「ネイシャ! 物置に隠れて! 中から鍵をかけて、」

セシルの言葉が終わらないうちに、ドアが蹴破られた。やはり、バーであった男だった。傭兵や軍人ではない――おそらくマフィアくずれの、チンピラだ。

この宇宙船に乗ってから、何度かストーカー被害に遭ってアパートを変えてきたが、部屋を嗅ぎつけられて、押しかけてこられたのははじめてだった。

「セシルう、探したぜえ」

セシルは、男に名を教えた覚えはない。だが、これもよくあることだった。

(五人か。ネイシャが隠れる時間を稼いで、それから、)

担当役員に直通で連絡できる、救急信号のボタンを押すつもりでいた。セシルはいつも身に着けているコンバットナイフをホルダーから抜いたが、男が一斉に襲い掛かってきて、蹴倒された。

「あうっ!!」

「いい女だ」

男が舌なめずりをし、下卑た笑みを浮かべて倒れたセシルをまたいだ。

「娘がいなかったか。おい、探せ!」

「娘は学校だ! ここにはいないよ!!」

セシルが叫ぶ。腕に痛みを覚えた。男の一人が腕を踏みつけ、もうひとりが足を押さえている。

「待て、俺が先だ」

セシルのシャツを興奮状態で破く男の肩を押さえながら、チンピラは凄む。セシルは歯を食いしばって、目を瞑った。どうにかしてボタンだけは押したかったが、ボタンのある方は、ネイシャがいる。ネイシャが、ボタンを押していてくれればいいのだが。

(ネイシャさえ無事ならそれでいい)

ボタンを押したところで、役員が来るまでしばらくはかかる。男どもの興奮状態を見れば、セシルは無傷で済みそうにはなかった。

(おとなしくして、終わるのを待つんだ。隣の奥さんが気づいて、警察を呼んでくれりゃ、もっとはやく――)

 

「おおい! いたぜえ!」

セシルは蒼白になった。男の一人が、ネイシャの髪をわし掴んで、引きずってきたのだ。

(――ネイシャ!)

セシルの声は言葉にならなかった。男の大きな手に口をふさがれて。

こんな目に遭ったことは今まで何度もあったが、娘に手を出されたことはなかった。ネイシャは、隠れるのが間に合わなかったのか。

(やめて! 娘には手を出さないで!)

セシルは叫んだが、くぐもった声になるだけだった。

「母ちゃんになにするんだ! 離せ! 離せちくしょう!!」

ネイシャは暴れた。子どもとはいえ、ネイシャは普段から大人にも負けない鍛え方をしている。コンバットナイフを隠していたホルダーから出して一閃した。

「ぎゃああ!」

男の悲鳴とともに、指が落ちた。

「母ちゃんっ!!」

ナイフを、セシルの上に覆いかぶさっている男の頭上に振り上げたが、別の男に、ものすごい勢いで蹴り飛ばされ、壁に激突し、動かなくなった。

「なんてガキだ、」

「いてえ! いてえよう!」

指先をなくした男が喚くが、「黙ってろ! 油断したてめえが悪い!」とチンピラに怒鳴られて、怒り任せに気絶したネイシャを蹴り始めた。

「このガキっ! このガキ――」

(だれか!)

セシルは下着をむしりとられながら血を吐くような思いで叫んだが、うめきにしかならなかった。

(だれか! ネイシャを助けておくれよ! お願いだよ!)

 

ズドン。

 

男は、ネイシャの顔面に蹴りをいれたはずだった――だが、自分の足が少女の顔を踏みつけていたのではなく――尋常でないでかいハイヒールのつま先が、自分の脇腹に入っていた。

指先をなくした男は、ネイシャのいる場所から二メートル先――キッチンのレンジに頭をぶつけて、気絶した。ハイヒールのつま先は、男の内臓を確実にえぐっていた。おまけに、焼き立ての目玉焼きが禿げた頭にはりつき、火傷をすることになった。

 

「ネイシャ、しっかりして! ネイシャ!」

セシルは、茫洋と、ネイシャのほうを見た。涙があふれて見えない視界にとらえたのは、ピエトの姿だ。ピエトが、ネイシャを抱き起している。

ネイシャを助けてくれたのは――あれは、ピエトの母親の、ルナだろうか。聞いていたよりずいぶん逞しくて、大きいような気がする。だが、金髪のボブヘアだ。たしか、ピエトの母親は、栗色の髪の、小柄な女性と聞いた。

 

「女の敵ね」

「そのとおりでしかありません」

チンピラどもは、突如乱入して、仲間を蹴り飛ばした女どもを見上げた。見上げるしかなかったのだ。女どもが大きすぎて。

「ベッティー! ドアを閉めてちょうだい!」

褐色の肌の、マイクロミニのニットドレスのセクシー美女は、筋肉隆々の腕をゴキリと鳴らしながら、渋い声でそう言った。

さきほどチンピラを二メートル先まで蹴り飛ばした――ガスレンジがなかったら、もっと先まで吹っ飛んでいたであろう――恐るべき脚力の金髪ボブの銀色スパンコールのマイクロミニを着たゴツイ美女も、「承知しました、アリー」と重低音で言って、ドアを閉めた。ドレスの上からも、割れた腹筋がくっきりと見える。

「なんだ……おまえら」

「処刑の時間よ。ぼうやたち」

オカマのウィンクひとつで、チンピラどもはまず、気持ち悪さに死んだ。

 

 

「――しっかり。しっかりしてください、セシルさん!」

セシルは、聞き覚えのある声に、目を覚ました。めのまえにいたのは、自分たち親子の担当役員だ。セシルは、ほんのわずかな間、気を失っていたのだ。下着まで引きちぎられたセシルの上半身には、担当役員の、スーツの上着がかけられていた。

 ネイシャがボタンを押していたか。

「セシルさん――無事ね?」

セシルは、いつも口調が冷静なこの担当役員に、本当に救われていた。

「だいじょうぶ――今回は、だいじょうぶだった――」

 ベルトは引き抜かれているが、ジーンズは脱がされていない。セシルは、安堵にためいきをこぼし、いたむ腕をさすったが、そちらも打撲で済んでいる。

やっと、周囲の景色が目に入った。顔面も型崩れするほど腫れ上がった半死半生の男たちが、担架に乗せられて運ばれていく。

 

「――ネイシャ!」

セシルは飛び起きた。

「母ちゃん!」

抱き付いてきたネイシャを、「――ああ!」と叫びながら抱きしめ返す。

「か、母ちゃん、母ちゃん、ピエトの父ちゃんと、ベッティーさんっていうひとが助けてくれたんだよ!」

「――え」

セシルは、ようやく部屋にいる、筋骨隆々の派手な美女二人に気付いた。担当役員も、笑っている。

「残念ながら、一人、取り逃がしましたね」

「ああ、まさか、あんなにすばしっこいとはな」

ふたりは救急車を見送っていたが、セシルが起きたのに気付いて、傍に寄ってきた。

 

「ハァイ♪ はじめまして。あたし、アリー。本名はアズラエルよ」

後ろでピエトが「ぶっ!」と噴き出している。

「災難でした。もう大丈夫です。あたしベッタラといいます。ベッティーって呼んでね」

野太い声の自己紹介に、ピエトが堪え切れないように壁を叩いて笑い出した。セシルは呆然としたままだ。

 

「あ、あの――」

動揺して言葉も失っているセシルに、彼女の担当役員である、四十がらみのふくよかな女は、落ち着かせるように優しく言った。

「セシルさん。これから、ちょっとピエトちゃんのおうちに向かいましょう。――ピエトちゃんのお母さんたちがね、あなたの“呪い”について、いろいろ考えてくれているらしいの」

セシルは目を見張った。

「そ、そんな、」

「母ちゃん、あのね。ピエトが言ってたんだ」

ネイシャが、ついにあふれた涙を袖でぬぐいながら、言った。

「ピエトの母ちゃんは、ZOOカードっていう、不思議な力を持ってるんだって。それで、あたしの悩みなんか、すぐ解決してくれるって――」

ピエトが、後ろで鼻息も荒く、頷いていた。

「ネイシャ、あんた――ピエトに、“呪い”のことを話したのかい」

ネイシャは首を振った。ピエトが、ネイシャを遮るように叫んだ。

「違うよ、ネイシャの母ちゃん。俺は、ネイシャから呪いのことは聞いてねえ。でも、ずっと逃げ続ける生活なんておかしいって言ったんだ。俺も、エルトで、いっぱい周りにケトゥインやラグバダの過激派がいて、逃げ回ってばかりの生活をしてた。――だから、すごくつらいのが分かる」

ピエトは興奮気味に叫んだ。

「ルナは、“ZOOの支配者”だから、きっとネイシャたちが、逃げない生活をできるようにしてくれるって言ったんだ。呪いだなんて知らなかったけど、きっとルナが何とかしてくれる」

それで、あんなに反対したのに、ピエトのうちに行くなんて、言ったのか。

セシルは、複雑な思いで娘と、その友人を見つめた。