満天の星の輝き――大宇宙が、空を覆っていた。

 ルナはずっと、星を見つめて過ごした。

 大きな惑星が空をよぎっていき、彗星が一瞬で尾を引いて流れた。

 

 あの星々のどれかがアストロスで――そこに、メルヴァがいるのだろうか。

 

 それを考えると、眠気もすっ飛んだ。

 (メルヴァは、いったい、どうしてあたしを殺そうとしているの)

 ルナは不思議だった。メルヴァが自分を殺すかもしれないというのに、メルヴァを憎んだり、怖がったりする気持ちは微塵も起きてこないのだった。

 それがなぜか、ルナはわからなかった。

 ガルダ砂漠の夢で、メルヴァを知ったからだろうか。

 彼が、“悪人”だとは、思えないせいだろうか。

 ルナは、メルヴァを想うと、悲しみしか突き上げてこないのを感じた。

 (うさこ――うさこは、メルヴァを知ってる? 彼が、何を考えて、今どうしているかを、知ってる?)

 ルナは心の中で語りかけてみたが、返事はなかった。

 

 ルナはいつのまにか寝ていた。座ったままウトウトしていたのだが、突然、瞼の裏に月を眺める子ウサギが現れた。

 月を眺める子ウサギが、糸を結んでいる。ロープともいえるような太い糸だ。色はわからなかったが、糸は、大きなシャチと、巨大なカバを結んでいた。

 (カバ? カバにしてはなにかへんだよ)

 カバにしては、形がすこし、違うような気がしていた。

 (うさこ、なにしてるの)

 ルナが呼びかけると、月を眺める子ウサギはルナのほうを振り返って、「これでよし!」と両手をパンパンと叩いた。

ルナは、カクン! と顎が落ちて目が覚めた。

 周囲をキョロキョロ見渡したが、みんな寝ていた。

 (カバとシャチ? カバは、ベッタラの運命の人?)

 さっぱり、分からなかった。

 ルナは、いろんな機能が付いたナイフだの、ロープだの、小型ラジオだの、つかいもしない道具を持ってきて、ZOOカードを持ってこなかったことをちょっぴり後悔した。

 

 午前零時をすぎ――ルナの瞼もふたたび落ち気味になったころ――人々のざわつきが大きくなった。すっかり寝ていたピエトとミシェルも目を覚ます。気づけば、中央広場にいたのはルナたちだけではなく、たくさんの原住民が集まっていた。

 

 二十人もいただろうか――袖のない、麻の衣装を着た原住民を従えた、真っ白い女性が、ゆっくりと歩いてルナたちの傍まで来ていた。

 

「マミカリシドラスラオネザです」

 

 名乗ったのは、彼女の左右に跪いている侍女たちではなく、彼女本人だった。

彼女の印象をひとことで言うならば――包帯女、だった。全身を、身体にぴったりと巻きつけた白い布地と、銀色の装飾で覆っている。肩から袖にまといついている半透明のベールも白。高々と――ソフトクリームのように頭上に結い上げた髪の毛も、真白かった。

 

 朝からほとんど動かなかったクラウドが、ようやく動いた。

 彼はまっすぐに白い女王の前に行き、二メートルほど距離をあけて、跪いた。彼女の顔をしっかりと見たまま、クラウドは言った。

 

 「お会いできて、光栄です。――ラーヤラーヤ・パジャトゥーラ・マミカリシドラスラオネザ・ラージャラージャ・モヘンダリ・マミーカリーシドラスラーオネザ・エラドラシス・カムカムチム・ロロスターリ・アジャヘンドラ・カラリヤカラリヤ・バ・ドトゥ・ケ・アンガーサ・ワワベナ・マミカーリシドラスラーオネーザ・クゥリカリモホダンジョザリクザリク・マタパーラ・ベネットバネット・タラタラタラ・モダ・カムトゥーラケムトゥーラカリンジャココラスラ・テモドゥペペヤートラドンド・リンモン・マルカレポッザ・エラドラシス……」

 

 ルナだけではなく、アズラエルやグレンたちも口をポカンと開けた。

バジやベッタラも口を開けていたので、ルナは口を開けたまま、周囲を見渡した。やっぱり、だいたい全員が、口を開けていた。

クラウドの謎の言葉は、まだ続いた。

 

 「マタパラポラス・ハサンドマシド・ドードード・マミカリシドラスラオネザ・ラーヤラーヤ・タルムンド・ドムス・マミカリシドラスラオネザ――」

 

 クラウドの呪文は、五分ほど詠唱されて、やっと終わった。

 ルナが口を開けたままペリドットを見たら、彼は口を開けてこそいなかったが、肩をすくめていた。彼のしぐさは、様々な意味にとれた。

 

 マミカリシドラスラオネザは、クラウドの朗読中、真っ赤になったり真っ青になったり、真っ黒になったりして、落ち着きなく立ったり座ったりしていた。はた目から見れば、それは激怒しているようにも見えた。一番近くで彼女を見ていたクラウド――彼は、しっかりとマミカリシドラスラオネザを見ていたから、だれよりも一番に、彼女の表情の変化がわかっただろう。

 クラウドの言葉が終わると、彼女は両こぶしを震わせて、顔は興奮のあまり真っ赤で、高血圧で倒れそうだった。

 だれもが、クラウドは失敗したと思った。

 マミカリシドラスラオネザの機嫌を、さっそく損ねたと思った。

 だが、興奮によって全身を赤くした彼女の口から出たのは、「も、もう一回……」という、遠慮がちな響きだった。

 「え?」

 おもわずつぶやいたのはミシェルで、クラウドは「何度でも」とほほ笑み、ふたたび呪文を唱え出した。

 

 「ラーヤラーヤ・パジャトゥーラ・マミカリシドラスラオネザ・ラージャラージャ・モヘンダリ・マミーカリーシドラスラーオネザ・エラドラシス・カムカムチム・ロロスターリ・アジャヘンドラ・カラリヤカラリヤ・バ・ドトゥ・ケ・アンガーサ・ワワベナ・マミカーリシドラスラーオネーザ・クゥリカリモホダンジョザリクザリク・マタパーラ・ベネットバネット・タラタラタラ・モダ・カムトゥーラケムトゥーラカリンジャココラスラ・テモドゥペペヤートラドンド・リンモン・マルカレポッザ・エラドラシス、」

 

 クラウドは、ひとつひとつのセンテンスを最初よりもはっきりと、ゆったりと発音したので、今度はすべて言い終えるまで十分近くかかった。グレンが計った結果だ。

 マミカリシドラスラオネザは、今度はだんだん、うっとりとした顔に変わっていった。中ほどから、用意された椅子に座って、音楽でも聞くように相槌を打ちながら、呪文の調べにとろけた。

 

 「――マタパラポラス・ハサンドマシド・ドードード・マミカリシドラスラオネザ・ラーヤラーヤ・タルムンド・ドムス・マミカリシドラスラオネザ」

 「ぜひ、もう一回お願いしたい」

 マミカリシドラスラオネザは頬をバラ色に染めて、ねだった。クラウドは嫌な顔ひとつせず、ふたたび朗読した。

 彼女は「もう一回、もう一回」とせがみ、計五回、クラウドは呪文を唱えることになった。

 それ以上がなかったのは、ペリドットが止めたからだ。

 「夜が明けちまうだろうが」

 マミカリシドラスラオネザは非常に残念そうな顔をしたが、ペリドットに逆らう意図はないらしい。彼女は余韻にひたるように、ほう、と熱っぽいため息を漏らしてから、

 「なんということ!」

 するどく叫んだ。

 機嫌が悪いようには見えなかったが、声は鋭い。

ルナたちには、彼女が機嫌を損ねているようにも見えたし、喜んでいるようにも見えて、全く判断がつかなかった。