治療が終わった瞬間、車いすから立ち上がり、ガッツポーズを決めるむさ苦しい男二人を嫌そうに見つめるペリドットは、

 「まだ完治してねえんだから、無理はするな。八月に入るまで、派手な動きはやめとけ」

 と忠告した。

 「わかった」

 「おまえら、わかったと言って、俺の忠告を聞かなかったよな」

 ペリドットが言っているのは、「一時間遅れて来い」と言った、例のアレだ。

 「その件に関しては、俺も反省してる。ライアンにも言われてたのに、深読みしなかった俺が悪かった」

 アズラエルは、肩をぐりぐり回しながら、機嫌よく謝った。やっと動けるようになったから、ペリドットに謝るくらいは屁でもない。

 「くそう……筋力がだいぶ落ちてる」

 アズラエルは悔しげに唸り、「ルゥとピエトを乗せて、腕立て伏せでもはじめるか」と言って、「おまえらは、ほんとに俺の忠告を聞く気がねえようだ」とペリドットをあきれさせた。

 「よし、完全に動けるようになったら、ロビンを殴る」

 「おまえも反省してねえようだな」

 座った目をしたグレンを、ペリドットは戒めた。

 「殴ったら降船だぞ」

 「俺はそんなバカじゃねえよ。合法的に殴る」

 「そんな手段があるなら教えろ」

 アズラエルも、ロビンは合法的に、一発殴っておきたかったのだ。

 

 

 

 グレンとアズラエルが、ルナには到底見せられない凶悪な顔で、ロビンを殴る算段をしているころ。

 

 「――よく頑張ったね、ピエト君! もうお薬は、飲まなくてもいいよ」

 「ほんとですか先生!」

 ルナよりも、ピエトよりもはやく、カレンが叫んでいた。

 「本当だよ。ピエト君の肺にくっついていた細菌は、ぜんぶ消えました」

 「やったあーっ!!」

 ピエトは両手を上げて万歳をし、ルナとカレンと、ハイタッチをした。

 「でも、来月末までは、一週間ごとに検査をしようね。それが過ぎたら、二ヶ月に一度でいいです。ほんとによかったね、ピエト君。よく、がんばったね」

 壮年の医者は、綺麗になったピエトの肺の画像をみんなに見せてから、ピエトの頭を撫でた。

 「良かったなあ……ピエト」

 カレンが鼻を啜った。

 

午後、ルナはピエトを連れてK19区の病院に、定期健診に来ていた。

今日は、いよいよピエトの完治結果が出るかもしれないというので、カレンもいっしょに来たがったのだった。

検診にくるごとに、肺に付着していた細菌が消えていっているのを見て、「次に来るときは、ぜんぶ消えてるかもしれないね」と言い合っていたのが現実になった。

予定よりも、大分早い完治だ。ピエトが宇宙船に乗ったころの見立てでは、地球に着く頃が、完治の目安だった。つまりあと二年。

 「薬がきいたことは確かだけどね、ピエト君にちゃんと滋養を取らせ、規則正しい生活をさせてくれたお母さんも。――がんばりましたね。早く治った原因でもあると思いますよ」

 「ルナは母ちゃんじゃなくて、」と言いそうになったピエトの口をふさぎながらルナは、

 「ありがとうございます、せんせい!」

 と満面の笑顔で叫んだ。

カレンも、昨日の検査結果では、ずいぶん良くなっていた。

 レベル1まで数値は下がったし、このまま薬を飲み続ければ、半年ほどで完治するのではないかとの見通しも立った。

 今日の結果は、カレンにとっても励ましになるような出来事だった。

 

 ルナはすぐさま、病院の公衆電話から、メリッサとタケルに連絡した。ふたりはもちろん大喜びし、メリッサは涙ぐんでさえいた。

 「今日は、お祝いです! ちょっといいお肉を買って、すきやきパーティーにします!」

 ルナの宣言に、カレンとピエトは歓声を上げた。

 「ケーキも買っていこうね。ピエトのアバド病が治ったお祝いと、カレンの数値が下がったお祝い! それでね、アズとグレンも、車いすがいらなくなったらしいの。だから、そっちもお祝い!」

 「今日ぐらい、クラウドも帰ってくればいいのに。俺、電話していい?」

 ピエトはルナが返事をする前に、道端の公衆電話に突進していた。

 「そうだよね。ジュリも今日は遊びに行かないように見張ってなくちゃ――メリッサとタケルも来るんだろ? レイチェルちゃんたちも呼ぶか」

 「うん! じゃあ、ケーキはおっきいのをホールで買っていこう!」

 「クラウドも今日、一回帰るって! それでさ、メリッサとタケルも来るのか?」

 ピエトが戻ってきて、ルナに飛びついた。

「うん。さっき電話したとき聞いたら、来るってゆったよ」

 ちょうど二、三件行った先に、ケーキ店がある。

 「よし、あそこで買っていこう」

 カレンとピエトは、はしゃぎながら、こぢんまりとしたケーキ店に突撃していった。

 「ピエト、何のケーキがいい?」

 「俺、このあいだリズンで食った白いのがいい……あっ! でも、チョコのやつがある!」

 冷蔵ケースにぺったりと手を貼り付けて、ケーキを凝視しているピエトを、ルナとカレンは微笑ましい目で見つめた。

 

 

 

 

 アンジェリカは、ベッドに座ったまま、茫洋と外の景色を眺めていた。緑の多い住宅街に、ショッピング・モールの大きな駐車場が見える。アンジェリカが見ているのは、公園とは反対側の景色だ。彼女は、先日、リズン前の公園で起こった事件を知らなかった。

 真砂名神社に行かなくなって、二週間は経った。

 階下から、アントニオが上がってくる足音がする。アンジェリカが気づいたときには、もうドアは開けられていた。

 「アンジェ、さっき、ルナちゃんたちが来たよ」

 「え? ルナが」

 アンジェリカは、ベッドから降りかけたが、アントニオはそれを制するように手を上げた。

 「まだ本調子ではないってことを告げたら、元気になったら教えてだって。今日は、お見舞いを置いて帰ったよ」

 アントニオは、背中に隠していたものを出した。ファンシーなかごに入ったゼリーとクッキー、そして綺麗にラッピングされた箱型のつつみ。

 それぞれに、可愛いメッセージカードがついていた。

 

 “ゆっくり休んでね、アンジェ。元気になったら、会いに行くよ! ルナ”

“早く元気になって。またいっしょにお茶しようね! シナモン&ジルベール”

 

 レイチェルの分は、カードというより手紙で、そこには、おそらく感謝の言葉が、便せん三枚にもわたって書かれていた。

 アンジェリカは、字面だけを、触るように読んだ。内容はさっぱり頭に入ってこなかった。

 「かごの中のお菓子は、ルナちゃんとレイチェルちゃんがいっしょに作ったんだって。こっちの大きめの箱は、シナモンちゃんから」

 「――あ、あたしに?」

 「シナモンちゃんたちが、宇宙船を降りることになったみたいだよ」

 「え」

 アンジェリカは、まるで他人事のように、かつて自分がした占いを思い出した。

 「――もう、そんな時期が」

 アンジェリカは、包みを受け取って、つぶやいた。そのことは、手紙にも書かれていた気がする。最近は、文字が頭に入ってこないのだ。アンジェリカは、アントニオに、レイチェルからの手紙を見せた。

 アントニオはじっくりと読んで、それから丁寧にたたんで、花柄の封筒にもどした。

 

 「……そうか。よかったな。レイチェルちゃんも、エドワード君も。アンジェがララに頼んでおいたことを、ララはやってくれたみたいだね。シナモンちゃんは、有名なファッション・モデルの事務所に籍を置くことになったらしいし、ジルベール君は、カンファドール音楽院に行くことになったんだって」

 アンジェに礼を言ってくれって、ふたりは何度も言っていたから、とアントニオは笑みを見せた。

 

 「……」

 アンジェリカは、黙って包みを開けた。

 包みの中から、ふわりとダマスク・ローズの香りがする。中身は、L03の衣装を着た人形が宮殿の中で踊る、上品な細工のオルゴールだった。アンジェリカがねじを巻くと、L03でよく聞いた民謡が流れる。

 「安眠にいいらしい」

 アンジェリカが、眠れないと言っていたのを、ララから聞いたのだろうか。付属の説明書を読んだアンジェリカは小さく笑い、かごの中身に目を移した。おいしそうなクッキーと、三種類のゼリー。

 「アントニオ、これ一緒に食べない」

 アンジェリカは、マンゴーのゼリーを取った。

 「じゃあ、俺、紅茶かコーヒーを入れてくるよ」

 「あたし、カフェインなしのやつにして」

 「わかってる」

 アントニオがふたたび階下に戻っていく足音を聞きながら、アンジェリカは、友達のやさしさに涙が出そうだった。