「あ、ネイシャ――」

ピエトが、湖畔のほうからくるネイシャの姿を見つけて駆け寄ろうとしたが、なぜかそっちを見たまま止まってしまった。

ルナも見た――ミシェルも。

このあとホテルに泊まった夜、話をしたから、ミシェルも同じことを思っていたのだと判明したけれども、それを見たアズラエルやグレン、クラウドも、もれなく同じことを思ったのだと、ルナは知らなかった。

 

ネイシャとセシル――そして、ベッタラが湖畔のほうから歩いてきた。

ベッタラとセシルと、手をつないで楽しそうにはしゃいでいる、ネイシャ。

微笑みあうセシルと、ベッタラ。

三人の姿が、あまりにも、「しっくり」きたのだ。

 

「聞いてくださいアーズラエル! セーシルはイルカのように泳ぎが早くて跳ねるのです!」

ベッタラが子供のように興奮してアズラエルに言った。

「ネーイシャは、シャチのように狂暴です! いてて、いけません、ネーイシャ!」

「ね、もう一回泳ごうよ! 競争しよ、日が沈んじゃう前に!」

「ワタシはもう疲れましたよ」

午前中の合コンでだいぶ疲弊したのか、めずらしく疲れ顔で座り込むベッタラの背中に飛びつくネイシャは、すっかりベッタラの娘だった。

 

(そうかあ……)

なぜ、気づかなかったのだろう。ルナは、気づかなかった自分がアホだと思った。

(ベッタラの探していたイルカさんは――きっと、)

ルナは、めのまえにZOOカードはなかったが、黒いもやの中に、うっすらと二人の正体が見えた気がした。

 

セシルは“イルカ”。

ネイシャはきっと、ベッタラとおなじ、“シャチ”。

 

ルナ以外、だれも気付いていない。

ここに“セルゲイがいないこと”を。

ベッタラは今、“夜の神のお守りを持っていないこと”を。

ベッタラは泳いでいる最中に肌守りを落とした。後ろを泳いでいたライアンが拾い、ルナに預けた。彼の肌守りは、今ルナが持っている。

なのに彼は――セシルたちと、あんなにも仲良く触れあっている。

ベッタラは、部屋を出て行ったセシルを追いかけて止めたときも、女装はしたままだったが、男言葉に戻っていた。

ベッタラだけが、最初から、ふたりの“呪い”の影響を受けていない。

それがなぜなのか、ルナにもわからないし、一番そういったことに気付くはずのクラウドも気付いていないようだった。

もしかしたら、ベッタラ自身も、気づいていないのではないのか。

 

ルナは、こっそりとベッタラに肌守りを返した。

「え? あれ?」

ベッタラは、たぶんくくりつけていたであろうハーフパンツの脇を探った。そこにないのが分かると、「ルーナさんが拾ってくれたんですか、ありがとうございます」と礼を言って受け取った。

「泳いでる最中に外れちゃったみたいだね。ライアンさんが拾ってくれたよ」

「ラーイアンがですか? あの男は大変に泳ぎが華麗でした。オオカミのくせに」

いずれまた、勝負を! と意気込むベッタラは、ネイシャに引っ張られて、再び湖畔のほうへもどっていった。セシルもついていく。

大きな夕日が、オレンジ色に輝きはじめたころだった。

「六時前にはもどってこいよ! 撤収するから!」

グレンの声に、ネイシャとベッタラの「はーい!」という大きな返事。

ピエトはなぜだか、ついていかなかった。

「なんか、あの三人仲良くって、俺が仲間はずれにされた感じ」

口を尖らせたピエトに、大人たちは笑った。

 

 

ルナはそのあと、ZOOカードをアズラエルの車に片付けてから、パーティーが終わるまで、ずっとレイチェルと一緒にコテージにいた。一番豪勢なカクテル・ジュースを買って、シナモンとミシェル、キラもいっしょに、四人で飲んだ。

薄暗くなったころ、バーベキューは解散した。ルナはレイチェルとエドワード、担当役員をシャイン・システムのまえまで送ると、アズラエルの車に乗って、キャンプ場の反対側のリゾート地へ出発した。

今夜、湖畔のリゾート・ホテルに泊まるのは、ルナとアズラエル、ピエトだけではない。

ミシェルとクラウドもだし、セルゲイとグレン、カレンとジュリも一室ずつ取った。

そして、予定にはなかったが、セシルとネイシャも泊まることになった。

――ベッタラ付きで。

 

もちろんベッタラは、セシル親子とは別の部屋を取ったが、ネイシャは、「ベッタラも一緒がいい」といって、母親とベッタラを困らせた。

困らせたといっても――ふたりとも、それほど困っているように見えなかった――のは、ほかの大人たちには丸わかりだった。

互いに、遠慮をしているだけなのは。

ベッタラは生真面目だし、セシルも、ベッタラに好意はあっても、“呪い”という前提があり、男性に対する恐怖心が消えたとは言えない。

けれども、二人の距離はずいぶん縮まっているかのように見えた。

 

ネイシャははじめての高級ホテルにも、ベッタラとピエトがいっしょだということにも大はしゃぎして、慌てたセシルにたしなめられるほどだった。

「ネイシャ、ホテルで騒いじゃダメ」

最初のクールな姿が嘘のようだった。ピエトと一緒に、ホテル内のロビーを走りかけて、またセシルに怒られる。

二度も怒られて、子供二人はやっと落ち着いたが、はしゃぐ気持ちは抑えきれないようだった。コンシェルジュに案内されてエレベーターに乗り込み、五階の廊下につくと、案内人を追い越して走り出した。

「見てピエト! 湖が綺麗!!」

「ほんとだ!」

廊下の窓から見える湖は、ライトアップされて煌めき、波の音が耳の中にかすかに残った。ルナとミシェルも子どもと一緒になって窓に張り付いて眺める美しさだ。

「静かに! 静かにしてね」

セシルは呼びかけ、

「先のことを考えて、贅沢したことなんか一度もなかったから……」

苦笑して、廊下の途中でぴたりと止まった。それからいきなり、頭を下げた。

先を歩いていたアズラエルたちは、驚いて振り返った。

「ありがとう――あなたたちのおかげです」

セシルは涙ぐんでいた。

「ネイシャにこんな楽しい思いさせてあげられたこと、一度もなかったんだ。怖い思いやつらい思いをさせたことはあっても――セルゲイさん、今日は一緒にいてくれてありがとう」

「えっ? ――い、いや、」

「アズラエルさん、ルナさん、ミシェルさん、クラウドさん、グレンさん、カレンさん、ジュリさん。……みなさん、ほんとにありがとう」

セシルは最後に、隣を歩いていたベッタラに、深々と頭を下げた。

「ありがとう――ベッタラさん」

口数の多いベッタラが、それにたいしては何も返さなかった。かわりに、奇妙な顔を見せた。困ったような、照れたような、怒ったような、微妙な顔を。

 

「さんづけはやめようよ。もうあたしたち、仲間だろ? 宇宙船を出ても、あたしたちは仲間だ。それは変わらない――そうだろ?」

カレンがセシルの肩を抱いた。一番先頭を行っていた子どもたちが戻ってきたのを見て、セシルはあわてて涙を拭いた。

「行きましょう――セーシル」

ベッタラに手を取られ、セシルはまぶしい顔で、ベッタラの広い背を見つめた。

 

レストランでの楽しい夕食を終え、以前ネイシャが遊びに来たときにしたカードゲームをするために、カレンとジュリの部屋に皆が集まっている。ルナは部屋に行くまえに、一度だけZOOカードを開けてみた。

箱はあいたが、月を眺める子ウサギは出てこない。

導きの子ウサギを呼んで、ネイシャとセシルのカードをもう一度出してもらった。

相変わらず黒いもやに包まれている。

ルナは、根気強く見続けた。

 

(――あ)

ぶわりと、もやが大きくたわんだ瞬間、なかのカードが見えた気がした。

(セシルさん――ネイシャちゃん)

ルナの想像は当たった。

ベッタラは、無意識かもしれないが、ふたりの正体を見つけていたのだ。

 

――イルカと、小さなシャチのカードが、身を寄せ合って、泣いているのが見えた。