百二十六話 はじまった夏のお祭り




 

 いまだエーリヒとベンがL系惑星群にいたというのをルナが知ったら、口をあんぐりとあけてアホ面をしたに違いない。

 だが実際、ふたりはまだL系惑星群にいた。

しかも、L77のローズ・タウン――ルナが生活していた街に。

 

 ベンは、祭りのド真ん中に置き去りにされたまま、エーリヒを待っていた。屋台が両脇にひしめくひろい参道の先には、エーリヒが「来るな」といった神社がある。「すぐもどるから」といったわりに、彼は二時間たっても戻らない。

 (無事なのか)

 一抹の不安を感じたベンだったが、ここはL7系の星だ。L18で警戒しなければならない事態の百分の一も危険はないだろう。祭りをうろつく人間の不用心なことと言ったらない。

 だれも銃火器は持っていないし、ナイフを隠し持っている人間もいない。財布をあけたままおしゃべりに興じていても盗まれない。

 

 (いいなあ――L7系。マジ天国。俺、任務があけたら、L7系に住もうっと)

 ベンはうっとりと、道行く浴衣姿の女性を眺めた。

 ちいさくて、かわいくて、弾けるような笑い声もキャピキャピとかわいい。

 ベンは故郷の、ドスのきいた女たちの音声を思い出して暗くなった。軍人寄りになるとそんなのが多いし、貴族の女たちはあんなにあっけらかんと笑わない。常に、男の素性を見定める目つきでにらんでくる。

 よく観察していると、彼女たちは気軽に男に声をかけるのに、ベンがいっこうに声をかけられないということは、やはり自分はモテないのだろうか。容姿は平凡なベンだが、エーリヒならともかく、自分が話しかけづらい雰囲気を出しているとは思えなかった。

 ベンから声をかけようかと思ったことも、この二時間の間に百数回を数えたが、けっきょく実行には移さなかった。うまくナンパできても、エーリヒがもどってきたら、デートはおしまいである。それでもベンは、屋台より興味があった。可愛い女の子との、数十分の交流が。

 

 L18を出発して、すぐ地球行き宇宙船にむかうと思いきや、エーリヒの行動は不可解を極めた。

 彼は、いきなりL31に飛んだ。

マリアンヌがかつて滞在した星であったため、彼女の足跡をたどるためかもしれないとベンは思ったが、調査にずいぶんな日にちを要した。L31で、かなり足止めを食ったのである。

 しかも、尾行を警戒してか、エーリヒは次々と宿をかえた。

 エーリヒの目的がいつ達せられたのか、ベンにもわからなかった。そのあと向かったのは、やはり地球行き宇宙船ではなく、このL77である。

 ローズ・タウンにある「真月神社」は、「お祭り」の真っ最中だった。奥の拝殿に向かったまま、エーリヒはもどらない。

エーリヒは、「君は来ちゃダメ」と、厳しく念を押した。だからベンは、待っているのだ。

だが、そろそろ二時間が経過する。三十分ほど待てといったのに、二時間だ。

危険が少ない星であることはたしかだが、L31であれほど尾行を警戒したからには、追手がある可能性も無視できない。

ベンはやはり、拝殿へ向かうことに決めた。

 

 幅広の、砂地の参道を奥へ奥へと歩んでいくと、屋台が急にとだえる。その先は、神聖といってもいい峻厳な森へとつながっていた。屋台の代わりに、火をともした石灯籠と、なだらかな石階段の道が等間隔につづいている。

 屋台通りの喧騒とは対照的に、その先はひと気がすくなかった。灯籠の火がずいぶん明るいとはいえ、ひとりで先へ行くには、すこしためらうような静けさに満ちている。

 だがベンは、夜道をおそれるほど軟弱な神経は持ち合わせていない。神職や、神社に参ってきたであろう参拝客とすれ違いながら、夜の参道をひた歩いた。

 五分も歩いただろうか。

 ベンは、神社という宗教建築物を見たのははじめてだが、あれが神殿であろうことはすぐに見当がついた。木造りの建築物がある、ひらけた場所が見えてきた。建築物の真正面に行くには、さらに二十段ほどの階段を上がらねばならなかった。

 階段下には、手水場があったが、ベンは作法を知らない。彼はそこを水飲み場と勘違いした。うさぎの石像が持つ柄杓から、ゆたかな水がこんこんと湧き出ている。ベンがそれを見つめていると、階段上――建物があるほうから、人の話し声が聞こえてきた。とっさにベンは、手水場の裏にある木陰に、身をひそめてしまった。

 

 (なにをやってるんだ、俺は)

 職業病とも、条件反射ともいう。この場合どちらにも当てはまる。あれはエーリヒの声だったが、だれかと話していた。声は、女のものと、男のもの。エーリヒ以外に、ふたりいる。

 (あっ――)

 ベンは、かくれて正解だったのである。話しながら階段を降りてきたのは、エーリヒと、神職であろう年配の女性と、――アイゼンだった。

 (なぜここに、ヤツが)

 エーリヒは、いっしょには来るなと念を押した。それは、アイゼンに会わせぬようにするためだろうか。

 (まさか、L77にヤマトのアジトがあるのか。まさか)

 だとしたら、エーリヒが来るなというのもうなずける。ヤマトのボスの存在を知るということは、イコール、死が待ち構えている。

 アイゼンがヤマトのボスだということは、本人からも、エーリヒからも知らされているのだが、アジトを知るということも、ボスの正体を知ることと同じだけ危険性がある。

 しかしこの宗教建築物が、傭兵グループのアジトだとは考えにくい。

 アイゼンと年配の女性とは、階段途中でとまった。エーリヒを見送りに来ただけのようだ。三人はまだ何か話しているが、内容までは聞こえない。ベンは、木陰のすきまを縫って、足音を立てずにひそかにもと来た道をもどった。

 

 「やあ。待たせたね」

 エーリヒがベンを見つけたのは、屋台通りの真ん中あたり――ベンチに腰掛けていたベンは、なにごともなかったかのように、「遅かったじゃないですか」と言った。

 「ごめんね。思ったより、交渉が長引いてね」

 交渉――ヤマトのボスと、なにを交渉してきたというのだ。ベンは、エーリヒを心配して見に行ったことを後悔した。ヤマトには、なるべくなら関わり合いになりたくない。

 

 「君、ずっとここにいたの」

 エーリヒの言葉にぎくりとしたベンだったが、エーリヒは、ベンが手水場の裏にいたことを、気づいてはいないようだった。この二時間、屋台も見ずに、ずっとここに座っていたのかという意味で聞いたようだ。

 「まァ――ここで待ってろと言われましたからね」

 「せっかくのお祭りなんだから、楽しんだらいいのに」

 エーリヒはそわそわしている。残念ながらベンは、屋台で売っている変わった食べ物にも興味が持てなかったし、自分がモテそうにもないことがわかったので、楽しむ気にはならなかった。

 

 「あの小さな魚をとる店に入るのだけはやめてくださいね。うまそうには見えない」

 ベンは、めのまえにあった「金魚すくい」の屋台を横目で見て言った。

 「あれは観賞用だよ。君、食べる気でいたの」

 「どちらでも構いませんが――宇宙船にはいつ乗るんです」

 ベンは強引に本題に入った。一日も早く乗りたいといっている本人が、あちこちで時間をつぶしているのだから世話はない。

 「乗るよ――今夜からの特別便で」

 「今夜ですか!?」

 いつまでも乗らないと思ったら、いきなり今夜だ。

 L77から出ている、一番早い便で地球行き宇宙船が停泊するエリアまで追いつくという。ベンは、渡された渡航チケットを見て一瞬つまった。

 「冷凍睡眠装置の宇宙船ですか……」

 「不満?」

 これが一番安いし、一番早い。とエーリヒはお好み焼きとたこ焼きの店をターゲットに定めながら言った。

 「不満――もなにも、命令とあれば乗りますが――冷凍睡眠装置は、寿命が一、二年縮むってはなしも――」

 「一、二年縮んだからって何か問題でも? 君そんなに長生きする気なの」

 「長生きしたいですけど」

 ベンの返答が予想外だったのか、エーリヒはその無表情な顔をしばらくベンに向けた。ベンはあやうく「こっち見んな」というところだった。

 「君は長生きしそうだよね。――まァ、寿命が縮むっていわれた時代もあるけど、最近はまた改良されてきてるし。むしろ寿命が延びるってウワサもあるくらいだし。君、私と二週間、せまっくるしい客室に閉じ込められる? そのほうがストレスたまるんじゃないのかね。それよりだったら、二週間かそこら眠っていれば着くんだから」

 すでにエーリヒは、ベンよりもたこ焼きを相手にしようとしていた。

 ベンはエーリヒの後頭部をできたら殴りたいなと思っていたが、それを実行するほど気が強くはないのだった。結果、エーリヒに聞こえないようにちいさなため息を吐き、今月最後の晩餐を物色しに、エーリヒのあとをついていった。

 この屋台で何か食べたら、つぎに食べ物を腹に入れるのは、二週間後ということになる。

 エーリヒのおごりで、せいぜい食いまくってやろうとベンは開き直った。