――フライヤ・G・ウィルキンソンは、あり得ないことに、映画の最中に居眠りをした。

 彼女はいままで、どれだけつまらない映画でも、途中で寝ることはなかった。

 だが、この上なく興味深い、連続で見たって飽きないだろう映画の最中に、よりにもよって寝こけたのだ。

 彼女が目を覚ましたのは、メロウなジャズのエンドロールがすっかり終わった頃合いだった。

 

 「――え!?」

 フライヤが飛び起きたのに、隣のエルドリウスが笑いをこらえきれない顔で、笑っていた。

 「ずいぶん、気持ちよさそうに寝てたねえ」

 エルドリウスは言い、氷を入れたジュースをフライヤに手渡した。フライヤは、唖然としながら、「私、ずっと寝てました?」とおろかなことを聞いた。

 「ずっと寝てたよ。それは気持ちよさそうにね」

 

 シルビアと母親はいなかった。エンドロールがはじまったあたりに、再び涙を拭きながら、買い物袋をもってスーパーへ向かったのだという。夕食の支度をするために。

 フライヤは、はあ、と自分に呆れたため息を吐いたが、エルドリウスはテレビを消し、上機嫌で聞いた。彼は特に泣いてはいなかったが、映画は楽しく観たようだ。

 映画を見ていたのかフライヤの寝顔を見ていたのか。器用な彼は、その両方を、最大限の力でもってすることができる。

 「どこで見つけたの。ルーシーの映画なんか」

 くどいようだが、これはビアードの映画である。

 フライヤは、バッグの中から件の週刊誌を出してエルドリウスに見せた。そして、この映画のDVDを見つけた経緯を話した。

 

 「おや――バンクス・A・グッドリー。この記事をかいたジャーナリストかね」

 「知ってるんですか、エルドリウスさん」

エルドリウスは、記事を斜め読みして言った。

 「知ってるも何も、バブロスカの本の、著者だよ――正確には、編集者というか、」

 「ええっ!?」

 フライヤは身を乗り出した。

 バブロスカの本と言えば、「バブロスカ〜我が革命の血潮〜」である。フライヤの、読んでみたいけれど、読めない本のリストに入っているが、なにしろ、軍事惑星群では出版が禁止されている。したがって、フライヤは読んだことがないし、これから先も読めないだろうと思っていた。

 「読みたいの? あるよ、ほら」

 エルドリウスは、本棚から単行本を持ってきた。フライヤは目を丸くしつつ、礼を言って受け取った。

まぎれもなく、初版の本だ。エルドリウスはどこから入手したのだろう。

 しかし、軍事惑星だけでなく、あちこち飛び回っているエルドリウスが、この本を手に入れるのは、意外と簡単なんじゃないかとフライヤは考え直した。

 この本は、軍事惑星群以外の星では、学校の指定図書になっている。ほとんどの学校の図書館に置かれている本だ。

 

 「彼もL03に興味があるのかな――専門外だろうどうあっても。――ふふ、小銭稼ぎに、適当な記事を書いたな」

 「適当なんですか!? コレ!!」

 フライヤはがっかりした。エルドリウスは笑う。

 「彼は、疑問をそのまま放り投げておく男ではないからね――まるきりのデタラメだというわけではないだろう。だけど、真剣に調べる気はないよ、きっと」

 彼は、バブロスカ関連の取材で手いっぱいだろうから、とエルドリウスは付け足した。

 「そうなんですか……」

 がっかりしたフライヤの顔を見て、エルドリウスも興味を得たのか、さらに聞いてくる。

 「どうしたの、急に。ルーシーのことを調べ始めたりなんかして」

 「特に理由はないんですけど――なんだか、気になって」

 「……ふむ」

 エルドリウスは立った。そして、フライヤについてくるよう促す。

 

 ふたりは、ペガサスの紋章のドアを開けて、書斎に入った。エルドリウスは肖像画の下にある大きな机の引き出しから、鍵を取り出した。鍵と一緒に白い手袋も取り出し、自分の手にはめ、フライヤにもはめるよう勧める。

彼はその鍵で、部屋の隅にある大きな金庫を開けた。

 中には、いくつかの書類や宝石箱がある。エルドリウスは、緑色のビロードが貼られた大きな箱を出した。

 机の上に箱を置き、ふたを開ける。そこには、古びた手帳がぎっしり詰まっていた。几帳面なほどにそろえられて。

 手帳は、どこにでもある黒い革表紙の手帳で、手のひらサイズ。同じ手帳ばかり、三十冊以上もあった。フライヤは手帳の表紙に、この書斎のドアにあるペガサスの紋章がついているのに目を留めた。

 

 「これは、“パーヴェルの手帳”だよ」

 エルドリウスは言った。

 「彼の会社が毎年つくっていたもので、社員にくばられていた手帳だから、ペガサスの紋章がついているんだ」

 

 エルドリウスは一冊取って、ぱらぱらとめくった。中は、マンスリーとウィークリー、巻末にメモ部分があるだけの、実にシンプルな手帳だった。

 「見てもいいよ」

 「えっ」

 エルドリウスに、手帳を手の上に乗せられ、フライヤは戸惑った。

 「これは一応、うちの財産だから、大切に扱って。それさえ守ってくれれば、読んでも構わない。――ルーシーに関わるなにかが、出てくるかな」

 「あ――ありがとうございます!!」

 フライヤの顔が輝いた。

 どんな高級な宝石やドレスをプレゼントしても、こんな笑顔は見せてもらえないのだろうな、とエルドリウスは、苦笑した。

 

 

 フライヤは、手帳の一冊目から、食い入るように読んだ。

 初期のころの手帳は、予定ばかり書きこまれていて、パーヴェルの心中を推し量るような内容はひとつもなかった。

 だが、ルーシーに出会ってから、パーヴェルの手帳に異常が現れた。

 手帳の空欄が、目立つのである。

 そして、ついにルーシーと結婚した年、めずらしくメモの部分に、仕事以外のことが書かれていた。

 

 “私は彼女を守ると決めた。たとえなんであれ。”

 

 シンプルな言葉である。フライヤはごくりと息をのんだ。結婚に対する、パーヴェルの並々ならぬ決意がうかがえる。

 ――決意だ。

 結婚に対する、浮かれた文言ではなく、並々ならぬ決意。

 (たとえなんであれ、って――どういう意味だろう)

 このシンプルすぎるひとことでは、なにもわからなかった。

 フライヤは先を読んだ。細かい字に目が痛くなる。フライヤは目薬を差しながら、読み続けた。

 結婚してからは、つづいた空欄がうそのように、パーヴェルの手帳は予定で真っ黒に染まった。それからしばらくして、ルーシーの死の前後、また空欄が目立つようになる。

 またメモに、言葉があった。

 

 “この結末を招いた責任は、すべてわたしにある。”

“彼女を追いつめたのは私だ。彼女が愛を欲しているのに、私は近づけなかった。”

 “なぜ君は死んだ。やりのこしたことがあっただろうに。”

 “君の意志は、私が継ごう。”

 

 その言葉の下に、「サイモン・K・トレスデン」という名と、「ラグ・ヴァーダ病」と文字が記してある。

 フライヤは絶叫をなんとかおさえて、次の手帳にうつった。

 マンスリーやウィークリーの部分は仕事のことばかりだが、メモ欄に、サイモンの連絡先と、「アンナ・H・ラマカーン」の名と連絡先が記されていた。

 千年前の連絡先に、連絡を取るわけにはいかないが、フライヤは机の上のメモ帳に、それらを書き写した。

 すくなくとも、「ラグ・ヴァーダ病」というものがあるということには、たどり着いたのだ。

 パーヴェルの手帳は、その後、やはり仕事のあれこれで埋められて、ルーシーに関することは何も書かれていなかったが、ルーシーの死から七年後の手帳のメモ欄に、決定的なことが書かれていた。

 

 “ラグ・ヴァーダ病は鎮まったよ。だから安心してお眠り、メルーヴァ。私のお姫様。”

 

 フライヤは、メルーヴァのひと文字を見た瞬間に「あーっ!!」と絶叫した。

八年目の手帳は、八月で途切れている。その後、飛び飛びに、会社の業務の引継ぎや、病院の予定が書かれているのをみると、パーヴェルは大病を患って入院したのだ。

 翌年の手帳はない。

 

(やっぱり……ルーシー・L・ウィルキンソンが……メルーヴァなんだわ)

 

 フライヤは、興奮冷めやらぬ様子で書斎中をうろつきまわったが、賑やかな笑い声がするので庭を見ると、シルビアと母親が帰ってきていた。

フライヤは、おおげさに身震いして興奮をおちつけてから、手帳をていねいに元の場所にしまい、金庫のカギをかけなおして、カギを机の引き出しにしまった。

 そして、パソコンを起動し、「サイモン・K・トレスデン」と、「アンナ・H・ラマカーン」をさがした。

 どちらも、出てこない。

 探索は、暗礁に乗り上げた。

 そろそろタイムアウトだ。フライヤは、ルーシーのことばかり調べているわけにはいかなかった。

 L03への出兵に先立って、調べねばならぬことがまだあるのだ。

 フライヤは、彼らの名前を書いた紙を、エルドリウスから借りた本に挟み、探索を中止した。