「なんということ――! まさか! よりによって! 地球人から、このような祝福を受けるなど――!」 信じられない、とマミカリシドラスラオネザは赤い顔を更に火照らせ、 「そなたの名は」 と、今度はクラウドに尋ねた。 「クラウド・アナクル・ヴァンスハイト」 クラウドは名乗った。 マミカリシドラスラオネザは、「クラウド・アナクル・ヴァンスハイトよ!」と感極まった声で叫んだ。 「我らパジャトゥーラ・モヘンダリのエラドラシスの一族は、そなたに生涯仕えよう!」 彼女は左手をゆっくりと上げ、天を指した。 「ラグ・ヴァーダの女王の名において誓おう。我らは、そなたの生涯において、三度だけ、どんな願いでもかなえたもう――どんな願いであったとしても!」 「――!!」 ミシェルが驚いて口を覆い、ピエトとルナの手を取った。三人は、踊り出したい気分で、クラウドの成功をようやく悟った。 クラウドは、大成功中の大成功をおさめていたのだ。 クラウドの口から出た長ったらしい言葉の羅列は、けっして呪文ではなかったが、マミカリシドラスラオネザの機嫌をよくする魔法の言葉といっても、まちがいはなかった。 「ありがとう」 クラウドは礼を言い、やっと立って、マミカリシドラスラオネザと握手を交わした。地球流の挨拶を、彼女はためらいもなく受け入れた。 「やれやれ」 バジが、張り詰めた緊張をやっと解いたかのように、がっくりと肩を落として座り込んだ。 「マミーちゃんの名をぜんぶ言っただけじゃないか……まさか、そんなことだけで、」 「今の、名前なの!?」 ルナは驚いて、叫んでしまった。マミカリシドラスラオネザはその声を聞きつけ、鷹揚に頷いた。 「クラウド・アナクル・ヴァンスハイトが申したのは、実に――そう――麗しきわが名である」 ルナはふたたび口をぽっかりと開けた。 なんて、長い名前だ。 「エラドラシスでもっとも大切なものは? それは名だ」 マミカリシドラスラオネザは宣言するように、両手を広げ、天を仰いだ。その頬から涙が伝っているのには、ルナもびっくりした。 「エラドラシスで名誉よりも、命よりも、たいせつなのは“名”。その言霊。エラドラシスの者の名はみな長いが、略さぬことが礼儀」 オーバーリアクション気味の彼女は雷に打たれたように顔を覆い、指の隙間からバジを睨んだ。 「それなのに、この地の者ときたら、マミーだのなんだの、人の名を勝手に略し、軽んじる。それに私がどれほど腹を立てていたか、誰も分かるまい! 私の国でそれをしたならば、最大の侮辱として生き埋めにしてやるところぞ! 私の名を略さず呼んでくれるのは、ペリドット・ラグ・ヴァーダ・マーサ・ジャ・ハーナ・サルーディーバ様だけじゃ!」 バジはきまり悪げに頭を掻き、ベッタラはそっぽを向き、ペリドットは肩をすくめて腕を組みなおした。ペリドットも彼女のいないところでは、けっこう略している。 「だが、これまでの屈辱も、いまやすべて吹き飛んだ。私は許そう――なにもかもを。バジ・ヴズ・アレハンドラ・ベポッポの無礼も、ベッタ・ラの生意気も――ほかの者どもの侮辱も――」 大粒の雨のように、彼女の頬を露が濡らしていく。 「私の名を一字も漏らさず、丁寧に呼んでいただいたのは、私が成人の儀をむかえた日以来ぞ――いや、あの日も、こんなにも細やかに長く――長くはなかったやもしれぬ――これほどの祝福を受けて――私はもう!」 マミカリシドラスラオネザは吠えるように泣き出した。ルナたちはやはり、あっけにとられてその光景を見つめていた。 彼女はごうごうと台風のような唸り声をあげて泣き、十分ほど泣いて、おさまった。 「クラウド・アナクル・ヴァンスハイトよ。よくぞ私の名を知った。そして、一字たりとて間違いもなく謡った。私はこれ以上なく嬉しく思う」 「はい」 マミカリシドラスラオネザはまた泣いた。台風直撃。 「そなたに授けよう。ケトゥインの呪などものともせぬ、ラグ・ヴァーダの女王の術封じを」 「――!!」 マミカリシドラスラオネザの一喜一憂に翻弄されていたアズラエルたちの顔が引き締まった。 女呪術師は微笑んだ。 「分かっている。そなたたちが私に会いに来た目的は、ケトゥインの呪にかかった親子を救うためであろう。清らかなる心の持ち主どもよ」 最初とは、まったく別人の柔らかな声で、マミカリシドラスラオネザは言った。 「案ずるな。クラウド・アナクル・ヴァンスハイトに与えた三つの願いのひとつには入らぬ――これは、そなたが私に与えた祝福の礼だ。さて――私はケトゥインの呪は知らぬ。あの親子にかけられた呪もわからぬ。しかし、エラドラシスは、ラグ・ヴァーダの女王につかえたまいし神官が末裔。すべての原住民の祖にあらせられるかの女王によりて、すべての呪を看破消滅せん術を授けられておる」 クラウドの予測は当たっていた。エラドラシスには、原住民の種類に関わりなく、術の種類も関係なく、すべての術を消せる秘術があるのだ。 マミカリシドラスラオネザは、両脇の侍女に持たせていた、大きな鈴のようなものを両手に持った。交互に振ると、片方はガランガランと割れた音をだし、片方はシャラシャラシャラと、せせらぎにも似た音を出した。 不思議なことに、それぞれがまったく違う音なのに、不協和音どころか、オーケストラのように楽器がいくつもあるような――複雑な音が奏でられるのだった。 「ふむ――おそらく術者はもうこの世にはおらぬ。あの黒い“もや”には、術者の気配がない。ようするに、術者も命を懸けて、あの呪を施したのだ」 このことは、ペリドットも初耳だった。 「命と引き換えに、呪をかけたのか――道理で、強力なはずだ」 彼は苦々しい顔で唸り、女呪術師は左右の手で鈴を奏でながら言った。 「それほどの憎しみを、セシルという女は負ったということだ。まあ――術者はもうおらぬゆえ、消し去ったのち、もう一度呪をかけられるということはなかろう――だが、あまりに強き呪ゆえ、消滅するにはこちらも命を賭けるか、それ相応の贄がいる」 やっぱり、簡単にはいかないのか――ルナは、俯いた。 (セシルさんたちができない方法だったら、どうしよう) マミカリシドラスラオネザは激しく鈴を動かして舞い――やがて、のけぞった格好でぴたりと止まった。鈴の音もとまった。 そして、宣言した。 「あの親子にかけられた呪を、依代たる獣にうつし――その獣を屠るを、最上とす」 |