百二十二話 盲目のイルカ V



 

ルナの部屋のキッチンは、業者がすっかり直していってくれた。散らばった食器や汚れた床などは、暴れた張本人たちが、みずから片付けたあとだ。キッチンは綺麗になったものの、皿やコップなど、ルナが少しずつ集めてきたお気に入りが、ほとんど全滅してしまっていた。お気に入りの中には、もう手に入らないものもある。

グレンもカレンもクラウドも、「ほんとに悪かった、弁償する」と言ったのだが、ルナはちょっとためいきをついて、許してあげることにした。

彼らも、わざとではなかったのだ。ルナはすこし――いや、ずいぶん落ち込んだが、「かたちあるものは、いつかはこわれるのです……」と自分に言い聞かせるように言って、あきらめた。

明日の朝食は、皆の部屋から食器を借りてきて間に合わせることにし、明日はミシェルと雑貨店をまわろうかな、とルナは考えていた。レイチェルが元気ならば、彼女を誘っていくのもいい。

(アズは、荷物持ちです!)

全く反省していないのはアズラエルだけで、「食器? また買えばいいだろ」というセリフが帰ってきたので、ルナはモギャー! と怒って、アズラエルの背中に頭突きをした。

 

(アズの背中が固すぎて、こっちのあたまがいたいよ……)

ルナは、セルゲイに買ってもらったものを、K05区のコインロッカーに置いたままだということにようやく気付いた。

(あしたは、あれも取りにいかないといけないですね……)

バーベキュー・パーティーの日も、まもなくだ。

ルナは、あまりにやることがいっぱいあって、ふうと息をついた。

 

バジは「女房が怖いから」といって帰ったが、ペリドットとベッタラは残った。男たちは、リビングでいろいろと調べ物をしている。明日の朝食は、彼らの分も必要だろう。

(ペリドットさんとベッタラさん、ふつーにご飯とお味噌汁、食べられるかなあ? パンと目玉焼きのほうがいいかな? ふたりは、朝ごはん、いつも何を食べてるんだろう)

ピエトが母星にいたころは、朝食も昼食も関係なく、なにもせず食事にありつけるだけで運がいい一日だったと彼は言った。一週間に一回は、肉の脂身が入った辛いスープを大人たちから恵んでもらうことができたし、一日一回、パンを一個手に入れることができればいい方だったらしい。バリバリ鳥のシチューは、年一回の、大ご馳走だったのだ。

ピエトの生活は、ラグバダ族の中でも過酷な方だった。

同じラグバダ族でも、星や住んでいる場所の環境によって、食べているものがちがうことは、最近ルナにもわかってきた。

(ラグバダ族の朝ごはんはつくれないなあ。アノール族のも分かんないなあ)

なんだか、頭に浮かぶのは、明日の朝食のことばかりだ。

(おなかがすいてるわけじゃないよ)

 

ルナはピエトを寝かしつけ、自分とアズラエルの寝室で、ぼうっとZOOカードの箱をながめていた。

先ほど“導きの子ウサギ”を呼んで、“偉大なる青いネコ”に会いたいと言ったら、

「彼は、月を眺める子ウサギといっしょで、なかなかつかまらないことで有名なんだ」

困った顔をしてから、

「三日ほど待って。必ず、探してくるから!」

そういって、導きの子ウサギは姿を消した。

ルナはそれから、またぼーっと箱を眺めたまま座り込んでいた。何度か月を眺める子ウサギを呼んでみたが、やはり彼女は姿を現さない。

こうしていても仕方がないので、ルナは箱をしまって寝ようと、箱のふたを閉じかけたときだった。

 

「やあ、このあいだはありがとう」

現れたのは、傷だらけのシャチだった。“強きを食らうシャチ”。

「お悩みかい。ルナさん」

「うん……“偉大なる青いネコ”さんが見つかるのに、三日はかかるんだって」

ルナがためいきとともに言うと、シャチは胸を張って言った。

「ならば、私も探そう! 海のものに号令をかけて、隅々まで探してみよう。案ずるな、すぐ見つかる!」

ルナは、水が嫌いなネコが海なんかにいるだろうかと思ったが、とりあえず「ありがとう」と言っておいた。

 

「ルナさん」

シャチは、もじもじと、その場をうごかなかった。なにか言いたいことがあるようだが、照れくさくて言えないのか、ルナの名を呼んだきり沈黙し、もういちど「ルナさん」と言った。

「私に、イルカの女性を紹介してくれて、ありがとう」

なにを言うかと思ったら。

ルナはびっくりして、それからすこし笑った。

 

「……でも、その中に好きなイルカさんがいるかは、わからないよ?」

留守中に、リサから電話があったと、ミシェルから聞いた。リサが、友人を三人ほど連れて行っていいかと、言ったそうだ。ルナから、“美容師の子ネコ”がイルカの友人を連れてくる、というのを聞いていたミシェルはすぐにOKをだした。

ミシェルは「ZOOカードすげー」と何度も言っていた。たしかに、ルナもすごいと思った。

 

「いや……いいんだ。私は、本当は、“彼女”が私の恋人にならなくてもいいし、結婚できなくてもいい――ただ、」

シャチは、神妙な声で言った。

「幸せであったらいいな、と思っているだけで」

ルナは、シャチの言葉から、シャチがイルカだったら誰でもいいと思っているわけではなくて、想い人のイルカを探しているのだな、とわかった。

「今度来るイルカさんのなかに、シャチさんの知ってる人がいればいいね」

シャチは微笑み、

「では、私も“偉大なる青いネコ”を探してくるとしよう! ルナさん、私が必要なことがあったら、いつでも呼んでくれ! 私は、あなたへのお礼に、なんでもするよ。すぐ駆けつける! あの黒いもやに包まれた親子も、」

シャチは一度、武者震いをしてから。

「私は、絶対見捨てはしない」

そういって、消えた。

 

 

次の日の朝、ルナはぴーん! とうさ耳を立たせて元気に飛び起き、朝食の支度をした。ペリドットとベッタラ、アズラエルとクラウドは、案の定、リビングで伸びていた。テーブルに酒のグラスとナッツが乗った皿があるところを見ると、調べ物が終わって、酒になだれ込んだのだろう。

ルナは「しょーがない人たちだ!」と笑ってエプロンの紐を結び、キッチンにもどった。

 

「うめえな、コレ」

「……! ……! ……!!」

ひとこと言ったきり、あとは無言で白米を頬張るペリドットも、ものすごい勢いで掻きこむベッタラも、ルナの作った朝食に満足しているのは見て明らかだった。

ルナが、「パンとオムレツの朝ごはんと、ご飯とみそ汁、どっちにします?」と聞いたら、ふたりは「両方」と言った。

「うん?」

ルナは聞き返したが、二人は間違いなく、「両方」と言った。

ペリドットは当然という顔で、ベッタラは輝くような笑顔で。

 

「ン、おかわり」

ペリドットが空の飯茶碗をルナに出すと、ベッタラも、「ワタシも二杯目を所望します!」と茶碗を出してきた。ルナは、「あ、うん」と言って、てんこもりにご飯をよそったが、ふたりはすぐに三杯目に突入した。

ふたりは焼鮭の切り身を、小骨もよけず一口で平らげ、ご飯三杯とみそ汁三杯、小松菜のおひたし、漬物、ハムエッグ三個、サラダ、コーンスープ、食パン五枚、オムレツ、ヨーグルトと桃とさくらんぼのフルーツを完食し、ようやくまともに口をきいた。