「ミシェルとルナかあ?」

 神社のほうから声がした。めずらしく神社のまえは大勢の人でごった返しているので、その声をひろえたのは、正しく奇跡だった。

 

 「あ、おじいちゃん」

 ルナとミシェルは、奥殿のほうにつづく道をあるいてきたイシュマールにあいさつした。

 「なんじゃ、気落ちした顔をしよって」

 ミシェルは、星守りが売り切れていたことを最下層のテンションでしゃべったが、イシュマールは、呆れた顔で言うのだった。

 「おまえさんがラグ・ヴァーダの女王なんじゃから、自分の加護がはいった守りなんぞいらんじゃろうが」

 自分。

 ミシェルは目をぱちくりさせたが、自分は自分でも、ずっと昔のなんだかすごい自分である。

 自分がラグ・ヴァーダの女王だと言われても、現実味がわかないのは、ミシェルも同じだ。

 「それはね、それはそうなんだけどね。でも、なんていうかさ、あの星守り、かわいいでしょ、」

 諦めがたしとぶつくさいうミシェルの手に、イシュマールは、守り袋を置いた。神社の紋が描かれた、エメラルドグリーンの小さなお守り。

 イシュマールは、ルナにもくれた。

 それがなにか、ふたりはすぐにわかった。

袋の中をのぞくと、エメラルドグリーンの惑星が縮小化されたような、小さな玉がはいっていた。

 

 「ありがとう! おじいちゃん!!」

 二匹は、盛大に喜んでイシュマールに抱き付いたが、「ほい、千デルずつ」とイシュマールは手を出した。

 「えっ!? くれるんじゃないの」

 「わしゃ、取っといてやっただけじゃ」

 二匹は賽銭箱に入れようとしたが、イシュマールは自分の手のひらを示すのだった。

 そこへ千デルずつ紙幣を置くと、イシュマールはにっこりと笑っていった。

 「よし。これで紅葉庵の白玉あんみつデラックスを食いに行くぞ」

 

 三人は、屋台裏にかくれた紅葉庵で、白玉あんみつデラックスを食べた。何がデラックスなのかとおもったら、アイスが三個も入っているのと、白玉がてんこもりになっているのだった。抹茶クリームと黒蜜もかけ放題だ。

 

 「おじいちゃん、今日の階段はだいじょうぶなの」

 イシュマールが白玉とアイスを黒蜜の海におぼれさせたところで、ミシェルが思い出したように聞いた。

 「だいじょうぶって、なんじゃ?」

 「今日は、前世の浄化とかで、上がれなくなるひととか出てきたらどうするの。すごいひとだよ。今日、上がれない人が出てきたら大変そうだなと思って」

 紅葉庵からみているかぎりでは、今のところ、上がれなくて救助される人間も、階段途中でぜいぜいいっている人間も見当たらない。

 

 「祭りのあいだは特別じゃ。階段も、ふつうの階段にもどっておる」

 「じゃあ、前世の浄化とかは、しないんだね」

 「うん、八日間だけは、だれでも上がれる――」

 「おじいちゃん、電話なってるよ」

 ルナが気づいて、イシュマールをつついた。

 イシュマールの羽織のポケットから、演歌が流れている。祭囃子の音楽に似ているので、気づかなかったらしい。

 「なんじゃなんじゃ」

 周囲が騒がしいので、自然と大声になる。イシュマールは少し話したあと、電話を切った。

 「夜の催事の準備がはじまっとるのにどこほっつき歩いておると叱られたわ。――ふたりはゆっくり食べていけ。わしゃもどるでな」

 イシュマールは一個ずつのこった白玉とアイスを切なげに見つめたが、しかたなく器を置いて立った。

 「おじいちゃん、またね」

 「うん。ミシェル、絵描きは祭りの後じゃな。ルナもほれ、いつでもええから茶を飲みに来い」

 七十を超えているのに、背筋も曲がっていないイシュマールは、そこらの若者にも負けない健脚で階段を上がっていった。

 

 「おじいちゃんて、元気だよね」

 「うん」

 「あたしたちのまわりって、元気なお年寄りばっかりだよね。おじいちゃんといい、ツキヨおばあちゃんといい」

 「うん」

 「ニックは、おじいちゃんに入るのかな……。一応、友達の中では最高齢だよね」

 よく考えたらニックは、イシュマールやツキヨより年上なのだ。ルナはあきれて口をぽかっと開けたが、すぐに半分溶けかかっていたアイスを一生懸命食べだした。

 「ニックはおじいちゃんってゆったら、悲しむと思う」

 見かけはセルゲイと同じくらいの年齢だし、六十代以上の彼女募集中だ。

 「そーだよね。おじいちゃんが残した分、あたし食べようかな」

 ミシェルがイシュマールの残した器を手にとった。

 「おじいちゃん、黒蜜かけすぎ」

 そこへ、腹に響くような太鼓の音が聞こえてきた。祭囃子の行列が、大路を練り歩き始める。ルナとミシェルはガラスの器を手にしたまま、行列が見えるところまで飛び出したのだった。

 

 

 

 

 そのころ、K33区では、ニックとベッタラのスパルタ式特訓に疲労困憊した筋肉兄弟が、地面に突っ伏していた。

 「ほら、起きた起きた! L18の傭兵だとか少佐だとかいってるけど、軍人の特訓なんてたいしたことないんだね! このていどで起き上がれなくなるなんて!」

 「アーズラエル。アナタ、ワタシの村にいたら、一日目でパコに食べられてましたよ」

 もう指一本うごかせない元軍人と傭兵のまえに立ちはだかるのは、ミシェルにおじいちゃんあつかいをされたコンビニ店長と、野生人だ。

 おじいちゃん呼ばわりが失礼なほど、ニックの体力は有り余っていた。ふたりは、アズラエルたちと同じメニューをこなしたというのに平然と立っている。

 しかし、アズラエルたちも、これほど体がなまっていたとは思わなかった。

 定期的にジム通いもしていたふたりだが、最前線からしりぞいてずいぶん経つというのは、あきらかな身体能力の劣化をもたらしていた。

 「グレン君は少佐だっていうから、だいたい座り仕事だっただろうけど、アズラエル君は何なの。君傭兵でしょ! しっかりしなさい!」

 「……」

 アズラエルは文句も出てこなかった。

 意外とニックは手厳しい。

 いや――二人は昨日よりも厳しくなった気がする。

 なんとなく、アズラエルとグレンは、二人が厳しくなった理由に思い当たるところがあった。

 「べつに! ルナちゃんのお弁当がうらやましいなんて思ってないんだからね!」

 「そうです! ちっとも、うらやましくなどありません!!」

 ((自分で言いやがった……!!))

 アズラエルとグレンは予想が当たりすぎて顎を外した。

 

 「そら、立て軍人ども! もう一回真砂名神社まで往復だ!!」

 「あァ!?」

 「ウソだろ!?」

 ベッタラとニックに襟首をつかみあげられ、筋肉兄弟は、さっきやっともどってきた、山道の入り口をながめた。K33区の山道から、真砂名神社の奥宮入り口まで、何十キロという距離を往復させられたのだ。

 無論、ベッタラとニックもついてきた。あの長距離をほぼ全力疾走して、彼らは平気な顔をしているが、アズラエルとグレンはへとへとだった。

「ウソなどついていません! アナタたちはまだ体力が全然足りません! 剣術を教えるのはそれからです!!」

「ビッシバシしごくからね!!」

野生人はともかく、最高齢のコンビニ店長はずいぶん元気だった。

 

 

 

 

 ――そして。

 こちらもまた、動きが止まっている人間がひとり、いた。

ロビンは、真砂名神社の階段手前で、硬直していた。

大勢の人間が階段を上がっていく。子どもも、しなびた老人も、若い男女もカップルも夫婦も家族連れも。

 

「ロビン、どうしたのぅ? 行かないの」

ロビンが連れてきた、取り巻きの女たちも、むろん平然と上がっていく。足が動かないのはロビンだけだった。

「ああ――今いくよ」

(――?)

ロビンは笑顔を貼りつかせたまま、周囲をにこやかに見渡した。

ただの階段である。

アズラエルが負ったような大怪我をする要素は、まったくといっていいほど、ない。とくにアクロバティックな要素も、ハイテクな要素も、ない。

今にも死にそうなヨボヨボの婆さんが上がっているというのに、ロビンの足は、地面に縫い付けられたように、一段目にも上がれないのであった。

 

(軍人、あるいは傭兵は、上がれない階段――か?)

 あきらかに軍事惑星出身者だとわかるような、男の集団が女づれで階段をにぎやかに上がっていった。ラガーやルシアンで見たことのある顔ぶれだ。なかのひとりがロビンに気付いて、かるく手を上げた。ロビンもほがらかに返した。

 ――階段手前で、突っ立ったまま。

 

 (――?)

 なぜ、上がれない。

 

 ロビンは冷静に分析しようとしたが、いつものように明快な理由づけもできなかった。理解できない。どうしても足が上がってくれないのだ。ただ、それだけだ。

 無理やり足を上げる。無理やり上がる。それができたら、どんなにかよかったが、それすらもできない。

 たかが階段である。

 (なぜ、それができない?)

 ロビンにこたえは見つからない。

 ロビンは腕を組んで、階段上を見上げた。人が大勢あがっていく。

 

 「どうしたのロビン。つまんない? レトロ・ハウス行く?」

 女たちが戻ってきて、媚びるようにロビンの腕に自身のたわわな胸を押し付けた。

 「ンー、そうだな。……俺のいるべき場所じゃァねえかもな」

 そうだ、ここは、俺のいるべき場所ではない。

 ロビンは納得し、踵をかえした。

 「ああン、待ってよロビン」

 女たちはロビンに群がった。行き先はレトロ・ハウスだ。そこが俺の行くべき場所だ。ここではない。

 ロビンはそう言い聞かせて階段をあとにした。

 自分に命じて、ぜったいに振り返りはしなかった。