「……男」

「あァ?」

アズラエルは聞き返した。あまりにネイシャの声が小さかったからだ。

「……男、関係で、」

 

救いようがなかった。男でトラブルを起こして傭兵グループを追い出されたというのなら、フリーになるしか仕様がない。

「あきらめろ。メフラー親父はともかく、アマンダはかなりの潔癖なんだ。浮気女は許せねえタチだし、男にだらしねえ傭兵はめずらしくねえが、身内でトラブル起こされちゃ困るんだ」

「か、母ちゃんは、浮気性なんかじゃねえよ!」

ネイシャの顔は必死だった。

「母ちゃんじゃねえ! いつも――いつも悪いのは、相手の男なんだ! 母ちゃんを殴るし、蹴るし……」

言いかけて、ネイシャは口をつぐむ。ここがどこかを思い出したようだ。さいわい、皆はキッチンにいて、ピエトは入浴中、話を聞いているのはアズラエルしかいなかった。

「そういう女はどこにでもいる。悪い男にばかり引っかかるヤツはどこにでもな」

「ち、違う……違うんだ」

ネイシャは必死で首を振った。泣いてはいなかったが、いまにも涙がこぼれそうで、アズラエルは非常に困った。

泣かせたら、確実に、全員から総攻撃を食らう。

「母ちゃんは、母ちゃんは、そういうんじゃない……」

「今までもフリーでやってこれたんだろ? だったら、それでいいじゃねえか。わざわざトラブルを起こしに、傭兵グループに入ることはねえだろ」

「……」

ネイシャは黙った。アズラエルは気まずげに顎をかいた。これだからガキは苦手だ。

アズラエルも押し黙ると、ネイシャが、俯いたままで、苦しげに言った。

 

「――ケトゥインの、呪い、なんだ――」

 

「はァ?」

さすがにアズラエルの声は裏返り、だが、ネイシャの髪の色が目に入ったとたんに、彼は「バカを言うな」という言葉を飲み込んだ。

「信じて! ウソじゃない。母ちゃんは、ケトゥインの呪いにかけられて――」

 

「ネイシャちゃん! ピエトが出たから、お風呂入っていいよ」

ルナの声が聞こえ、ネイシャは「あ、はい!」とあわてて返事をした。そして、急に感情がそがれたように、肩を落とした。

「ごめんなさい……へんなこといって……ピエトには、黙ってて」

ネイシャは小声で謝った。アズラエルは肩を竦め、「わかった」と約束した。

「あの……もう、さっきみたいなこと言わないから……また遊びに来てもいい」

アズラエルはあやうく首をかしげるところだった。だいぶ遠慮なく言ったはずだが。ほんとうに子どもというのは分からない。

「構わねえよ」

ネイシャには父親がいないそうだが、まさか父親のように見られているのだろうか。そういえば、シンシアもメフラー親父やアダムを父親のように慕っていた。アズラエルはふたりのように寛大ではないので、父親のように思われても迷惑なだけだ。

だが、ピエトの友達を出入り禁止にするほど大人げなくはない。

ネイシャが浴室のほうへ行くのと同時に、ルナがソファにやってきた。ネイシャとすれ違いざま、彼女の顔色を見たのだろうか。なぜかアズラエルをにらむのだ。

「アズ、なにかネイシャちゃんに乱暴なこと、言った?」

どうして女は、こうも鋭いのだ。

 

 

ネイシャとピエト、そしてルナとミシェル、カレンとジュリは、ルナたちの部屋のリビングで、カードやボードゲームで遊び始めた。宇宙船に乗りたてのころ、あまりに暇を持て余したクラウドが、みずからの脳みその慰みに買ったゲームだった。

男たちは、クラウドの部屋でアルコール摂取の時間だ。アズラエルと仲良く酒など飲みたくないグレンも、めずらしく出席していた。

ソファに座って、水割りを手にした男たちは、それぞれ思い思いのひとことを口にした。なぜか申し合せたように、ネイシャのことばかりだった。

 

「真夏だっていうのに、長そで」

「見事なアイビー・グリーンの髪色」

「おふくろが、男関係にだらしなくて、傭兵グループに居つけねえタイプで、しかも本人は虚言癖ときた」

「ルナをにらんでた」

 

「え? そうだった?」

最後のグレンの発言には、セルゲイが聞き返した。

「うん。ルナちゃんをにらんでたよね。睨んでいたっていうか――ものすごく、見てた」

クラウドも認めた。アズラエルもそれは、不審に思っていたらしい。ネイシャの、ルナを見る目が、どちらかといえば好意的ではなかった――女の子だからと甘い目で見ているのは、どうやらこの中ではセルゲイだけだったようだ。

「真夏なのに長袖の服」というセルゲイの発言は、アズラエルの「おふくろがうんたら」というセリフに補完された。

「あの子の腕には、たしかに青あざがあったね。あれは大人の男につかまれたあとだ」

クラウドの観察眼にかかっては、誰も隠しごとはできないのか。だが、ネイシャの、真夏に長袖、という子どもらしくない服装が気になっていたのは、おそらく全員だ。

「お母さんの交際相手に、乱暴されてる可能性もあるってことだね……」

セルゲイは、難しい顔でつぶやいた。

「緑の髪ってのは? なにか意味があるのか」

クラウドが言った「アイビー・グリーンの髪色」に関しては、グレンが質問した。

「アイビー・グリーンの色が、染めているんじゃないとしたら――あの子の父親は、ケトゥインか、アノールか、ラグバダの原住民だってことだ」

「ええ? ほんとうに」

驚いたのは、セルゲイのみだ。グレンは、「ああ、そうか」と思い出したように言った。

「あんなきれいな緑は、それらの原住民にしか表れない髪の色だからね――ベッタラと同じ色だろ」

めずらしいことではあるが、あり得ない話ではなかった。傭兵と、原住民との恋――ネイシャの母親は、恋多き女であるようだから、原住民と一度くらい恋に落ちていても不思議はない。

 

「ケトゥインじゃねえか」

アズラエルが言った。

「あいつ、おふくろが、ケトゥインの呪いにかかってるとか言いだしやがった」

 

「ケトゥインの呪い?」

クラウドの目が興味深げに光ったので、アズラエルは言うんじゃなかったと後悔した。

「言い訳なら、なんでもつくれるってことだよ。フリーの傭兵でいるってことは、よほどやり手じゃねえと難しい。さらにガキ持ちだ。食えなくて、男を渡り歩いてたんだろ。ガキをつかって同情を引いて、傭兵グループに所属しようなんて考えてる女だ。ロクな母親じゃねえ」

アズラエルは吐き捨てたが、クラウドはすこし考えてから、言った。

「あの子は、別段、悪い子ではないと思うよ。アズはそう言うけど、虚言癖があるとは思えない。そんな子が、クラスの中心人物になれるわけないよ。あの子は、口のうまさや如才なさで人の中心になるタイプじゃない。どちらかというと、ピエトと一緒で、純朴で素直だ。――俺には、平気でウソをつける子には見えなかった」

「じゃあ、アズラエルが言うように、お母さんがあの子に、ウソをつかせてるってことなの?」

セルゲイの言葉に、クラウドは苦笑した。

「さあ――どうかな。でも、ケトゥインの呪いなんて、同情を引くにしてもファンタジーすぎるな」

「ガキのウソだ。デタラメだろ」

アズラエルの、ネイシャに対する印象は、よくなかった。なぜかは知らないが、彼女は睨み付けるような眼差しでルナを見続けていた。その挙句に、ろくでもない母親を、メフラー商社に入れてくれという。ピエトの友達で、子どもだから大目に見ていただけのことだ。

「……ネイシャが虚言癖かどうかは、たしかめる術はあるんじゃないか」

クラウドが提案した。アズラエルにはクラウドが何に興味をひかれているかじゅうぶんに分かったので、嫌そうな顔をした。

「我らが“ZOOの支配者”さまに、尋ねてみよう」