百二十話 盲目のイルカ



 

「ねえうさこ。どうしたらアンジェを助けられるの」

「そうね。ひとまずアンジェはあとにして、イマリをなんとかしましょう」

ルナは、盛大にほっぺたを膨らませてみせた。キラキラと銀白色に輝くZOOカードボックスの上には、五センチ程度のちっちゃなピンクウサギ。腹が立ったルナは、ウサギをつつこうとしたが、つついた指先は、すかっとウサギをすり抜けて、箱のふたにぶつけた。

「ルナ、あなたにも思うところはあるだろうけれど、物事には順番があるのよ」

「……」

「イマリもそうだけど、シャチさんにも彼女を紹介しないと。サイさんもね」

「……」

ルナが座った目でウサギをにらむので、ウサギは仕方なく言った。

「アンジェは、黒いタカさんが宇宙船に乗ってこないと、助けられないの。でも、黒いタカさんが乗ってくると、青大将さんも乗ってきてしまう。そうなったら、イマリはもうタイムアウトなのよ」

「うさこ」

ルナは痛む指先をふうふうしながら、座った目のまま、言った。

「シャチさんとサイさんはともかく――あたしは、イマリにもう、何かをしてあげる気はないよ」

「あらどうして」

ふてくされたルナに返ってきたのは、ウサギののんびりとした声。

「そんなの、うさこだって……!」

月を眺める子ウサギだって、知っているはずではないか。イマリのおかげで、どれだけの人間が迷惑をこうむったか。

そこまで言いかけてルナは、ふと気づいた。

「もしかして――イマリは、またなにか、企んでる?」

イマリをなんとかしましょう、ということは、イマリがまた悪さをしようとしているから、それを止めましょうということなのか?

 「違うわ。イマリはもう、あなたに嫌がらせはしません」

 ウサギは否定した。

 「じゃあ、なんで?」

 ルナは口を尖らせた。

 

 「ルナ、あなたにブレアの未来を見せたときに、あたし、言ったわよね」

 

 ルナは、ブレアの未来の夢を思い出そうとしたが、まるで思い出せなかった。でも、月を眺める子ウサギと、いろいろ話したことだけは思い出した。

 「“真砂名の神様は、なんでも願いを聞いてくれる”っていう、あの話?」

 「そうよ」

 ウサギはうなずいた。

 真砂名の神様は、幸せに通じる願いなら、なんでもかなえてくれる。ひとの死を願ったり、不幸を願ってもかなえてくれないが、幸せにつながることなら、なんでもかなえてくれる。ウサギはあのとき、たしかにそう言った。

 

 「ねえルナ。あなたの気持ちもわかるわ。でも、ブレアとイマリはまるで違うのよ。イマリはとても危うい」

 ウサギはあいかわらずぬいぐるみのように無表情なままだが、ルナはその言葉に不穏なものを感じて、ほっぺたを萎ませた。

 「あやうい?」

 「ええそう――ブレアの“願い”は、あなたにも教えたでしょう? “素敵な人と結婚して、リリザに住むこと”。それは何の問題もないわ。ブレアはそうなるでしょうよ」

 ルナはイマリの“願い”を思い返した。

 イマリの願いは――“お義兄さんのような素敵な軍人と結婚すること”?

 ルナは、この願いも、たいして問題があるようには感じられなかった。

 だが、ウサギは首を振った。

 「イマリの真の願いは、それではないの」

 姉の夫である“お義兄さん”が、みんなに無視されていたイマリにも優しかったから、イマリは軍人が好きになった。義兄のような、恋人がほしいと思った。だが、そのことすらも、イマリが運命の相手と出会うためのきっかけにすぎないのだと、月を眺める子ウサギは言った。

 

「イマリのほんとの“願い”って……?」

「“あなたのような恋をすること”よ」

ルナは、絶句した。

「真っ赤な子ウサギがあなたに嫉妬しているのは、前々から知っていたでしょう? イマリは、あなたのようになりたいの。あなたがアズラエルと、何度も生まれ変わり、情熱的な恋をするように」

「あたしと、アズの恋は、そんないいことばっかりじゃ――」

言いかけて、ルナははっと気づいた。

イマリの運命の相手である、“華麗なる青大将”。

もしかして、彼は。

もしイマリが彼と出会ったなら――。

ルナは恐ろしくなって、その先が、口に出せなかった。

 

「イマリにも赤い糸の相手は幾人かいるのよ」

ウサギは、蒼白になったルナの気をそらせるように説明した。

「でもイマリが望んだのは、“あなたみたいな恋”の運命。それゆえに、“華麗なる青大将”と一番強い糸で結ばれてしまったの――」

ウサギがぽふん、とカードの上に手を置くと、みるみるうちにたくさんのカードが、部屋一面に広がる。カード同士を、赤やオレンジ、朱色、黄色などの線が、目が痛くなるくらい複雑に結んでいる。

ウサギは、ぴょんと飛び跳ねて、ルナの膝に移動した。

 「ルナ」

真剣な声に、ルナはカードに見とれていた目線を、膝の上のウサギにもどした。

「さあ、あなたはどう思うかしら。彼らの縁を、つながりを――。たくさんの運命の相手がいる中で、あなたは、誰と誰が結ばれたら、幸せだと思う?」

ルナもふたたび座った目で、たくさんのカードを見つめた。

「あなたの意見を、聞かせてちょうだい」

 

 

 

 

七月の終わりだった。ミンミンなくセミの声も届かない、エアコンの効いた室内で、ルナは、レイチェルとシナモンと一緒に、バーベキュー・パーティーに来る友人たちに、招待状を書いていた。

招待状を書きながらも、朝、みなを送り出したあとに、月を眺める子ウサギと話したことが頭の大部分を占めている。ルナは迷いながらも、ぽつりと口にした。

「え、えっとね……」

午後イチで、雑貨店に行って買い集めてきたカードを真剣に選んでいたふたりが、顔を上げた。

「イ――イマリを、バーベキュー・パーティーに呼んじゃ――ダメだよね――」

レイチェルとシナモンは、当然だったが固まった。固まって、しばらく言葉を失ったように、無表情で黙ったので、ルナはあわてて訂正した。

「ご、ごめん! いまのなし!」

「……ルナさあ」

やがてシナモンが、深々とため息をつきながら、言った。

「あたし、あんたのそういう優しいトコ、嫌いじゃないよ」

レイチェルも、怒ってはいなかったが、複雑な顔でルナを見つめていた。

「でもね、どうやっても友達にはなれないヤツって、いると思う。何言ってもムダだってヤツも。そういうのはもう、あきらめたほうがいいよ」