ガシャーン!!

 

隣から聞こえてきた、家具が破壊される音に、ルナとミシェルは身を縮めた。

「ど――どうしたの。ケンカ?」

クラウドとカレンが「殺してやる」と叫びあっていることなど、ミシェルに言いたくなどなかった。ふたたび、何かが壊れ、割れる音がした。怖くて、足がすくんで、動けない。ミシェルも顔色を失っている。

「ど、どうしよう、ミシェル」

このままでは、みんなそろって宇宙船を降ろされてしまうかもしれない。――いや、それ以上にサイアクなことは。

彼らは軍人ばかりなのだ。ほんとうに相手を害する気でケンカなどしたら――。

「け、けいさつ……呼ばないと、」

「だ、だめだよルナ! ちょっと待って――ほかに、だれか、」

彼らを止められそうなだれか。バグムントさん、ラガーの店長さん、チャンさん、……ルナとミシェルは名前を言い合い、電話に向かおうとしたとき。

 

一台のタクシーがマンションまえに停まった。ルナはそこから出てきた人物を見て、涙が出た。

「ペ、ペリドットさん……!」

「やはり、“呪い”の毒気にあてられたか」

タクシーから次々に出てきたのは、ベッタラとニック、そしてアントニオだった。

「よしよし、もうだいじょうぶだよ二人とも。――俺たちが呼びに来るまで、この部屋にいなさい」

アントニオは一度、二人まとめてぎゅっと抱きしめてくれた。

「アントニオ……!」

「だいじょうぶ!」

ルナもミシェルも、ほっとしたように彼の背中にしがみついたが、アントニオは二人を安心させるように頭をなでて、すぐ隣室に向かった。

 

 ペリドットたちは、部屋に入ると、殺し合いに発展している男たちをそれぞれ、一撃でしずめた。

 ペリドットは入り口付近にいたクラウドのうなじを手刀で一発。

 ニックは「ごめんね」と謝ってからカレンのみぞおちに一発。

 「情けないですよ、アーズラエル!」のセリフとともにベッタラが、アズラエルの腹に重い一撃。

 グレンにパンチをよけられて反撃されたアントニオだったが、グレンの後頭部をフライパンでなぐったセルゲイのおかげで、やっと腹に一発ぶち込むことができ、気絶させた。

 

 「よし、“呪い”の元凶をさがせ」

 ペリドットの合図で、ニックたちは「ごめんね、緊急だから、勝手に開けさせてもらうね」とことわって、部屋のドアを開け始めた。ベッタラが子供部屋のドアを開けようとしたが、開かない。

「誰か、この中に住んでいますか!」

「ベッタラ?」

内側から、鍵が開いた。涙で頬を濡らしたピエトがそこにはいた。ベッタラの顔を見ると、ほっとしたようにしがみついてきた。

 「ピーエト、ここに、ほかの誰かがいませんでしたか」

 ベッタラは、部屋に渦巻くまがまがしい瘴気に顔をしかめながら、ピエトを安心させるように抱き上げ、背を撫でた。

 「ネイシャもいたけど――危ないから帰ってもらった。裏口から」

 一階の部屋には、両方とも勝手口があった。

 「……そうですか」

 ベッタラは瘴気がながれゆく方を目で追い、ペリドットに向かって叫んだ。

 「もういません。帰ったようです」

 

 

 「――よかった。君たちが来てくれなかったら、俺もあのケンカに参加しちゃってたかもしれない」

 セルゲイは、殴られていたむ頬をさすりながら、疲れた顔で言った。セルゲイは、泣きじゃくるジュリを守るのに必死だった。アズラエルたちが投げつけあう食器や物体が、ジュリに当たりそうなこともあって、彼女の傍を離れられなかった。ようやく彼女をキッチンの奥にかくし、彼らを止めにはいっても、誰も聞く耳を持たない。こんなことは、今までなかったことだった。

 部屋はぐちゃぐちゃだった。ガラス棚は完膚なきまでに破壊され、中の食器もほとんど落ちて割れている。ルナがせっかく作った朝食も、ぜんぶ床にぶちまけられていた。

 恐ろしいことは、アズラエルが包丁を手にしていたことと、誰が割ったのか、ダイニングテーブルが、真ん中からまっぷたつに割れていたことだった。

 

 「やれやれ。軍人ばかり集まって暴れると、こうなるのか」

 アントニオが、一部崩落した壁を見て呆れ声で言い、ルナとミシェルを手招いた。

 「もうだいじょうぶだよ、おいで」

 「ルナ!」

ピエトはベッタラの腕から降りて、ルナに駆けより、しがみついた。ルナも、震えがおさまらない手でピエトを抱きしめた。

 

「あの……みんな、ありがとうございます」

ルナとミシェルは、半分涙声で、みなに礼を言った。ニックとベッタラは照れ臭そうに笑い、アントニオは、もう一度、二人とピエトを安心させるように、頭をなでてくれた。

 

 「さすが“夜の神”の化身だな。おまえのおかげで、昨夜はみな助かっていたんだ」

 ペリドットは、呪術につよい“夜の神”が、昨夜は呪いから皆を守っていたのだと言った。今朝はまずいことに、セルゲイが一番、この部屋に入るのが遅かった。

 セルゲイが部屋に入ったときにはすでに、言い争いは勃発していたのだ。

 

 「暑いだろうが、すべての窓を開けろ、瘴気を逃がせ」

 ルナとミシェル、セルゲイたちは協力して窓をぜんぶ開けた。

 「セルゲイ、悪いが、おまえはここにいてくれ。おまえがここにいれば、こいつらの毒気も消える。何があったかはあとでくわしく教えるからな」

 ペリドットは言った。

 「部屋を変えたい。――ミシェル、お前の部屋は?」

 「だいじょうぶ――クラウドは、うちでは暴れてない」

 「じゃあ、そっちに行くぞ。――ああ、こいつらは大丈夫だ。ここに転がしとけ」

 「起きたら、みんな忘れてるさ」

 アントニオが肩をすくめて言い、セルゲイは、「俺は、一生忘れないけどね……」と低い声でぼやいた。

 

 

 「イテテ……」

 みぞおちを押さえながら、一番に起きたのはカレンだった。ジュリの涙顔に、半壊した室内――ゆかにぶちまけられた味噌汁の鍋を見て、カレンは開口一番、悲痛な声で、「ルナの味噌汁が!」とさけんだ。

 「味噌汁をひっくり返したのは、君だよ、カレン」

 黒いエプロンをつけ、掃除スタイルで食器をひとつひとつ拾い集めていたセルゲイが、苦々しい声で言った。

 「――え?」

 なにも、覚えていない。

 

 「ううっ……」

 「いてえ……」

 アズラエルとグレンも、うめきながら目を覚ました。遅れて、クラウドが。そして、ぐちゃぐちゃの室内を見て、「――何が起こったの」と呆然、つぶやいた。

 

 「ダイニングテーブルを割ったのはグレン、目玉焼きをひっくり返したのはクラウド、――それで、」

 「床じゃ、両面焼きにはならなかったみたいだね」

 フライパンでないと――クラウドの冗談は、セルゲイの手の中でバキベキボキと食器が割れる音にかき消された。セルゲイは、ひどく乱暴な調子でバケツの中に、破壊した食器の残骸を投げ入れた。ガッチャン! 過激な音に、クラウドの肩がびくう! と揺れた。

 「俺を殴ったのが、アズラエル」

 

 そんな恐ろしいこと、だれがするかと怒鳴りかけたアズラエルも、セルゲイの切れた口の端を見て口をつぐんだ。

 黒エプロンでしゃがみこんだまま、にっこりとほほ笑むセルゲイは、まさしく閻魔大王――いや、魔王、だった。

 呪いどころでない黒炎を背負っている。

 

 「全員、起立!」

 反射的に、四人は立ち上がった。軍学時代に戻ったように。

 「片付け、はじめ! ――クリーニング業者なんか呼ばないからね。全員、手作業でここを片付けなさい! でないと、ルナちゃんの手料理は一生食べさせないよ!!」