アイスはともかく、ジュースを買ってくると言った手前、なにか買っていかなければとルナは、ジュースの売店のまえに並んだ。

並んでいる客に手渡される電子機器の注文票。これで注文して、店頭で受け取ってお金を払う。ルナは、キウイとイチゴのジュースのボタンを押す。ルナが手元の注文票を覗いていると、急に影が差した。後ろから大きな手が伸びてきて、アイスコーヒーのボタンをちょいと押した。

「!?」

注文票はひとりひとりに配られる。清算がいっしょでもないのに、他人の注文票で注文する奴はどこのどいつだ。

ベッタラが戻ってきたのだろうか。でも、ベッタラはこんなことはしない。一声、かけるはずだ。

伸びてきた指のゴツさが、体格の良さを表していたので、アズラエルかグレンかと思って後ろを見たら、ルナのまったく知らない男だった。

だが、図体はアズラエルたちと同じくらいある。日焼けしたたくましい上半身は裸で、たった今泳いできましたと言わんばかりに全身濡れそぼった水着すがた。ハーフパンツの水着は目が痛くなるようなサイケな柄で、手首のミサンガも、額にひっかけられたサングラスもサイケな柄で、髪の毛は水色のトサカがついたソフトモヒカン。

目がくらくらしそうな色彩の男は、だが、イケメンだった。ベッタラと同じくらいの頻度でナンパされているであろうレベルの。

ソフトモヒカンは、笑顔でルナを見下ろしている。ルナが口をぽっかりあけている間に順番が来た。ジュースとアイスコーヒーが受け取りの台に置いてある。ルナが慌てて財布を出しかけると、「ふたりぶん」と言って、ソフモヒが紙幣を置いた。店員は機械的に紙幣を受け取ってお釣りを出し、ソフモヒがドリンクを二人分持って列から外れた。

 

「あっ、あのっ、あのっ、お金!」

ルナはあとを追ったが、たいして走らなくてもよかった。男は、売店まえのパラソルが付いた丸テーブルの席に、腰を落ち着けたからだ。

「金はいいって。ナンパよけに、一緒にいてくれよ、ルナちゃん」

水色ソフトモヒカンは、ルナのことを知っていた。ルナはうさ耳をぴーん! と跳ねあげ、「どちらさまですか」と聞いた。

「ライアンだ。ライアン・G・ディエゴ。アズラエル先輩の、後輩」

にっこりと彼は笑い、

「今日はご招待ありがとう。アズラエル先輩がロリコンになったってロビンが言ってたけど、そうでもねえじゃねえか。黙ってりゃ、美人さんだぜ」

ルナは再び口をぽっかりと開けた。美人といわれたのははじめてで、気分は悪くない。

「あ、そういう顔すると、ガキっぽくなるな。確かに」

ルナはジト目でライアンをにらみ、ジュースを啜った。肉だのタコ焼きだの、味の濃いものを食べ続けたせいで、ずいぶん喉が渇いていた。ストローをぐいぐい吸い、ぷはっと口を離すと、ライアンが噴き出した。ルナは慌てて口をぬぐい、大人っぽい顔をするために背をシャキーンとのばした。

ライアンの名は、アズラエルの口から聞いたことがある。でも、会うのは初めてだった。ライアンは、アズラエルが呼んだのだろうか。

 

「なァ、あんた、泳げる?」

アイスコーヒーを飲みながら、ライアンが聞いてきた。ルナは首を振った。ルナの二倍以上のスピードでコーヒーを飲み干したライアンは、店先にあるくず入れにカップを投げ入れた。見事、カップはくず入れに落下した。

「そうか。よし、泳ごう」

どうしてL18の男は、聞いておきながら相手の答えを無視するのだろう。ルナは泳げないと言ったはずなのだが。それに、ルナはまだジュースを飲んでいない。

ライアンはルナがジュースを飲み終わるのを辛抱強く待ち、ルナが飲み干すと、さっきのように、くず入れにカップを投げ入れた。今度も、綺麗にかごの中へ着地した。

ライアンはルナの腕をつかんで立ち上がり、湖畔のほうへ向かう。

 

「ちょ、あの、――オオカミさん!」

ライアンが驚き顔で振り返る。それから笑った。

「食ったりしねえよ。変なこともしねえ。いっしょに泳ぐだけ」

「え、あ、う、あの、……」

ルナは口をあうあうと動かした。ライアンと言ったつもりだった。なのに口から出てきた言葉は「オオカミ」。

(ラ、ライアンさんは、オオカミさんですか……!)

ZOOカードをあつかうようになってから、ルナはなぜか相手のZOOカード名を口にしてしまうことが多くなっていた。アズラエルやミシェルなど、普段いっしょにいる人物は、名前のほうを呼びなれているのでだいじょうぶだが、初対面の相手などはまずかった。会った全員の動物が分かるわけではない。だが、時折、こうしたことが唐突に起こった。

オルドのときなどがいい例だ。ルナは彼をオルドと呼んだつもりなのに、毎回、「ハトさん」と呼んでしまっていた。

 

「オオカ――ライアンさああああん」

波打ち際まで来て、ルナは往生際も悪く抵抗した。

「あた、あた、あた、あたし、泳げな……!」

ライアンと向き合う体勢で、足が砂の山を、水際に向かって積み上げていく。ライアンが後ろ歩きをしながら水に入っていき、ルナの両手首を握ってズリズリと引きずっていく。

「意外とがんばるなァ」

おかしげに笑い、ライアンは、ズリズリズリとルナを少しずつ水に引き込んでいく。

「つめ、つめたい!」

「そりゃ、水だからな」

温泉プールじゃねえぞ、とライアンは笑いながらどんどん進む。

足首、膝、ついに腰まで浸かる。

「うひゃ!」

ルナは急に深くなったところで、腹のあたりにあった水のなかに頭の先までつかった。

(お、おぼれ……)

溺れます! と脳内で叫んだところで、水中から引き揚げられた。めのまえには、ライアンの面白がっている顔。ルナは顔に張り付いた髪をやっとの思いで寄せながら、「オオカミさん!」と怒鳴った。

ライアンは、当然だったがルナを抱き上げていた。ルナは手の置き所に困ってさまよわせたが、ライアンが、「俺の肩につかまって」といったので、仕方なく肩に手を置いた。

ライアンも胸までつかっている深さだ。ルナは確実に沈む。

 

「ぜんぜん、泳げねえの」

ライアンが聞いてきたので、ルナは、

「バタ足しかできないよ」

と正直に言った。ライアンは、ルナを両手で抱きかかえたまま、ボートや浮き輪の間を、スイスイ泳いでいく。

「あの……」

「ここらへん、俺でも足がつかねえからな」

ルナが何か言う前に、ライアンが言った。

「えっ!!」

ルナが蒼白になる。

「オオカミさん、なんで立ってられるの!」

「俺は立ち泳ぎしてる」

ライアンの肩は、相変わらず水面の上に出ている。

 

「オルドのことは“ハトさん”って呼んでたんだって?」

「……」

ルナが困惑してこたえに詰まると、ライアンが急に手を離した。

「うひゃっ!!」

ルナは、思わずライアンにしがみついてしまった。ボートのカップルから、「ラブラブだねえ」といわんばかりの口笛があがり、ルナは赤面した。ライアンは飄々と笑っている。

(これは、まずいです!)とうさ耳警鐘アンテナがたった。今のはあくまでも条件反射だ。ライアンの首根っこに抱き付いているのも――。

(離れたら、おぼれます!)

ルナはあわてて、周囲を見られる範囲だけ見渡したが、知り合いの顔はなかった。バーベキュー・パーティーのだれかに見られ、アズラエルに告げ口でもされたら、ルナの明日はない。

「岸に戻ろうよ! オオカミさん!」

「いやだね」

(たいへんだ! このひとはグレンと同じ種類のにんげんです!)

ライアンは、まんざらでもなさそうにルナを抱きしめると、

「オルドは“ハト”で、俺は“オオカミ”。――なんか、意味でもあんの」

ライアンは、さっきの話題を再び持ち出してきた。

ルナを湖に連れだしたのは、それを聞きたいからなのか?

「オルドはハトのTシャツを着てたが、俺はオオカミ模様の水着なんて着てないぜ」

ルナはやはり、詰まってしまった。ZOOカードのことをどう説明しようか、口をバッテンにしかけたときだった。