ルナは、ベッタラとライアンに左右から支えられ、水中でも宇宙人のように連行されて岸に着いた。

ベッタラもライアンと同じく、泳ぎは得意のようだ。ZOOカードがシャチだし、泳ぎが得意なのは当然かもしれなかった。

「ワタシは、海辺の村で生まれて育ちましたから。それに、いつもパコと戦っていた」

ルナは、以前ベッタラが話していた、パコという名の巨大なシャチの話を思い出した。

「泳いで向こう岸まで渡れるか?」

ライアンが挑発するように、はるかかなた後方を指さした。向こうに森と、大きなホテルがあるのはわかるが、水平線上にそれらが乗っていて、岸があるのかさえ、ここからは見えない距離だ。

「カンタンなことです」

「じゃァ、勝負してみるか。ルナの唇を賭けて」

ルナも噴いたが、ベッタラも噴いた。

「ク、クククククチビル!?」

いけません、それはだめです! とルナよりベッタラのほうが真っ赤になって慌てた。

やっと岸辺にもどると、ピエトが駆けてくる。

 

「ルナ! だいじょうぶ?」

セシルとネイシャ、セルゲイも一緒だった。

「ベッタラが、ルナがいないって泣きそうな顔で俺たちのとこへ来てさ。ルナに似た背格好のひとが、湖に男の人と入っていったって、見てる人がいて――俺、アズラエルかと思ってたけど――あれ、誰?」

「うん――」

泳いでいただけとはいいがたいが。ルナはライアンに、水中まで拉致されたようなものだ。

「アズの学校の後輩のひとで、ライアンさんってゆうひと」

「ルナちゃん、変なことされなかった?」

前科という前科がありすぎるせいで、セルゲイが心配そうな顔で、ルナの頭をタオルで拭きながら顔を覗き込んでくる。ルナは嘘をついても無駄だとわかりつつ、「だ、だいじょうぶです……」と言った。

肝心のライアンとベッタラは、向こう岸を指さしあって、何かわめいている。

「向こう岸まで行って、早く帰ってこれた方の勝ちだ!」

「承知しました! 負けません!!」

「よし! ルナ、そこで待ってろ!!」

「え!? ――あ!」

ルナが止める間もないまま、ふたりは湖に飛び込んでいった。ものすごい勢いで浸水していく。

「すごいねえ!」

セシルが思わず感嘆の声を上げた。ルナもぽっかり口を開けた。ライアンもベッタラも、水面に顔を出したのは、大分向こうだ。魚のように泳ぐ二人は、あっというまに視界から消えた。

「ふたりとも、海の近くで育ったのかも」

セシルが懐かしむような目をした。

「よし! あたしも泳ごう!」

思い切り背伸びをし、セシルはパーカーを岩場に投げ捨てて、湖に入った。そして、ベッタラたちの後を追うように猛然と泳いでいく。

「セシルさんも速い!」

ルナがぴーん! と伸びきって目を凝らしたが、彼女の姿もすぐに見えなくなった。

「母さんも、海辺の町で生まれたんだ。泳ぐの得意だよ」

ネイシャが嬉しそうに言った。

「あんな楽しそうな母さん、久しぶりに見た!」

「ネイシャ、俺たちも泳ご!」

「うん!」

ネイシャとピエトも、水に飛び込んでいく。ルナとセルゲイは、顔を見合わせて笑って、みんなの帰りを待った。

 

 

一時間近くも待っただろうか。ルナは水辺に座ったままぼけっとアホ面をさらし、セルゲイは、湖に入ってネイシャたちと遊んでいた。

一番に戻ってきたのは、ライアンだった。オオカミが水から上がったときのように、頭を振って水滴をはじきながら、ルナのほうへやってくる。

「おかえりなさい! オオカミさんの勝ちだよ!」

ルナは言いかけ、勝利者には自分の唇が勝手に与えられることを思い出してぴきーんとなりかけたが、ライアンは肩をすくめただけでルナに手を出してはこなかった。

「勝負はなしだ」

「え?」

「アイツの知り合いだか知らねえが、女があとから追っかけてきて、なんとなく不安だから女についてるって、途中で試合放棄しやがった」

ライアンは、短い髪をかき上げて、顔に落ちてくる滴をぬぐった。

「やっぱアイツ、速えなァ。――たぶんあのまま行けば、アイツの勝ちだ。海育ちだって、分かる気がする」

ライアンはルナの頭を撫でてから笑い、

「これ」

とルナに差しだした。

ルナが受け取ったそれは、夜の神の肌守りだった。

「あ、これ……!」

「泳いでる最中に、あいつが落としたから拾った。渡しておいてくれ。――じゃァな。俺、帰るわ。先輩によろしくな」

「――っ、え、」

帰っちゃうの、というルナの言葉が追いつく前に、ライアンの広い背中はあっという間に人ごみへと消えていた。

 

(オオカミさん)

ルナには分かった。ルナはもう、ライアンと会うことはないだろう。

(……もっとちゃんと、いろいろ伝えたかったなあ)

なぜ、全部を話せなかったかは定かではないが、すくなくともあの「映像」を見た限りでは、ライアンたちがアストロスでおとなしくしていれば、捕まらない。

L19の軍隊は、リリザまで“ふたり”の追跡をかける。アストロスまでは行かない。ライアンが五十歳になる前に、バラディアが亡くなるから、追跡は終了する。

(無事に生きてね。――オオカミさん)

きっと、ライアンといっしょにいた女の子は、このあいだのホーム・パーティーにパイを焼いてくれた女の子だ。

(ぜったいに、ふたりで、幸せに暮らして)

ふたりの壮絶な運命に胸を押さえたルナだったが、すぐに(あれ?)と首を傾げた。

先ほど月を眺める子ウサギが見せてくれたライアンの未来――シネマはすっかり、ルナの脳内から消えていた。

 

 

ライアンは、別れ際のオルドの言葉を思い出していた。

『不思議な、ひとだった』

オルドの、ルナを表する言葉はこの一語に尽きた。それ以外の言葉を、オルドは持たなかった。いついかなる場合も的確な言葉をつかって報告するオルドが、表現する言葉を選びかねている人物。ライアンも興味を惹かれた。

それに、あのアズラエルが選んだ女、ということも、以前から気になっていた。小悪魔ちゃんだの、子供みたいな女だの、いろいろ情報は入ってくるが、あのアズラエルがただの可愛い女に骨抜きにされているというのは、あり得ないことだと思った。

だから、接触してみたくなったのだ。

アズラエルが惚れた女、オルドが一度でも心を開いた女。

――ロビンも、正体をつかみかねている女。

自分の目で確かめてみたかった。

いったい、どんな女なのか。

(ロビンの話によると、サルーディーバとつながりがあるって話だったが)

まさかライアンは、自分の未来を予言されるとは思ってもみなかった。

ライアンは、帰ったら、メリーとレオンに聞かれるだろうことを推測して、自分ならルナをどんなふうに説明するか、考えてみた。

(やっぱ、不思議な女、か)

それ以外に表現方法は、見当たらなかった。

ライアンは駐車場に着くまでにすっかり乾いた髪をガシガシ掻きながら、車のドアを開けて、むわりとした熱気を浴びながら、エンジンをかけた。