地球行き宇宙船から遠くL系惑星群、L19――。

首都、シャトーヴァラン郊外のウィルキンソン邸では、フライヤも「あーっ!!」と大声をあげていた。

 

屋敷じゅうに響き渡るような大声をあげて、あわててフライヤは両手で口を押さえたが、とがめる人間はだれもいなかった。自分の母親とシルビアは、夕飯の買い物にでかけているし、エルドリウスもちょっと軍のほうにいってくると留守にした。

今この屋敷にいるのは自分と、耳の遠い老執事ひとり。

フライヤはあわてて、手帳を見返した。

(やっぱり……ルーシー・L・ウィルキンソンが……メルーヴァなんだわ)

この興奮を、大発見を、だれにつたえたらいいものだろう。だが、推測にしか過ぎないものを、あたかも本当のように言ってまわるのは気が引ける。

しかしフライヤは確信していた。

この――“パーヴェルの手帳”を読んで、確信した。

ルーシーは、“メルーヴァ”だったのだ。

フライヤの興奮はだれにでもつたわるものではなかった。フライヤと同じレベルのL03オタクならば、夜通し語れる勢いだろうが、とくにL03に興味のない人間には、「へえ、そうなの。で?」というレベルの出来事だろう。

とにかく一般人に説明するには、“メルーヴァ”の伝説から語らねばなるまい。

 

 

フライヤは、ほんとうに久々の休暇を得ていた。

ミラの秘書室の忙しさといったら、説明のしようもない。フライヤは、自分の不安が取り越し苦労だったことを、入ってからわかった。そこには差別もいじめも、無視も、フライヤが心配していたことはなにひとつなかった。

秘書室は、誰かに対して差別だのいじめだのをしている暇などないくらい、忙しかった。

ネコの手――傭兵の手も借りたいくらいの忙しさだった。

日々、分刻みでスケジュールが進む。

朝の出勤は余裕があったが、終業は遅かった。深夜を過ぎることもあった。

フライヤはとにかく、言われたことをやり続けるので精いっぱいで、気づいたら、一週間の休暇をもらっていた。

フライヤは、休暇の一日目をただ寝ることに費やした。単に、寝たら起き上がれなかっただけなのだが、寝て起きた次の日に、ようやく訳も分からず過ごしてきた一ヶ月を振り返ったのだった。

この一ヶ月、アイリーンとお茶をする時間など、一分たりとてなかった。

アイリーンからは毎日メールが来たが、そこにはお茶会を催促する言葉はなにひとつ書かれていなかった。

急に激務におちいったフライヤの体調を心配する言葉と、慣れるまでが大変だからね、という励ましの言葉でつづられていた。

フライヤが涙ぐんだのは言うまでもない。

でも、庶務部にかえりたいとは、フライヤは思わなかった。

 

一ヶ月ぶりにゆっくり自分で紅茶を淹れ、いそがしかった一ヶ月を振り返ったあと、アイリーンにメールの返事をだし、休暇の最終日にお茶会をしようとメールした。

アイリーンは即座に返信を寄越し、悪魔と恐れられる心理作戦部隊長のメールには、「待ってる!!!!!」と五つもハートマークのアイコンがついていたのだった。

フライヤは大爆笑して紅茶を噴き――それから、休暇の残りをどう過ごすか、決めたのだった。

休暇明けには、いよいよ、フライヤの従軍が決まっていた。L03に出兵である。今回は、アイリーンも一緒だ。戦場に行くのははじめてではないが、緊張もある。

しかし――。

(あたしも、変わったなあ)

ミラの秘書室にきてからというもの、妙に腹が据わった感がある。毎日、ミラを見続けているせいだろうか。ミラの周りにいる人間も、平凡さとはかけ離れた人間ばかりであることは違いなく、いい意味で、フライヤは染まったような気さえした。

昔の自分だったら、戦場と聞いただけで大パニックを起こしていそうだが、緊張はあれども、妙に落ち着いているのだ。

 

(シンシアは、いつもあたしを庇ってくれたね)

ホワイト・ラビットの初仕事の時でさえ、フライヤの怯えを予想して、アジトに待機させてくれた。

――シンシアの陰に隠れて、なにもできなかった自分が、はじめてシンシアと同じ位置にたつような、そんなこそばゆい感覚すらあった。

(そうはいっても、何にも変わっていない気もするけど)

落ち着いてはいるが、怖いものは怖いのである。最前線に兵卒として放り出されるのではなく、後方の作戦部隊だ。それでもやはり、怖いものは怖い。

 

なにはともあれ、フライヤは朝食を終えると、母親とともに,L19へ発った。エルドリウスに許可をもらって、L19の本宅に来た。母が作った果実酒が、そろそろ飲み頃だから取りに来たのと、調べたいことがあったからだ。

 

やっと、一ヶ月の業務から解放されたおとついの帰り道、フライヤは大きな書店に立ち寄った。

本を買うつもりはなかった。ただの気分転換だ。

ぼんやりと書棚を眺め、うろついていたフライヤの目に入ってきたのは、よく、庶務部の管理官が読んでいた週刊誌だ。フライヤは普段、見ることもしないのだが、記事の見出しに目が吸い寄せられた。

「戦争が増えたのは、メルーヴァのせい!? 革命家メルヴァと、L03の伝説」

フライヤという生物は、L03と名がつけば、なんでも目を通してしまう習性がある。彼女は雑誌をめくった。内容は、昨今の戦争増加がL03のメルーヴァ伝説とかかわりがあるといった、見出しそのままの内容だ。オタクのフライヤには、目新しい情報はなにもない。愚にも着かないものだったが、ふと気になる一文を見つけた。

 

「地球行き宇宙船の美術館創始者、ステラ・ホールディングスの社長もメルヴァだった!?」

「ラグ・ヴァーダ病の研究に投資をはじめた矢先に謎の死を遂げる!?」

「地球行き宇宙船に謎の結界。謎の占術師との関係は!?」

 

フライヤは、(――謎だらけじゃん!)とひとりでつっこんだあと、どうにも気になって、その雑誌を買った。内容は結局、「謎」だらけで終わっていた。この記事を書いた記者も、どこからそのネタをつかんだかはしれないが、じっさい彼もこれ以上調べられず、「!?」で終わったのだろう。

本文は、見出しを長ったらしくふくらませただけである。

見出し以外の事実は、なにひとつ書かれていなかった。

だがフライヤは、「ステラ・ホールディングス」の社長がだれか、思い出したとたんに、L19の邸宅へ飛んだのだった。

 

シルビアに許可を得て、大きなペガサスの紋章が付いたドアを開けて書斎に入ったフライヤは、片っ端からウィルキンソン家の歴史につながる書物を抜き出した。

「せっかくの休みに、またあんたは本ばっかり」

母親は文句を言ったが、フライヤの熱心さを見てか、シルビアは、あれもこれもと書棚を探して、出してくれた。

「わたしは、エルドリウスほどこの部屋の本を読んでいないけれど、あなたよりはくわしいわ」

シルビアの協力は、実に助かった。二日の間に読んだ本はけっこうな量だ。フライヤは、シルビア以上に、ウィルキンソン家にくわしくなってしまった。

 

「ステラ・ホールディングス」とは、ルーシー・L・ウィルキンソンが代表取締役だった会社である。

 

しかし、これだけ膨大な資料があっても、ルーシーの捜索は困難を極めた。

エルドリウスが言っていたとおり、ルーシーはかつてのウィルキンソン家当主パーヴェルの“先妻”であり、スキャンダルまみれだったために、記録がほとんど残っていなかった。

ネットでも探したが、ルーシーがメルーヴァだという文も、メルーヴァとかかわりがあるなどという記事も、見つけられなかった。

そもそも、ルーシーという女性が、あまりに謎の多い人物だった。

地球行き宇宙船美術館設立者の資金の出どころで、彼女の銅像も堂々とたてられているというのに、かんたんな年表があるだけで、あまりに多くが謎に包まれている。生まれも、L52の貴族とされていて、L03の文字などまったく出てこない。