フライヤは、美術館設立者のほうであるビアードの人生をえがいた映画をネットで見つけたので、借りてみた。

内容は、史実をそのままなぞった映画と言っていいだろう。

ビアードの生い立ちから、ルーシーに見いだされるときまでをえがいた前篇、フライヤは熱心に見ていたが、母親は半分寝ていた。

後篇から、ルーシーが出てきたところで急に映画の雰囲気が変わる。

「あら、この女優」

シルビアが好きな女優のようだ。やっと母親も目を覚ました。

 

ルーシーはビアードのパトロンといってもいいほど、社長と部下という枠組みを超えた関係だった。しかし、ルーシーが関わったほかの男性とのように、色気のある関係ではなく、親子のようだ。子どものない彼女は、ビアードを実子のように愛している。

フライヤも知っている、お色気たっぷりの女優がルーシーを演じていて、濡れ場も結構多い。フライヤは、顔を赤らめながら見て、エルドリウスが一緒じゃなくて、本当によかったと思った。

 

夫のパーヴェルにマフィアのアロンゾ、そして部下のアイザック――ルーシーを取り巻くおとこたちは、イケメン俳優勢ぞろい――母親が、パーヴェル役の俳優に狂喜乱舞していた。母親が好きな俳優で、母親はようやく映画に興味がわいたのか、フライヤに「ここまでのあらすじ」を聞きはじめた。

「大モテだねえ、このルーシーってひとは!」

女社長で、頭もいいし、なにより美しい。美術関連の事業を手掛けているだけあって、センスもよければ、本人がかく絵も、手慰みとはいえないほど上手い。彼女の絵も、高額でオークションに出されたことがあったらしい。

なにもかもがそろったような彼女の人生。

手に入らないものがないといえるくらいの――。

 

「こんな人生、あたしも一回送ってみたいもんだわねえ」

母親は言ったが、フライヤはそうは思わなかった。

ルーシーは完璧な女に見えるが、ちっとも幸せそうには見えない。フライヤには、彼女の生涯が、男たちに翻弄され続けた人生のようにしか見えなかった。

フライヤが好きな俳優は、ビアード役の若手俳優だったが、印象に強くのこったのはパーヴェルだった。

 

ルーシーに離婚を突きつけられ、「もどっておいで」と見当違いのセリフを吐くパーヴェル。

「もう、あなたに心は残っていないの」とルーシーに告げられ、傷ついた顔をするパーヴェル。

「おまえが私を愛していたことがあったのか」

「愛していたわ。かつては、あなたを。あなたが私を見てくれなかっただけ」

 

フライヤが意外だったのは、パーヴェルという男が、実はかなりのコワモテだったことだ。フライヤは勝手に、紳士的でやさしい男性をイメージしていたのだが、史実そのままを映画に起こしてみると、彼はアロンゾに限りなくちかいイメージの男性だった。

俳優も、ちょっと年配なのでフライヤは知らなかったが、母親曰く、マフィアとか、ワルばかりやっている俳優なのだとか。

まだアロンゾのほうが、ルーシーを愛している気持ちを隠さない分、人間味のあるえがかれ方をしている。

パーヴェルは冷酷でおそろしく、威圧感がある。アロンゾのようなマフィアというよりかは、やはり経済人だ。一代で巨額の財をなした男というのは、ただものではない。

フライヤは、エルドリウスがものすごく冷酷で、すごみがあったらこんなふうになるのではないかな、と考えたけれども、冷酷なエルドリウスというのが想像できなかったので、あきらめた。

 

しかし、パーヴェルがルーシーを愛しているとは、とうてい思えなかった。

だからこそ、後半の、ルーシーに別れを告げられるシーンで傷ついた顔をするのが印象的だったのだ。

フライヤは、ここではじめて、彼がルーシーを愛していたのだとわかった。

アロンゾもアイザックも、ルーシーを愛しているのが丸わかりだが、一見つめたいように見えたパーヴェルが、一番ルーシーを愛していたのではないのか。

けれども、最初から冷え切った夫婦関係。

たがいに浮気をして、すれ違う。

ルーシーはパーヴェルを愛そうとしたけれど、パーヴェルに拒絶されたせいで、心を閉ざしてしまうのだ。

パーヴェルはパーヴェルで、ルーシーがあまりに美しすぎて、経済世界の泥沼につかり切っている自分を愛してくれはしないと決めつけている。

ルーシーとパーヴェルは政略結婚。ここは史実どおりだ。政略結婚だったから、パーヴェルはルーシーを愛していなかった、ともとれるが、この映画監督は、ずいぶんルーシーびいきだな、とフライヤは我に返ったところで威勢よく鼻をかんだ。

 

(なんだかこの人は……ルーシーを愛しているせいで、ルーシーから離れようとしているように見える……)

フライヤは、ルーシーがアロンゾの凶弾に倒れるのを、ティッシュ箱を独占して鼻をかみつつ見た。フライヤのティッシュ箱を隣の母親が奪い、シルビアもそっと一枚、つまんだ。

(パーヴェルは、ほんとうにルーシーを愛していたんだわ……ほんとうは、自分が嫌われているとおもっていて、つらかった。ほんとうに彼女を愛してくれる男性がいたなら、開放してあげたかった。でも、アロンゾはヤバいし、アイザックもけっこうヤバめの男だしで、放っておけなかったんじゃないかな)

フライヤは、これだけは確実に言えた。

(パーヴェルは、ルーシーにつめたかったけど、愛していたんだわ。ずっと陰から、彼女を守っていた……)

 

母親とシルビアが同じことを言いながらむせび泣いていたので、フライヤはこの映画の主題がそれにつきたことを悟った。(たしかこれはビアードの映画だった。)

「あんたにしちゃ、いい映画を借りて来たじゃないか」

「ルーシーの映画があったなんて、知らなかったわ……」

正確には、ビアードが主役の映画である。

感動にむせび泣いている母親とシルビアをよそに、フライヤは落胆していた。感動はしたが、落胆だ。やはり、L03にかすりもしていない。

ルーシーが「ラグ・ヴァーダ病」とかいう病気の研究に投資した話もなかった。

地球行き宇宙船の結界の話なんて、一ミクロンも出てこなかった。

やがて、地球行き宇宙船内の美術館の入り口――ビアードとルーシーの銅像がうつされて、エンドロール。メロウでちょっと悲しいような曲調のジャズが流れだす。

フライヤは肩を落とした。

 

「やあ、おもしろそうな映画を見てるじゃないか」

エルドリウス閣下のご到着だ。

「これはまあ! おかえりなさい、エルドリウスさん!」

母親が立って席をあけようとしたが、エルドリウスは「まあまあ、お義母さん」と制した。

「ルーシーの映画を見ていたのよ――あなた、知っていて? こんな映画、あったの」

シルビアが、おさまらぬ感動に目頭を押さえながら聞いた。

これは、ビアードの映画である。

タイトルも「ビアード・E・カテュス〜その愛と生涯〜」で、ルーシーの名は一辺も出てこない。

「いや、知らないね。私も見たいな」

「でも、今夜ではなくて明日になさいな。私ももう一度見たいのよ――フライヤはどう?」

「あ、あたしももう一回見るつもりです」

「なら決まりだ。明日はそこにウィスキーとパテとクラッカーを置いて、映画鑑賞。いい休日になりそうだ」

フライヤは、「エルドリウスさんもあした休みなの」と聞こうとしたが、エルドリウスの姿は消えていた。シャワーを浴びにいったのだろう。

日付は変わっている。

前篇をまるで見ていなかったフライヤの母親も、もう一度見ると言ってきかなかったが、彼女が明日も前篇の途中に寝るだろうことは、フライヤには容易に想像できた。