「ルナあ! 俺、いつの間に寝てた!? ぜんぶ終わっちゃった?」

ピエトが起きてリビングに現れたので、ルナの質問はそこで終わってしまった。

「だいじょうぶ。まだ終わってないよ。セシルさんたちに説明するのはこれから」

「よかった〜、俺、いつ寝た? ずっと起きてるつもりだったのに、」

ルナはピエトに朝食を作るため、キッチンに向かった。

聞き取れなかったカレンが、アズラエルに聞いたが、彼も聞こえなかった。

「ルナ、いまなんて言った?」

「分からねえ。――大切なことなら、あとで話すさ」

ルナの言葉をすべてとはいえないが、拾うことができたのは、読唇術ができるクラウドだけだった。

(サルーディーバ? ルナちゃん、真砂名神社でサルーディーバに会ったのか?)

クラウドは言葉にはしなかったが、ルナの様子がおかしいことは気づいた。

ミシェルが戻ってきたので、クラウドはこっそり聞いてみたが。

「え? サルーディーバさん? ――あたしたち、真砂名神社ではだれとも会わなかったよ」

「……」

ミシェルが嘘をついているのでもなさそうだった。

いつのまにか八時になっていた。セルゲイとグレンも誰かが起こすまえに部屋にやってきてしまったので、クラウドはこのことの追及は後回しにした。

 

サルーディーバ拒否症候群のアズラエルに、この名前を聞かせるのは避けたいクラウドだ。今は、どんな些細なことも、おおげさに取り上げられかねない緊迫情勢にある。

(サルーディーバも、呪いを解けるのかなって?)

ルナは真砂名神社でサルーディーバに会った? 彼女が、セシルたちの呪いを解いてやるとでも、言ったのだろうか。

(でも、“ただ”それをいわれただけなら、ルナちゃんは喜び勇んで報告してくるはずだ。ミシェルが知らないってこともない。ルナちゃんはミシェルと真砂名神社に行ったんだから、一番に、ミシェルに話すだろうし、サルーディーバをここへ連れてくるだろう)

クラウドには、すっかり見当がついた。ルナの顔が暗かった理由だ。

(――もしかして、“セシルたちの呪いを解いてやるから、アズラエルと別れろ”とでもいわれたのかもしれない)

クラウドは、冷静に分析した。

(サルーディーバは、もうそこまで追い詰められているのか)

ペリドットは放っておけといったが、放っておける段階ではもはや、ないのかもしれない。

(でも、まずは、セシルたちのほうが優先事項だ)

クラウドは、このことが一件落着したら、サルーディーバの動向も監視する必要があるかもしれない、と思った。

 

八時半には、ペリドットとベッタラがやってきた。

ペリドットは、これが最後だというイジムの束を、ルナたちの部屋で燃した。イジムの香りがすっかり部屋中に満ちたころ、セシル親子は呼ばれるままにルナたちの部屋に来た。

 

「ほ――ほんとうなのかい? あたしたちの呪いを解く方法が見つかったって――」

 

ネイシャの肩を抱きながら、セシルは緊迫した顔でそういった。なかば疑い――なかば、希望をともした瞳で、クラウドを見つめながら。

「ああ。君たちの呪いは、エラドラシスの呪術師で、マミカリシドラスラオネザというひとが解いてくれる。エラドラシスは、すべての原住民の祖であるラグ・ヴァーダの女王につかえた神官の末裔だから、ケトゥインやエラドラシス、アノール、原住民の種類も関係なく、すべての呪いを破る術を知っているんだ」

クラウドの言葉に、セシルは「――ああ!」と声にならない声を上げて、ネイシャを抱きしめた。ネイシャも、涙に潤んだ目で母親を抱きしめた。

皆が心配していた拒絶は、いまのところ、なさそうだった。

 

「それは――いったい、どんなものなんだい? あたしたちは、何かすることがあるかい? いったい、なにをしたら――」

「セーシルは、強い気持ちを持ってください」

クラウドではなく、ベッタラが言った。

「セーシルは、呪いに怯えてはなりません。どうか、あなたに呪いをかけねばならなかった、ケトゥインの術者を憎まないでください。彼の無念を、想ってください」

「――え?」

セシルは目を見張った。

「セーシルもネーイシャも、ワタシを見守っていてください。ワタシが、“呪い”を破ります」

炎がイジムを燃やし尽くした。イジムの枯草は、普通の草のように炭になって残ることはない。すべてが消え去るのだ。黒い煤ひとかけらも残さずに――。

ルナはそれを見て、セシルたちの真っ黒な“もや”が、かけらも残さず消えることを想像した。

 

 

その一日は、途方もなく長く感じられた。

呪いを打ち破る秘術を行うのは、午前零時から――。

それを告げ、ペリドットとベッタラが準備のために帰ったあと、いきなりセシルが倒れたのだ。

「母ちゃん!」

ネイシャが抱き起こしたセシルの息は荒い。熱を測ったら、四十度を超えていた。

医者であるセルゲイが、「これはダメだ。儀式は中止にしよう」と言ったが、セシルが朦朧としながら首を振った。

「ベッタラさんも、みんなも、呪いを解くためにいろいろ準備してくれたんだろ……? あたしはだいじょうぶ。こんな熱でも、野外で過ごさなきゃならないときもあったんだから……」

「母ちゃん、母ちゃん、だいじょうぶ?」

「だいじょうぶ。今度こそ呪いが解けるかもしれないんだから、頑張らなくちゃ……」

そういって、セシルは意識を失った。

「母ちゃん!」

「ネイシャちゃん、だいじょうぶだよ。熱が上がっただけだ」

「朝は何ともなかったんだ。母ちゃんが死んじゃったらどうしよう……!」

「だいじょうぶ。ただの夏風邪だ」

セルゲイが、ネイシャを安心させるように頭をなで、セシルをルナたちの寝室のベッドに運んだ。市販薬が効くかどうかはわからないが、熱さましと水を枕元に置く。

ルナは家にあった冷えピタを全部持ち出し、大きなボウルをそばに置いて、氷水を張り、タオルを冷やしてセシルの額に乗せた。

 

「お話は伺いました」

インターフォンが鳴ったので、ミシェルが出ると、メリッサとカザマが玄関先に立っていた。

「サルーディーバ様にお聞きしました。ケトゥインの呪いを受けた方がいらっしゃるとか」

サルーディーバの名を聞いて、ルナが一瞬顔をこわばらせたが、メリッサもカザマも、ルナの心配を悟ったかのように「だいじょうぶ」と言った。

「サルーディーバ様は、特に、なにも仰いませんでしたよ」

「そう。このことを、“引き替えにするような条件”は――」

「……」

 

メリッサはキッチンを借りて、持ってきた小さなツボの中身をスプーンで三杯すくってコップに入れ、水で溶いて薄めた。

「私のいた村でつかっていた妙薬です。呪術にやられたひとにも、よく効くのです」

そういって、わずかに意識を取り戻したセシルの口元に持っていき、飲むように勧めた。

ネイシャに助けられて身を起こしたセシルがその薬を飲むと、火照った顔から、すうっと赤みが取れた。それは、見ていたルナたちにもはっきり分かるほどだった。

「すごい!」

ルナもミシェルもピエトも、感嘆して叫んだ。

「三十分ごとに服用してください。持ってきた分を全部飲んでいただいて構いませんから――話によれば、今夜、解術の儀式の予定とか――今日明日いっぱい、間に合えばいいとのことでしたが、」

メリッサが確認するようにルナを見、ルナが頷くと、

「一応、もうひと瓶用意しておきますから――ピエト、一緒に来て、つくりかたを覚えてちょうだい」

「うん!」

ピエトはうなずいた。メリッサはピエトを連れて、自宅に向かった。